皆さんは、昭和学園記念室がどこにあるかご存知ですか。見学されたことはありますか。
創立者人見記念講堂の一階の入り口に向かって右側、講堂事務室に向かう階段を上がり、左手のガラスの扉を開け、すぐ右手に歩いて、初めの右手の扉の部屋が昭和学園記念室です。ちょっとややこしいですね。部屋が開いていない時は、隣の光葉同窓会事務室に声をかけていただくと、鍵を開けてくださることになっています。
(昭和学園記念室)
ここは応接室となっていて、創立者人見圓吉先生、第二代理事長人見楠郎先生の思い出の品や本学の歴史に関する数々の品が展示されています。日本女子高等学院の創立、菊池寛賞受賞などにかかわる貴重な資料も含まれています。
(菊池寛賞)
在学中の学生の皆さんは創立者人見圓吉先生のことは、入学の時に渡される『学生便覧』にある「創立者人見圓吉と緑夫人」の写真だけでしか、多分、知りませんよね。ここにある短冊に手書きされた「草の息 木の息 森の息 ききて こころ静かに 生きて 行かまし」の歌は東明学林の歌碑にもなっています。
圓吉先生は、どんな青年だったのでしょう。先生のまわりをどんな人たちが囲んでいたのでしょう。私が圓吉先生のお授業を受けたのは先生の晩年の1年間だけでした。特製の袋に入れた牛乳瓶をいつもお持ちになり、大きな講義室で授業をされました。牛乳は健康に良いので、いつもそうなさっていると伺いました。昭和学園記念室は大きな部屋ではありませんが、圓吉先生が愛用されていたベレー帽やマント、それに拡大鏡、老眼鏡、硯箱などが展示されていて、「女性こそが世界を変えることができる」と信じて、文筆家としての筆を折り、女子教育にその後の生涯をささげられた先生のお姿を彷彿とさせます。
大学時代に英米文学科で学んでいた私たちは、アーノルド・トインビーの書いた『世界と西欧』の一部を講読の教材として読んだ記憶があります。その中でトインビーは、歴史的に滅びた民族の共通点は、理想を失う、お金に価値を求めて心の価値を失う、自国の歴史を忘れることにあったと書いていたと思います。国でも、大学でも、家庭でも、その始まりから現在まで辿ってきた道を大切にする気持ちを持ち続けたいですね。
歴史の始まりを知ることはとてもミステリアスで楽しいことです。未知の発見がきっとあります。昭和女子大学の始まりとその歴史からも、私たちの想像を超えるような何かが発見できるかも知れません。もうすぐ創立100周年を迎える本学の歴史の始まりとその歩みを、在学生、卒業生、教職員の皆様も是非、見学していただけると嬉しいです。