11月15日(水)に、今年度2回目の特殊研究講座が開催されました。
武蔵野美術大学教授の玉蟲敏子先生を講師としてお迎えし、「江戸美術史のフィールドワーク」というタイトルにてご講義いただきました。
本阿弥光悦・俵屋宗達、尾形光琳、酒井抱一らの「琳派」研究を中心に幅広くご研究をされてきた先生ですが、今回は先生が近年とくにご関心を寄せられているご研究の視座についてのお話となりました。
すなわち江戸時代の都市江戸とその近郊における、画家を含む文化人の織り成す文化の様相を解明するうえで、作品の分析や文献の解読のみならず、その土地へのフィールドワークを通じて光を当てる手法について、いくつかの例を掲げてご説明頂き、その手法を取ることによって広がる可能性についてお話頂いたのです。
池上本門寺にある狩野家墓所のお話からは、作品や文献から直接感じることが難しい、江戸時代の画壇に君臨した狩野家の絶大なる権力を、墓の規模から体感するという、フィールドワークの醍醐味が伝わる一方、青梅に残された酒井抱一の句碑を訪ねたお話のうち、句碑のあった村がダム開発のために村ごと湖に沈み、句碑のみが残ったエピソードは、フィールドワークによって見えてくる「闇」の側面を物語るものでした。
まさに「手で考え、足で見る」歴史文化学科のモットーにふさわしいお話をして頂き、学生の皆さんも様々な意見を持ったようです。
ここでは日本美術史ゼミ(3・4年生)の学生によるコメントの一部をご紹介したいと思います。
江戸美術について、地域性と関連付け、その研究方法としてフィールドワークを用いるという、一見美術研究には繋がらないのではないかと思った。しかし、お話を聞いていて、一つの研究に対して多数の視点から見る重要性を感じた。
特に、授業の後半、ダムで沈められてしまった歴史的重要地域について、「私たちは戦争や人的被害などの歴史を平等な目で向き合わなければいけない」と先生がおっしゃった事が印象に残っている。
今回学んだ先生の研究姿勢など、自分が卒業論文に取り組むうえで少しでも取り入れ、活かしていきたいと考えている。
(4年生)
先生のお話を聞き、観光も一種のフィールドワークなのではないか、と感じた。いくら絵と詞所が書かれた本やホームページを見ても、実際に行って感じる空気はそこにしかないからだ。私はやはり歴史が好きなので、よく神社や寺等、歴史に付随する場所には良く行くが、その度に過去とのつながりを一身に感じる。もちろん、プラス・マイナスの両面あるとは思うが、人のつくってきた歴史に触れることは面白いことだと思う。
今回の講演をきっかけに、フィールドワークとして過去と今のつながりを感じるような観光をしたいと思った。
(4年生)
狩野派のケースで江戸狩野派の祖である探幽の墓石が一番大きくその権力を表しているというお話でフィールドワークをお墓に行くところまで結びつける点に驚きました。
自分自身、日本美術史を学んでいてフィールドワークをしようと考えても実際に作品を観に行くこと以外はしたことがなかったので、玉蟲先生のようにもっと柔軟に、自分のテーマについて考えられるようにして行きたいと思いました。
(4年生)
私の中では、フィールドワークというと民俗学のような分野が思い浮かび、日本美術にはほとんど縁がないようにも感じていましたが、今回のお話を聞いてその考えが改まりました。
絵画に描かれている場所に実際に赴いてみることで、その土地の歴史が分かり、その絵画に対し、新しい見方が見つかることもあるというのが大変興味深いと思いました。
(3年生)