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早川ゼミでは毎年、3年生の希望者によりゼミ旅行を実施しています。
展覧会鑑賞、美術の制作体験、文化について視野を広げることが目的です。
2026年は、8月10日、11日の二日間、ゼミの3年生6名と金沢を訪れました。

今回の旅で印象に残ったのは、現地で見聞きしたことが、以前から知っていた人や作品、学生時代の記憶と、思いがけないところでつながったことです。
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旅の始まりにも、小さな偶然がありました。
北陸新幹線の車内で、知人のN先生も金沢に滞在していることが分かり、連絡を取ってみることに。
残念ながら時間は合いませんでしたが、訪問先が少し重なっていると知り、思わずうれしくなりました。
N先生は移転した金沢美大に向かったようです。
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知人も同じ町を歩いている。それだけで、旅先が少し近く感じられます。

古い樹木と金沢の思想
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初日は、学生がリサーチした、ひがし茶屋街を歩いた後、兼六園へ向かいました。
園内で目を引かれたのは、長い年月を生きてきた庭木です。
なかでも、地面から大きく根を現した数々の「松」が印象に残りました。
人がつくった庭に江戸時代からの植物の時間が重なり、大きな景観をつくっていました。
早川は景色の研究をしているので、興味深く見てきました。
午後は、香林坊にある「工房ひょんの木」を訪ねました。幕末に建てられた武家屋敷を活用した九谷焼の絵付け工房で、建物と土塀は国の登録有形文化財となっています。

ここでは、ゲストでお呼びした金沢の美術家・眞壁陸二さんから、アートと工芸、金沢の思想についてお話を伺いました。
登場したのは、西田幾多郎の『善の研究』と、鈴木大拙の思想における「無」。
旅先の講座としては、少し大きなテーマです。
大拙を景色研究に寄せれば、たとえで「景色を対象として分析する前に、景色のなかに身を置き、こちらと景色とがともに立ち現れる経験」を考えるということでしょうか。
しかし、思想家が育った町を歩き、庭や建築、工芸品を見て話を聞くと、抽象的な言葉にも少し手触りが生まれます。
思想は本にあるのではなく、風土や暮らしとも関係している。学生たちにとっても、作品の背景にある土地や文化へ目を向ける機会になったのではないでしょうか。
人の縁と、水の町
眞壁さんとの話からは、意外なつながりも見えてきました。
九谷焼窯元の六代目・Kさんが私の大学時代の同期であること、さらに、眞壁さんの出展している瀬戸内国際芸術祭で「ぱらぱら絵画」による作品を発表した作家にも同期がいることを、次々と思い出したのです。
学生たちは、Kさんのショップにも足を運びました。
工芸の話が大学時代の記憶につながり、さらに瀬戸内の現代美術へと広がっていく。
文化は、「工芸」「美術」「思想」といった分野別の棚に収まるものではなく、人や土地を介して互いに結びついていることを実感しました。
講座の後は、長町武家屋敷跡界隈から片町を抜け、犀川まで歩きました。
それにしても、金沢は水の町です。路地には用水が引き込まれ、場所によっては驚くほど勢いよく流れています。水の音と速さは、実際に歩かなければ分かりませんでした。

犀川沿いでは、室生犀星の「ふるさとは遠きにありて思ふもの」という一節が話題になりました。
作品のなかで知っていた言葉が、作者の歩いた川辺の風景と重なり、少し違って響きます。
犀星は庭づくりに触れており、『庭を造る人』『庭と木』『日本の庭』など、庭や樹木に関する文章も残しています。
今回の旅をきっかけに、こちらも改めて読んでみることにしました。

夜のギヤマン
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講座の後も、眞壁さんとしばらくお話しし、「善」と「無」という大きなテーマから、学生時代の記憶や現在の制作活動まで、話題は尽きません。短い時間でしたが、金沢でのうれしい再会となりました。
夜は、教えていただいた尾山神社へ。
国指定重要文化財の神門には和・漢・洋の建築様式が取り入れられ、最上階には五色のギヤマンがはめ込まれています。
異なる文化の様式を大胆に組み合わせながら、不思議と一つの姿にまとまっている。
夜の光に浮かぶ神門は、とりわけ印象的でした。
西田幾多郎の「善」と鈴木大拙の「無」。九谷焼と現代美術。室生犀星の文学と庭。
そして、夜のギヤマン。一見別々のものが、町を歩くうちに少しずつつながっていく。
金沢旅行の初日は、この町の文化の層の厚さを、自分たちの足で確かめる一日となりました。
(早川)