浅草橋 [2013年07月01日(月)]

 お笑いコンビのさまぁ~ずが浅草橋を探訪する番組を見た。浅草橋から蔵前・浅草に抜ける表通りを歩き、路地に入ってはユニークな小店を紹介していた。須賀神社の境内でダンスに励む少女たちの活躍をズームアップしていたが、この神社が疫災除けの守護に団子をふるまうことから、俗に団子天王と呼ばれることに一言もなかったのは残念だった。
 須賀神社の北隣に、かつて称光山長延寺華徳院があった。路地端に閻魔堂跡の小さな石碑が建っている。問屋街の有志たちが建てたものだ。この華徳院の本尊が閻魔王で、運慶の作だと伝えられ、鎌倉円応寺の国宝閻魔像と姉妹刻だという。円応寺の閻魔像は、地獄に堕ちた運慶が、閻魔大王像を彫ることを条件に赦されて蘇生し、笑いながら彫ったという。この話を知っていたラフカデオ・ハーンは、おふだを手にして感激したのだった。
 そういえば、蔵前の古書店でもう30年も前に買った『閻魔めぐり』という小冊の中に華徳院のおふだが挟まっていたのを思い出した。裏表紙に150円と鉛筆書がある。安い買い物だったのだ。
 浅草橋といえば、今でもことあるごとに問屋街を歩くのだが、子どものころ、林間学校に行く前に花火を買いによく来たものだ。先生が問屋のオヤジと交渉してたくさん花火を買ったあとは、4,5人の子どもたちが抱えて帰るのだった。どの先生に付いて行っても、帰途には決まって立喰寿司で海苔巻きを食べさせてくれた。戦後の給食もあったりなかったりの時代だったから、欠食児童には海苔巻きは大御馳走だった。ちなみに給食は、小岩生まれの校長先生が、相撲の栃錦とプロレスの力道山が負けると出さないのだと噂されていたから、子どもたちは給食ほしさに栃錦と力道山を一生懸命応援したのだった。なにもかにも懐かしい思い出になってしまった。
 あの立喰寿司屋が今も健在なのはうれしい。華徳院は関東大震災後に杉並区松ノ木に移り、震災から守り抜いた閻魔像を今も大切に祀っている。これもとてもうれしいことだ。
(仏教文化史・関口靜雄)