古代エジプトを研究対象にしている吉成です。
学科で出している「歴文」では「古代エジプトの文字ヒエログリフを使って、古代エジプト人のこころに迫る」ことを専門にしていると自己紹介しています。
そもそもヒエログリフとの出会いはと考えてみると、小学校の時に、クリスマス・プレゼントでもらった岩波少年文庫A・ホワイト著『埋もれた世界』の第二部11「象形文字とグール(お墓をあばく鬼)」を読んだ時だったと思います。暗号解読的な興味で、ヒエログリフに接していたと思います。その後、大学入試の時期が来た時に、自分は何を勉強したくて大学に行こうとしているのだろうと考えた時、少年時代のインパクトがよみがえって来て、古代エジプト研究だと思い込むようになり、入学後教えを乞うた杉勇(すぎいさむ)先生からヒエログリフを勉強しなさいと言われて、それ以来ヒエログリフと関わっているというのが実態だと思われます。
ヒエログリフには思い入れがあって、単に研究のための道具と割り切ることが出来ない気持ちがあって、できれば「古代エジプト語エジプト文字科」という様な大学の専攻があれば、そこを受験したいなどとあり得ない夢を見ていたのですが、そのうちにヒエログリフは古代エジプト研究の手段と割り切れる様になり、そういう立場で自分のヒエログリフの実力を増強して行きたいと思う様になりました。そのきっかけのひとつは、多分、杉勇先生に大学院浪人時代に差し上げた暑中見舞いに「大学院入試に向けて語学の勉強をしています」と書いたところ、「語学は大工のノミ、カンナの様なものです。しっかり勉強しなさい。」とご返事をいただいたことだったかもしれません。
AO入試の相談などで高校生の諸君と話をすると、大学でヒエログリフを勉強したいから昭和女子大学を志望するという様な発言を聞きます。その度に、ヒエログリフを勉強して何をしたいのだと聞きたくなります。語学研究としてヒエログリフを勉強するという意志を持っているのなら良しとしたいのですが、単なるヤジ馬的興味でヒエログリフと言って欲しくないというのが私の気持ちです。日本にはヒエログリフ自体を研究対象にしている研究者は何人か存在しますが、その人達の努力や実力は大変なもので、学問の対象としてヒエログリフを選ぶことがどんなに大変かを認識して欲しいと思います。簡単にヒエログリフを勉強したいから昭和を受けますなどと言って欲しくないというのが本音です。研究の手段としてのヒエログリフである内は許される、それを踏み越えたら死に物狂いの世界が待っているということでしょう。自分の将来を想定して受験を考えるのなら、こういうことも考慮してもらいたいと思います。