あなたは将来なにをしてあげたいの?

こんにちは、松田忍です。

小学校、中学校、高校、そして大学、みなさんは人生の選択がせまる度に色々な人に「将来なにがしたいの?進路はどうするの?」と問いかけられてきたことでしょう。私は現在、4年生のクラスアドバイザーを担当していますので、就職活動の相談に乗る機会もかなり多いのですが、彼女たちもまた「将来なにがしたいの?」という何度も問いかけられてきており、そしてその問いかけに明確に答えられないことに苦しみ続けてきた人も多いようであります。みなさんはいかがですか?

今日の記事は「将来なにがしたいの?」という問いが辛い人向けに書きました。ですから歴文生だけではなく、歴文のことがちょっと気になっている受験生のみなさんにも読んで頂きたいと思っております。

最初に私の考えを申しますと、「将来なにがしたいの?」という問いよりも、本来「将来何をしてあげたいの?」という問いのほうが適切なのではないかとということです。

今日はそのあたりの話を書いていきます。

今年で日本近現代史ゼミを担当していて4年目になります。そして同時に就活相談にも乗っていて、最近考えていることは、卒論研究を進めるために必要な意識と、就職活動を進めるために必要な意識には似ている点があるなぁということです。「ええ~?そんなわけないじゃん」と思うかも分かりませんが、ちょっと待って下さい。まずは次の表を見て下さい。

たとえば学生のみなさんに「どんな卒論を書きたいと思っていますか?そして、なぜそのテーマがいいの?」と聞くと、「幕末のごたごたしたところが好きで、もっと知りたいと思ったからです」とか「発掘が好きだから」とか「美術館である絵を観て、とても感動したから」とかいった答えが返ってきます。時には「ご先祖さまが歴史上の偉人でその人のことをもっと知りたかったからです」という方もいらっしゃいます(すごい!!)。もちろん、そうした答えもまた研究の意義であるわけなのですが、それは、表のなかでは「あなたにとっての研究の意義」にあたるわけです。つまりAです。

しかし卒業論文というのは、誰かに読んでもらう文章であるわけです。卒論を書いた結果、自分の知識が深まって良かったですというだけではかなり物足りないと思います。

つまり、良い卒業論文を書くためには、読み手への配慮ということが必要になってきます。自分の書いた(書くであろう)卒論が読者の知的好奇心をいかに刺激するか、読者の歴史知識をどのように広げるかということをしっかり考えてみねばなりません。そのためには、今まで語られてきた歴史に、あなたの卒業論文が加わることで、歴史のイメージがどんな風に変わるか、どんな風に膨らむかということに対して自覚的であることが重要になってきます。その自覚が生まれた時、あなたの卒業論文はみんなに愛され、みんなから高い評価を受ける論文になります。つまりAの卒論からBの卒論への進化です。

就職活動も同じだと思うんですよね。

「やりたいことが見つからないんです。働くのは嫌じゃないんです。ただ、志望動機が全然思い浮かばないのに、就職活動でどこかの会社を選ばなきゃいけないのが嫌なんです。もうこうなったら、どんな仕事でも良いんです。朝起きたらいつの間にかどこかの会社に勤めていて、起きて働きにいかなきゃいけないくらいの感じでいいんです。」などということを語る学生が時々います。そしてそのような状況だと就職活動時にも志望動機を力強く語ることができずに苦戦したりするわけです。あるいは就職活動自体になかなか前向きになれなかったりもします。

将来に思い悩んで、そんな風にやさぐれたくなる気持ちも充分にわかります。でもそんな人にこそ、あえて問いかけてみたいのです。

「あなたの夢はなんですか?」と。

「マジシャンになりたいです」これは私の甥が幼稚園のときに語った夢です。みなさんのなかにも「教員になりたいです」「アナウンサーになりたいです」「雑誌編集者になりたいです」「学芸員になりたいです」……といった夢をいだいている方がいらっしゃるかも知れません。そしてそんな風な夢を自分は持てていないから、仕事を選べないと悩んだりはしている人もいるかも分かりません。

この悩みはある種当然です。「あなたの夢はなに?あなたはなにがしたいの?」と聞かれたら、普通は就きたい職業のことを聞かれていると思うからです。そして就きたい職業を答えられないのは、自分が未熟だからと感じ、自己嫌悪におちいるからです。そして、多くの生徒・学生が就きたい職業を答えるための理論武装に奔走します。

しかし、私は、「そんなことで悩む必要はない!」とあえて断言したいと思います。もちろんそうしたことも夢ですし、持っていてもいいとは思うのですが、具体的な業種名を挙げて「私は○○になりたいです」と語る種類の夢はあってもなくても、どっちでもいいんじゃないかなぁと私は思っています。

なぜなら「○○になりたいです」という夢は「あなただけで完結する夢」(表でいうとCですね)であって、そのことを誰かに語ったときには「ああ、そうなの。頑張ってね!」と応援されはするでしょうけれども、人とつながり、人を巻き込んでいく力に乏しいと思うからです。

「社会人になる」という表現は日本独特の表現だそうです。そもそも人間は生まれた時から人と人の間で生きている存在なのだから、生まれながらに「社会人」なんじゃないかという意見もあります。ただ少なくとも現在の日本においては、教育を受けているうちは生徒・学生であって、卒業したら社会人になるということになっています。

では「社会人になる」ってどんなことなのでしょうか。

「社会人になる」ということは社会の構成員として認められることだと思うのです。そして認められるためには、誰かの幸せを願い身体を動かすことが大事であり、そして、たとえ直接は言われなかったとしても、「あんたがいてくれて良かったよ」と誰かに思ってもらうことが必要なんじゃないかなと私は思っています。人と人が助け合って生きている社会の構成員として認められること、誰かを幸せにすることで自分も幸せになること、それを実現して初めて人は「社会人になる」のではないでしょうか。

そこで重要なのが「あなたは将来なにをしてあげたいの?」という問いです。

いずれ社会に出るみなさんには、誰かを幸せにする夢や、こんな風に世界を変えてみんなを笑顔にしたいんだという夢を語ってほしいと思います。そうした夢であるならば、その夢は他の人を巻き込む力をもつDの夢になります。

夢という言い方が紛らわしくて分かりにくいということであれば、少し大仰かもしれませんが、「自らの社会的使命を語ってみよう」といいかえても良いかも分かりません。

核となる夢はふんわりしていていいんだと思います。

「私の大好きなフランスの文化を日本にもってきたい。そのためにワインをもっとみんなに飲んでほしい。ただワインだけを持ってくるのではなく、そのワインを作っているフランスの人たちの思いごと、日本に持ってきたいんです。そのことで日本の食卓がさらに豊かになれば、みんなを笑顔にできると思うんです」これは昨年卒業したOGの夢です。

「ネットワークシステムは無味乾燥なものだけども、国境を越えて世界中の人と人を結びつける可能性があると思うんです。人と人が結びつけば、新しいアイデアも生まれてくるし、もっと安全に、快適に、みんなが暮らせると思うんです」これはSEを目指した歴文生の夢です。

「身体が弱って困っているお年寄りが少しでも生活を楽しめる様に、生活をサポートするような技術が込められた老眼鏡とか補聴器とかをもっと知って欲しいんです」そんな夢を語った学生もいます。

これらの夢の先には、誰かの笑顔があります。そして、誰かを笑顔にすることを考えている限り、あなたのことを受け入れてくれる人は必ずいます。また「そうだよね、それ大事だよね」と賛同してくれる人もいるでしょう。

私は大学時代劇団サークルに所属していたのですが、その時のスタッフ仲間の1人は、今都内のとある劇場で働いています。相当有名な劇場でしたので「よく採用されたねぇ!」と当時聞いてみたところ、彼女はこう答えました。「世の中に良いお芝居は数多くあるので、たくさんのお客さんに足を運んでもらって、そういうお芝居が広く知られるためのお手伝いをしたい、という志望動機を語ったんだけど、採用してくれた人に話を聞いてみるとそういうこといったの私だけだったんだって」と。あくまでも想像ですが、彼女のほかには、自分がいかに芝居を愛しているか、あるいは劇場で働くという夢をかなえたいということを語った人はたくさんいらしたのでしょう。しかしその夢は必ずしも「誰かの笑顔」にはつながっていないと思うのです。しかし、彼女の夢の先には「誰かの笑顔」があります。受け手の気持ちを想像して、人とつながろうとする力があります。

卒論や就職活動のことで話をしている時に、AやCの次元で自分の気持ちを語る人が多いように思います。その度に「思考モードを切り替えてみよう、視野を広げてみよう」と私は言います。AやCといった「自分の夢モード」から、BやDといった「誰かを笑顔にしたいモード」への転換が必要だよと。もちろん働くということには、労働力を差し出し、その対価としていくばくかのお金を得るという側面があります。大学を卒業したら、現実的には、生きていくために企業に就職するという選択肢しかほぼないことに息苦しさを感じることもあるでしょう。しかし今回書いたのは、卒論研究の意義や就職活動の志望動機などといった狭い次元に限定された話ではないつもりです。たとえ起業するにしても、あるいは恋愛にしても(?)、「自分のやりたいことをやる」の精神ではおそらくうまくいかず、「なにをしてあげると笑顔にできるか」ということを考え抜かないといけないわけであり、同じだと思います。

いろいろな場面において、A・Cモードの発想ももちろん持ち続けるべきだ思うのですが、あわせてB・Dモードの語りもできるようになってほしいなということであります。

じゃあ、お前はどうなんだといわれると・・・

「歴史学をおさめることは、自分が得た情報をより深く分析し、活用していく力を持つことだと思うんです。その力は、自ら考え、幸せに生きていくためにどうしても必要な力なんです。私はこれからを生きる女性たちに、その力を持って欲しいんです。持たせたいんです」

これが私の夢です。

青臭い夢を一緒に語ろうよ!