建畠覚造は1919年に東京に生まれ、日本の彫刻界では「抽象表現のパイオニア」といわれる人で、父親は同じように彫刻家の建畠大夢。長男として生まれ、東京美術学校彫刻科を卒業後、渡仏しました。1962年から多摩美術大学彫刻科に努め、1966年から教授となりました。
東京文化財研究所のデータベースによると1967年に第10回高村光太郎賞を、1981年には第12回中原悌二賞を、また、1983年にはヘンリー・ムーア大賞展優秀賞を受賞。神奈川県や和歌山県のギャラリーや美術館で建畠覚造展も開催され、武蔵野美術大学客員教授となりました。中高で教鞭をとっておられたこともあります。芸術選奨文部大臣賞を受け、2005年には文化功労者に選ばれましたが、2006年に86歳で逝去されました。
これは、その建畠覚造による「二人」の像です。学園本部前の広場の8号館と1号館の間のプロムナードの入り口に据えられています。中高部父母会から寄贈されたものだそうです。
建畠覚造の作品には、幾何学的要素と有機的要素が競り合いながらも共存していると言われています。「特集 建畠覚造の世界 明日への模索と実験」(『現代彫刻』56号 聖豊社 1982年)の中で、建畠氏は、自分の作品を見て、「それぞれ見る人によって全然違った考え方をもっていいから、広く考えてもらいたい」と書いています。
皆さんは、「二人」の像を見て、どんな思いを持ちますか。別の方向を見ている二人の若者。しかし仲良く肩を組んでいます。この二人はどんな関係だと思いますか。肩を組みながら、お互いにどんなことを考えているのでしょうか。皆さん自身は、どのような友達との関係を大切にしていますか。