正門からのアプローチの右手に、「庭の教え」と題した歌碑があります。
これは創立15周年の昭和10年に、昭和女子大学の前身、日本女子高等学院の松平俊子校長を祝して鍋島榮子(なべしまながこ)氏から贈られた短歌を秩父石に刻んで記念碑としたものです。中野区上高田にあった本学園が戦災を受けた中で、災害を免れ85年近く本学園に伝えられている石碑です。
鍋島榮子氏は、佐賀藩の藩主、鍋島直大公の夫人で、イタリアの社交界で活躍し、帰国後は「鹿鳴館の華」として注目された方だそうです。また、帰国後は明治20年以来、日本赤十字社篤志看護婦人会会長を約半世紀間務め、東洋婦人会会長、大正婦人会、共立婦人会、大日本婦人教育会など、数々の要職を歴任し、社会活動にも積極的な方だったとのこと。松平俊子先生のお母様に当たります。
松平俊子校長は、鍋島榮子氏の感化を受けて、服装の研究をされ、婦人のためのミシンの講習会を開き、大日本茶道協会の会長に就任、海外婦人協会も設立しました。日本女子高等学院校長として「茶の湯」を授業に取り入れられたのも、日本女性として茶道の精神を学んで欲しいと願われたからでしょう。
石碑の面をもう少し拡大したのが、上の写真です。ところどころ読める文字もありますが、すらすらとは読めそうもありませんね。歌碑の左にある説明を見てみましょう。
6行目にある「刀自(とじ)」とは、女性に対する丁寧な呼び名で、「ミセス」の意味にあたります。歌碑と同じ行に書いてみると、
踏みまよふ人 / こそなけれ / 何処にも / にはのをしへの / 道しある世は
となります。
「庭の教え」とは、家庭内で子に教育すること、あるいは、有識者が作法を教え指導すること、また、親が子に与える教訓の意味で、「庭訓」(ていきん・ていくん)とも読みます。「指導者がしっかりと歩むべき道を教える世であれば、正しい道から外れる人はどこにもいないだろう」という意味です。
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