望秀海浜学寮 [2016年07月22日(金)]

 房総半島の南端に近い館山市に望秀海浜学寮が開設されたのは、1986年の3月、ちょうど本学の女性文化研究所開設の1か月少し前のことでした。「房州」でなくて、「望秀」と書くのは、「秀(たか)き理想を望みつつ励む」の意味が込められているからです。

 「秀」の文字は、「禾(穀物の穂)」と「乃(なよなよする様)」の文字を組み合わせて作られたという説があり、その説によれば、穀物の若い芽が伸びる様子を意味していたそうで、そこから「すらりと高く穂や花になる芽が出る」、「すらりとぬきんでた穂」「すらりと高く出る」「ほかの人よりすぐれる」ということを表し、「秀でる」とか「優れる」という意味になったということです。ですから「秀き」と書いて「たかき」と読むのは、少々苦しいかもしれませんが、本学で学ぶ者へのに「秀でた理想を望みつつ(目指して)、学生生活に励んで欲しい」という呼びかけの気持ちを表した名称なのです。
 
(望秀海浜学寮の建物)
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(望秀海浜学寮から見る那古の海)
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 本学を卒業してすぐに昭和女子大学附属中高部でしばらく教鞭をとりましたが、その後アメリカに留学、修士が終わって中高部に戻ったのが1977年でした。その年に東明学林が出来ましたから、私が大学生の頃は、茅ケ崎海岸にあった湘南学寮や大磯にあった鴫沢学寮で学寮研修を経験しました。多分、1週間~10日間の宿泊研修で、はっきりと覚えていないのですが、夕食も交替で学生が調理したように記憶しています。鴫沢寮での学寮が終わると、帰りには西行饅頭をお土産に家に持ち帰るのを両親も楽しみにしていましたし、湘南学寮では、海岸散歩と称して茅ケ崎の高級住宅地にある有名な俳優や歌手の家を皆で探すのも楽しみでした。
 
 さて、話を基に戻すと、望秀海浜学寮ができる以前から、中高部では千葉県館山市那古の数件の宿に分泊して研修をしました。研修中に必ず船形の灯台をめざして鏡ケ浦の海を泳ぐ遠泳と、那古観音での盆踊り大会がありました。望秀海浜学寮が建つあたりは、戦国の武将・里見氏を題材に書かれた滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」ゆかりの地で、盆踊りで観音様の境内に集まると、必ず、南総里見八犬伝の話を聞いたものでした。そして、那古観音から見下ろす船形、館山の町の夜景の美しさは今でも心に焼き付いています。もう一つ必ず海浜学寮で行われた行事が、後に昭和の寮が建つという広大な土地の草むしりでした。私は中学校から昭和に入り、中1から高2まで毎年、そして、高3でも中央委員として下級生のお世話をするために夏季寮に参加したので、6年間、麦わら帽子をかぶり太陽がカンカンと照る中で草むしりをしました。でも今では、友達と一緒に作業をしたことが楽しい思い出となっています。学生の皆さん、私たち先輩が汗を流しながら草むしりを何年も続けてできた望秀海浜学寮です。是非、東京のキャンパスではできない活動を取り入れて、有意義に過ごしてください。
 
(望秀海浜学寮に咲くオオマツヨイグサ)
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 そういえば、夏季寮の楽しみを、もう一つ思い出しました。オオマツヨイグサの花が夕方にポッという音を立てて開くのを聞くことです。海岸からの帰寮の順番が最後になり、日が落ちかけてから旅館まで歩いて帰る途中で、小さくポッという音を立てて開く黄色い花を見つけて感動しました。学園のキャンパスのところどころにも、オオマツヨイグザが咲いています。夜に花が開くと次の朝には萎んでしまうので、自宅で咲かない限り、なかなか音を聞くのは難しいかもしれませんね。