本学が「昭和女子大学」となったのが、世田谷区太子堂のこの地に移転してから4年後の、昭和24(1949)年4月のことでした。その年の9月に校内に「先哲の碑」が建立され、さらにその後、昭和59(1984)年に創立者人見記念講堂とグリーンホールの間の場所に移したのが、現在の「先哲の碑」です。先哲の碑は、碑文にもあるように、創立以来、本学園の研究・教育・運営に尊い命をそそぎ、現在の学園の繁栄を築いてくださった方々の業績を顕彰し、感謝の気持ちを捧げるために建てられたものです。
(今年の先哲の慰霊祭の様子)
全学園参加で開催していた時代の体育祭で、学父人見圓吉先生が両手を大きく広げて児童・生徒・学生に応えているお写真がありますが、そのお姿にちなんで、ここで学ぶ者たちを両手で大きく抱いてくださるような形に作られています。先生の故郷である岡山県の赤御影石が使われています。今年も10月4日に全学園の代表者が碑の前に集まり、過去1年間に亡くなられた恩師の慰霊祭を行い、先哲をしのび、感謝の気持ちを新たにしました。そして、本学園のさらなる発展を誓いました。この行事は、毎年秋に行われ(今年は11月9日)、世田谷区若林にある松陰神社での恩師・同窓の墓への合祀慰霊祭の1か月ほど前に行われることになっています。
(創立50周年記念体育祭での学父 人見圓吉)
先哲の碑
- 2016年10月14日
- 歴史