不安との付き合い方

西洋史の小野寺です。
突然ですが、この3月をもって本学を退任することになりました。
専任教員として5年、非常勤講師として2年、あわせて7年間歴史文化学科にはお世話になりました。

この7年間を振り返って一番強く感じるのは、学生の皆さんには本当に恵まれたということです。
コツコツ真面目に、愚直に誠実に課題に取り組む皆さんの姿勢には、ずっと感銘を受けてきました。
真面目に努力するのは人間として当たり前のことだという風潮が世間にはありますが、決してそんなことはありません。
卒業して社会に出ればそれが「当たり前」ではないということに、皆さんは遅かれ早かれ気づくことでしょう。
そして、努力できるというのは人間としてかけがえのない能力であり、財産だということも、すぐに理解することになると思います。

そして学生の皆さんから改めて教わったのは、そうやってコツコツ努力することによって、人間はものすごい成長を遂げられるのだ、ということでした。
まったく論理的な文章が書けなかった学生がみるみるうちに、素晴らしい文章が書けるようになる。全然英語が読めなかった学生が、必死に食らいついていくうちにぐんぐんと読解力を向上させていく。問いや問題意識を、素晴らしい次元にまで深めていく。
そういう幸せな現場に、私は何度も出会うことができました。

この7年間、この学科で西洋史を教えるなかで私はいろいろなことを言ってきましたが、一番言いたかったのは「過去と現在は密接に繋がっている」ということだったと思います。
過去は過去、現在は現在というふうに切断されているのではなく、過去を学ぶということは、現在生きている私たちや私たちの社会そのものを問うということなのだ、と。

私が講義でよく使ったたとえに「らせん階段」があります。
らせん階段は上からみると、ぐるぐると同じ循環運動を繰り返しているように見えるけれど、横から見ると上に向かってどんどん上昇している
歴史も似たようなもので、一見人間は同じようなことを繰り返しているようにも見えるけれど、時間が進むにつれて循環しながらもちょっとずつ前に進んでもいる(逆の言い方をすれば、時代が変わったとしても、少しずつ形を変えながら同じようなことを人間は繰り返す)

人間の可能性は無限だし、将来何が起こるかは正確にはわからない。
そしてまったく同じことが二度繰り返すということも、ほとんどあり得ない。
だから、未来を正確に予測することはできない。
しかし、人間が似たようなことを繰り返すことは確かであって、過去を学んでいれば、自分がどこから来て、今どこにいて、これからどこに向かうのかを、ある程度正確に理解できるようになる。
それが私の言いたい、「過去と現在は密接に繋がっている」の意味だったと思います。

4月からは私は新しい大学に赴任することになります。
新しい職場への期待もある一方、慣れ親しんだ歴文を離れるというのは、正直かなり不安です。
卒業生の皆さんも、そんな期待と不安とが入り交じった、落ち着かない日々を過ごしているのではないかと思います。
しかし、不安というのはとても大切で貴重な感情なのだとも思っています。
不安だからこそ新しい環境でさまざまな人びととコミュニケーションをとったり、不安だからこそ自分なりに一生懸命努力したり。
その重圧に押しつぶされることなく、前に向かうエネルギーとして不安を理解するのであれば、「仲間」とはいかなくても「伴奏者」くらいにはなれる感情なのではないかと思います。
新生活を迎えるみなさんには是非、不安という感情とうまく付き合って、前進してもらいたいと思います。

またみなさんとお会いできる日を楽しみにしています。
どうぞお元気で!!