皆さんは、自分の「アイデンティティ」というものに疑問を持ったことはありますか?
自分は何人なのか、とか、自分って何者なのか、とか。そういうことを考えたことはありますか?私にはそういった経験はありません。なぜなら誰にもそんなことを聞かれたことがなかったからです。でもこの広い世の中には、「私」という至って単純(そう)なものを巡って葛藤している人が多くいます。もしかしたら皆さんもその一人かもしれませんね。
今回私たちシムゼミは、SGRAカフェという渥美国際交流財団主催のイベントに参加しました。テーマは「『混血』と『日本人』ハーフ・ダブル・ミックスの社会史」という、とても興味深いものでした。発表は下地ローレンス吉孝さん。名前からも察することができますが、彼自身、母方の祖父がアメリカ人というミックスルーツをお持ちの方です。
「ハーフ」と呼ばれる人々。彼らは時に日本人として、時に外国人として、自分の意志というよりも、他人の意志により判断されます。差別の対象になるのも、羨望の対象になるのも他人次第。とても曖昧なラインに立たされています。では「日本人」であることと「外国人」であることの境界線はどのように引かれているのか?そもそも「日本人」とは何なのか?そういったことについて考えさせられる興味深い内容でした。
私個人の感想として、諸説はあるものの日本は古くから世界でも稀に見るほぼ単一民族国家だと言われているせいか、「差別」というものにものすごく疎いように感じます。自分たちにとっては何でもない言葉・行動も、一歩間違えれば誰かを傷つけかねない、そのことがまだまだ理解されていない、そう感じます。
今これだけ人の流れが速くなり、色々な国と地域の人が日々行き交っています。日本も例外ではありません。街を歩けば外国人、外国人と日本人のカップル、そしてその子供たち、多種多様な人々とすれ違います。様々なバックグラウンド、ルーツが入り乱れる中で、「日本人」というものに固執する必要は果たしてあるのでしょうか?日本人、外国人、そういった枠で物事を考える必要があるのでしょうか?一度考えてみてください。
Put yourself in their shoes, just for once. Thank you.
(記事:シムゼミ3年・新保)