昭和女子大学の卒業生の会、「光葉同窓会」初代会長の和田艶子先生です。島根県のご出身で1904(明治37)年生まれ。1999(平成11)年に95歳で他界されました。日本女子高等学院を卒業後、常に母校と卒業生のパイプ役を果たし、1958(昭和33)年から「教員学術研究会」を主催して教員に研究発表の機会を作られ、また、同窓会の組織作りと整備に努められました。同窓会では、卒業生の名簿作成に着手され、人見記念講堂の第二緞帳、光葉会誌の発刊等、終生、学園と同窓会の発展にご尽力下さいました。会長をお引き受けになる時、先週のブログでご紹介した保坂都先生こそふさわしい方だというお気持ちから、はじめはご就任を固辞されたそうです。和田先生、保坂先生、お二人とも本学の発展の礎を築いて下さった私達の大恩人、そして、大先輩です。
本学は1920(大正9)年に「日本女子高等学院」として誕生し、1925年に初めての卒業生が出ました。第4回卒業生を出した1928年には『女性文化』第1巻1号が同窓会から出されました。本学の同窓会「光葉会」は、1945年学園復興の年に、日本女子高等学院と附属高等女学部の生徒たちや教職員全員の力を合わせて、戦後の困難な時代を乗り切ろうと組織したもので、当時はすべての生徒や教職員が光葉会のメンバーでした。そこから、同窓生の光葉会が独立して、「光葉同窓会」ができたのが、1974(昭和49)年のことだったのです。
上の写真は1992(平成4)年の光葉同窓会懇親会の席上で、お二人の米寿のお祝いをした時のものです。歴史を辿ってみると、本学があと1年半もしないうちに創立100周年を迎え、ここまで成長できた陰には、本当にたくさんの方々のご尽力やご支援があったのだとしみじみ思う今日この頃です。