昭和女子大学は今年創立97周年を迎えました。3年後には100周年を迎えます。
小学校、中学校、高等学校、大学と、普通はあまり自分の卒業年度を覚えていないものですが、本学では、よく覚えている卒業生が多いようです。その理由は、祝歌があるからではないでしょうか。毎年、該当の年が創立何年にあたるかを、少なくとも、入学式、創立記念日、卒業式には祝歌の歌詞に入れて歌うからです。数字の読み方には、少し戸惑うこともあるのですが、今年は、「ああ、きゅうじゅうしちねん」と歌っています。
昭和15年10月26日に、本学の「創立20周年記念祭」が神宮外苑の日本青年会館で行われたと記録されています。この折に、「創立20周年祝賀の歌」として発表されたのが、現在の「祝歌」です。「校歌」は、日本の国でたとえれば、「国歌」にあたるもので、正式な式典では必ず歌いますが、その他の会合や集まりでは、「第二校歌」とも呼ばれる「祝歌」を歌っています。
その作詞は、創立者人見圓吉先生、そして作曲は権藤圓立(えんりゅう)先生です。
権藤圓立は、宮崎県の延岡市の真宗大谷派の光勝寺に生まれ、東京音楽学校(現在の東京芸術大学)で声楽を学びました。宮崎県では初の声楽家と言われてます。大正11年、野口雨情と出会い、雨情の媒酌で結婚。夫人である権藤はなよは、童謡「たなばたさま」の作詞者です。大正14年に東京放送局(現NHK)が開局された折には、記念番組で歌曲や童謡を歌い、レコードもたくさん出されています。一方、同時代に、人見圓吉は人見東明として文学界で活躍され、野口雨情とも親交が深く、たとえば、大正9年には「雨情の東京復帰歓迎会」を小川未明、西条八十、窪田空穂などと共に開催したりしていました。昭和女子大学の前身、日本女子高等学院が生まれたのも大正9年。定かではありませんが、権藤圓立とは、少なくとも顔見知りであったのではないでしょうか。
権藤圓立の自筆の「祝歌」の楽譜と歌詞が書かれた曲譜の写真が、『学園の半世紀』に掲載されています。
墨で書かれた五線譜はとても珍しいですね。そして、圓立の雅号は「里芋」と書かれています。「リウ」と読むようです。また、昭和38年に行われた光葉会総会では権藤圓立先生の指揮で祝歌を歌いました。
(昭和38年 光葉会総会にて祝歌の指揮をとる権藤圓立先生 『学園の半世紀』より)
権藤圓立は、小・中・高校や大学の校歌、応援歌などの作曲も手掛けられ、本学と同じ世田谷にある駒沢大学の校歌も作曲されています。高校野球のTV中継では、出場校の校歌の紹介がありますが、その中に権藤圓立作曲という紹介見ることもあります。昭和の「祝歌」、100年はどのように歌ったらよいのかな、ちょっと心配ですが、これからも力強く歌い続けていきましょう。