オリンピック

 もう50年以上も前のことになりますが、1964年の東京オリンピックでは本学のキャンパスの中央にある体育館が、世界各国の体操選手の練習会場となりました。私が高校生の時のことです。外から覗くと、チェコスロバキアの選手たちが平均台の練習をしていたことを記憶しています。1993年からはチェコ共和国とスロバキア共和国が分離したので、チェコスロバキアという国があったことを知らない方もあるでしょう。「オリンピックの名花」と呼ばれたベラ・チャスラフスカ選手もきっとこの中にいたのかもしれません。この年に、オリンピック協会から大学にいただいた五輪旗は、その後、昭和のグラウンドで行った全学園の体育祭の入場式の先頭を飾ったものでした。

(今も残る体育館)
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 チャスラフスカさんは、1942年生まれで今年74歳。1964年の東京オリンピック、1968年のメキシコオリンピック女子体操の個人総合で優勝しました。チェコスロバキアの首都プラハへのソ連軍侵攻に反対したことから、東欧での民主化の波がチェコスロバキアの共産党政権を崩壊するまで迫害を受け続けたそうです。1990年には、大統領補佐官として彼女は再び日本を訪れています。
 日本では今、次々とリオデジャネイロ大会の代表選手が発表されていますね。皆さんはクレー射撃の競技をご存知ですか。いくつかの種目に分かれていますが、基本的には散弾銃で動く直径15センチ程のクレーと呼ばれる素焼きの皿を撃ち壊していくスポーツ競技です。リオ五輪の代表選手に、昭和女子大学卒業の石原奈央子さんが選ばれました!
 石原さんは文学部日本文化史学科を1997年に卒業され、ご実家は栃木県の天狗で有名な古峯神社です。イギリスに5年間留学もされました。アジア予選で1位になり、この種目で初の日本女子の五輪出場となるそうです。また、リオのパラリンピックの水泳でも本学に在学中の福祉社会学科2年の森下友紀さんが、水泳S9クラスで100メートルバタフライに日本の代表として出場します。
 近代オリンピックでは、様々な競技が行われてきました。1920年のアントワープ大会までは綱引きも競技種目になっていたそうです。オリンピック競技のテレビ中継はきっと皆さんがご覧になると思いますが、これを機会にオリンピックの歴史を振り返ってみると興味深いことがたくさんあるのではないでしょうか。そして、みんなで本学学生の森下友紀さん、卒業生の石原奈央子さんを応援しましょう。

(リオのオリンピック 女子クレー射撃代表の本学卒業生 石原奈央子さん)
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(リオのパラリンピック 水泳代表の福祉社会学科学生 森下友紀さん)
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