現代教養学科ブログリレー ―図書紹介・小川―

「新型コロナウイルス拡大下の日本社会を異なる視点で考えるための新書3冊」

みなさん、こんにちは。現代教養学科の小川豊武です。ブログリレーの2番手を担当させていただきます。依然として新型コロナウイルス拡大に伴う外出自粛が継続している中、みなさん、ご無事に過ごされていますでしょうか。新入生のみなさんは、大学での学びがどのように始まるのか、在学生のみなさんは今後の授業やプロジェクト活動はどうなるのか、4年生のみなさんは就活や卒論がどうなるのか、いろいろ不安を抱えている方も多いことと思います。瀬沼先生も書かれていましたが、私も生まれて初めてのオンライン授業の準備に苦戦しており、不安で仕方がありません。

こうした辛い時に、物事の捉え方を変えてプラスの側面を見出し前向きに過ごす、といった自己啓発ももちろん大切なのですが、こういう非常事態の時こそ、みなさんには、世の中の動きや社会の仕組みを冷静に観察することの大切さをお伝えしたいと思います。その理由は、このような非常事態の時こそ、それまでの私たちの社会を形作っていた「暗黙の常識」(価値観や規範)が浮き彫りになるからです。(また、視線を自分の周りではなく社会に向けることは、視野狭窄になって悩みのループに陥ってしまうことを避ける効果もあり、それこそ自己啓発としても有効です。)

新型コロナウイルスに関する世の中の発言を見ていると、現代社会においてますます科学の専門家の重要性が増していることを実感します。そうした専門家の方々の専門分野は、感染症対策や国際政治・経済などがほとんどで、それ以外の専門分野の視点でこの問題を捉える機会が少なくなっているように見えます。そこで、今回は、「新型コロナウイルス拡大下の日本社会を異なる視点で考えるための新書3冊」として、この非常事態下の日本社会について考えるために役立ちそうな本を3冊、みなさんにご紹介をしたいと思います。(※なお、今回の書籍はすべて電子版でも入手可能です。画像リンクにはアフィリエイトを使用していません。)

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⑴メディア論・ジャーナリズム論の視点


みなさんは、新型コロナウイルスに関する情報をどのように入手しているでしょうか。おそらく、ふだんよりもテレビや新聞をよく見るようになり、ニュース報道で情報収集しているという方が多いのではないでしょうか。また、スマホを使ってインターネットから入手しているという方も多いと思います。しかし、ネット上のニュースも、実は多くがテレビや新聞などのマスメディアをソースとしています。非常事態における、ある程度信頼のできる情報入手手段としては、マスメディアはまだまだ健在です。

新型コロナウイルス拡大下のマスメディアの報道を見ていてまず指摘できることは、「各国政府の対応がリアルタイムで比較検討され、評価されるようになった」ということです。これは地震や台風など、ある程度限定的な範囲に被害をもたらす災害の報道ではあまり見られなかった現象です。このブログ記事を書いている4月17日現在で、政府の新型コロナウイルスに対する経済対策として予定されていた現金給付が、所得が減少した世帯向けの30万円という案から一転して、一律10万円給付という案へ変更することが検討されていますが、これも他の国で日本に先んじて一律の現金給付がされていることが、報道で広く知られており、それによる世論の不満の高まっていることを受けてのことだと思われます。

マスメディアによって各国政府の対応がリアルタイムで比較検討されるようになったことを受けて、日本の政治の特殊性だけでなく、日本の報道の特殊性も徐々に明らかになってきたように見えます。こうした日本政治や報道の特殊性について考える際に示唆を与えてくれるのが、望月衣塑子氏・ マーティン・ファクラー氏の『権力と新聞の大問題』 (集英社新書) です。この本は官房長官の記者会見での質問が話題になった、東京新聞記者の望月氏とニューヨーク・タイムズ前東京支局長のファクラー氏が、他国から見ると「不思議の国」に見える日本のメディア状況について語り合った対談本です。政治家の記者会見に見られる記者クラブ制度の特殊性や、政治家のメディア掌握戦術など、日本の政治やメディア報道の在り方について考える上で興味深い内容が満載の本です。

 

⑵格差論の視点

メディアの報道を見ていて気がつく第2の点は、今回の非常事態の被害はすべての人々に及びつつも、その影響の大きさは決して一様ではないという点です。今回の非常事態宣言では、幅広い業種に休業要請が出されていますが、実際問題として、休業できる所と、休業したくてもできない所に分かれてしまっています。休業したくてもできない所には、ふだんから経営が苦しい中小企業などが多く含まれています。またこの中には、もともと休業要請を出されていない業種も含められます。そうした業種には、医療・福祉、コンビニ・スーパーマーケットなどの生活必需品提供施設、飲食店などの食事提供施設、ホテルなどの住宅・宿泊施設、そのほか、工場、金融機関、官公署などがあります。

このような休業要請を出されていない業態を、海外では「エッセンシャル・ワーカー」と呼ばれることがあるようです。エッセンシャル・ワーカーとは医療従事者に加えて、新型コロナウイルス対応のために自宅外で働いている人々のことを指します。そして、こうした人々の中には、いわゆる「非正規労働」という形で、生活が不安定な状態でコロナ対策に従事されている方も少なくありません。つまり、こうした状況からは、あくまで相対的にですが、「正規労働者は在宅勤務がしやすく、非正規労働者は在宅勤務をしにくい」という構造が見えてくるのです。いわゆる「格差」の問題です。このような格差の問題がもはや一時的なものではなく、固定化された「階級」になっており、分断状況が生じてきていると指摘しているのが、社会学者の橋本健二先生による『新・日本の階級社会』(講談社現代新書)です。経済対策として当初出されていた、生活が苦しい世帯へ向けた現金給付へのバッシングにも、(制度が分かりにくいといった問題に加えて)こうした分断状況が関係していると言えるかもしれません。

 

⑶労働論の視点

しかしながら、正規雇用労働者の、いわゆるホワイトカラーと呼ばれる人々も、みなが在宅勤務ができているかというとそうではありません。各所で指摘されていますが、日本の在宅勤務率は諸外国と比べても著しく低い状況になっています。ホワイトカラーの業務は基本的にパソコンを用いた事務作業がメインです。そのため、家にパソコンとネットワークがあればできる仕事はたくさんあるはずです。また、社内外の人たちとの会議や商談などもありますが、こうしたこともZoomなどのオンライン会議システムで、ある程度は在宅のまま実施することが可能です。にもかかわらず、職場に行かないといけないというのはいったいどうしてなのでしょうか。

その理由については、紙の書類に判子を押さないといけない「紙文化」の弊害などが指摘されることもありますが、その他にも様々な理由がありそうです。あるテレビ番組では家でも仕事しようと思えばできるが、「なんとなく出社してしまう」という会社員の声が紹介されていました。ここには、「職場に行って、そこにいるということ、顔を見せるということで従業員としての責任を果たす」という高度成長期以来の、日本の独特な企業文化が関係していると言えそうです。こうした日本の雇用システムの特殊性について明快に論じているのが、濱口桂一郎氏の『若者と労働 「入社」の仕組みから解きほぐす』(中公新書ラクレ)です。

濱口氏によれば、実は日本の雇用システムは、欧米諸国(例外もありますが)のように特定の職業に就くという「就職」型ではなく、会社に入るという「入社」型になっています。「就職」型社会の場合は、従業員は会社との契約で決められた職務を果たすことが従業員としての責任をまっとうすることになります。しかし、「入社」型社会の場合は、予め職務範囲が明確に決められていないため、際限なく職務が増えて長時間残業が横行してしまうという問題が生じたりします。このことを踏まえると、先に見た「なんとなく出社してしまう」という発言には、自分の仕事と他人の仕事が明確に区別されていないがゆえに、会社の中に「入って」他の人と一緒に「いる」ことで、「なんとなく」従業員としての義務を果たすという、日本企業に独特の雇用システムが関係していると言えるかもしれません。

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以上、新型コロナウイルス拡大下の日本社会を異なる視点で考えるための新書3冊を紹介してきましたが、もちろん、この未曽有の状況を考えるための視点はこの3つに限られるものではありません。繰り返しになりますが、こうした非常時の時こそ、私たちが暮らす社会が拠って立っている「社会の仕組み」を捉えることができるはずです。瀬沼先生の記事にもあったように、社会学や社会科学はもちろん、それに留まらない幅広い領域の中から知識を磨き、「教養」を磨いていくことが大切です(もちろん、私も一研究者として、一市民として)。日々、不安を煽るような情報が大量に発信されている今だからこそ、冷静に、幅広い視点から、一緒に社会を観察していきましょう。

小川豊武