こんにちは。西洋史の小野寺です。
先週の9日に、立正大学にて三大学共同ゼミ合宿の1日目が行われました!
今年度のテーマは、「ドイツ・メルケル政権による移民政策の是非」。
合宿の二日目では、賛成側・反対側に別れてその是非をめぐってディベートを行いますが、まず一日目では難民・移民の歴史的経緯について、(1)アメリカと移民、(2)ユダヤ人難民とパレスチナへの移住、(3)ドイツ人被追放民とその統合、(4)トルコ系住民のドイツ社会への統合という4つの班に分かれてプレゼンを行いました。
三大学共同ゼミも今年で三年目になりますが、今年のプレゼンはどの班も非常にレベルが高かった!
(2)ユダヤ人難民の班は徹底的な文献調査が印象的でしたし、(4)トルコ系移民の班は、具体例を適宜織り交ぜながらすっきりとした立論に仕上げていて、非常に聞きやすい報告でした。
三つの異なる大学による混成班でしたので、準備はどの班も大変だったようですが、その苦労はきちんと内容に反映されていたと思います(下は最優秀プレゼン賞を獲得した4班に対する景品授与。教員がドイツから様々な景品を持ち帰ってきました!)
そしてそれが終わると、グループを変えてのKJ法。
難民・移民を受け入れることによってどのような利点があるのか、あるいはなぜ彼らを受け入れるべきなのか。
逆に、難民・移民を受け入れることで、どのような問題が生じるのか。
みんなで知恵を出しながら、グループとしての議論を組み立てていきます。
こうしたグループワークを通じて、どの班も気づいたこと。
それは、物事には必ず「表と裏」があり、それは分かちがたく繋がっているということでした。
難民や移民を受け入れればホスト国には大きな経済的負担となるが、一方で彼らは将来の労働力、社会保険の担い手として有益な存在ともなりうる。
彼らを受け入れることで様々な文化・宗教と接触する機会を得られるけれども、そのことはしばしば文化的衝突をも生み出す。
ディベートのテーマとなるものは、たいていの場合、片方が絶対的に正しく、もう片方が絶対に間違っているということはありません。
どちらにも理はある。
であるからこそ、どちらに「より」理があるのかということを、双方が論理を尽くして説明していかなければいけない。
絶対的な正解が存在しないなかで、よりよい解決策を見いだしていくために必要なことは何か。
そうしたプロセスを、皆さんには是非体感してもらえればと願っています。