懸命に背伸びをしながらドア越しに外を見ている男の子が、時折、「ショウタ4才がんばります」と独り言をいう。(おお、ショウタ君、4才か。なんだかわかんないけど、がんばれ)と私は心の中で応援した。また、また、また言った。「ショウタ4才がんばります」今度は力強い。と、振り向いて、「お母さん、10両連結だった」と言った。スマホに熱中するお母さんは、「10両だった。エライね、また教えて」と応じた。ショウタ君は通過する快速の車両数を数えていたのだった。どうやら10両以上数えられると意気軒昂になるようだ。ショウタ君はまた背伸びをしながら快速の通過を待ち構えている。
亀戸駅で停車した。ドアが開いたままだ。「錦糸町駅で線路に横たわっている人がいる」からしばらく停車すると車内放送があった。乗客は多くはなかったが、それでも「線路に横たわっている」という説明に反応してあれこれと推量を口にしていた。
さてショウタ君、駅名看板を読みだした。
「か・め・い・ど」(おお、平仮名も読めるのか。10両だとか、連結だとか知ってるし、すごいぞ。)
「亀〈かめ〉。…お母さん亀の次の字なあに?」 (亀が読めるのか。すごいぞ。でも)
「戸〈と〉」とお母さんは相変わらずスマホがてらに答えた。
「かめ・と」「かめ・と?」
「お母さん、〈い〉は?」
「亀・戸と書いて、かめいど、と読むの」
「いつから?」
「昔から」
「かめと・かめいど・むかしから」「かめと・かめいど・むかしから」
ショウタ君は小さくつぶやいていた。
4才ショウタ君はすごい。亀が読めて、戸が読めなかった不思議な4才ショウタ君。感動ものだ。頭が下がる。わたしは小学校入学式前夜まで平仮名書きの自分の名が読めなかった。父親がどこからか「あいうえお」積み木を借りてきて一字ずつ覚えさせようとしたが駄目だった。出来の悪いアホだったのだ。4才ショウタ君に刺激されて下車して天神様にお参りに行った。少しは賢くならねば。
太鼓橋を渡っているうちに、ついでに散歩しようと思いついた。香取神社と伏見稲荷を拝んで、臥龍梅の梅屋敷跡に行った。「ここで、お露は新三郎を見染めたんだったな。むかしは若い二人の出会いにも風情があったんだ」「一茶も子規も来たんだ」などと一人愉しんだ。ゴッホも真似た広重の絵が説明版に載せてある。なら北斎にも挨拶しなければと少し歩いて祐天上人を拝み、芥川や左千夫も遊んだ柳島の妙見様・法性寺の北斎墓に詣でた。しばらく来ないうちに境内はずいぶんと整理されていた。門前の西十間橋の上にはスカイツリー撮影用の高価なカメラだけが並んでいる。はてさて次はどう行こう? 能勢の黒札海舟様か押上春慶寺の左馬之助かと迷って、結句春慶寺脇のいなり寿司を土産にするという理由をつけて春慶寺にお参りした。ここはスカイツリーのてっぺんも仰向けに寝っ転がらねば見えないなと思っていたら、実行している人がいたので驚いた。
4才ショウタ君に刺激されて、ちよっと寒かったが古希老人はがんばって歩いてしまった。
(仏教文化史担当・関口静雄)