マドンナ

 
 月に1回、教育、女性、文化などについて、日ごろ抱いている疑問などを語り合い、論じ合う「文化懇談会」は、本学の創立者である人見圓吉先生のご自宅で行われていた例会でした。はじめは20名ほどだった参加者が次第に増えて、より広く若い女性たちに開放しようということとなり、1919(大正8)年に「新婦人協会」が発足しました。予想に反して、講師5名に対して受講生はたったの8名でした。この新婦人協会の趣旨書がそのまま、1年後に開設された私塾「日本女子高等学院」の「開講の詞」となりました。そして、私立学校として東京府(現在の東京都)から認可を受けることができたのは1920(大正9)年のことでした。それから、来年度創立100周年を迎える今日まで、「開講の詞」は昭和女子大学の建学の精神として引き継がれています。

 人見圓吉先生は、1883(明治16)年に東京で生まれ、岡山県で育ちました。早稲田大学高等師範部英語科に学び、この頃から詩作に励まれました。卒業後は読売新聞社に記者として勤務され、文学者の道を歩み始められたのです。早稲田詩社を創設され、口語自由詩運動の基礎を築かれて、新体詩の普及にご尽力されたお一人でした。1921(大正10)年に「愛のゆくへ」を書かれて以来、49年目となった1969(昭和44)年に、今でも続いている「昭和学報」に自ら「よみ人しらず」の筆名でお書きになっていた「学園の歌」や「学生の歌」を1冊にまとめられたのが、写真の『学園の歌』です。初版は10月に、再販は11月に出版されています。

その中から、「マドンナ」という詩をご紹介したいと思います。

マドンナ

自分のあることを知って
世のあることを知らず
自分のためにむさぼって
他人に施すことをせず
自分の能力をほこって
人をあがめることを知らない。

だから愛らしさも
床しさも
優しさも
美しさも
すがすがしさもない。

レオナルド・ダ・ビンチの描いた
モナリザのような
ミケランジェロの彫刻
聖母マリアのような神々しさも
清い清いゆたかさも
不朽の生命もない。

だから「学」と「智」と「徳」で
あらがねのような「我」をみがき
みがきにみがき、みがき上げて
玉のような光をはなち
世のともしびとなり
道のしるべとなりつつ。

クラスメートを愛し
上級生を敬し
先生を尊んで
世にもまれな学風を作りなさい。
あなた方の未来のために
日本人の幸福のために。

マドンナ(Madonna)は、もともとはイタリア語で、「聖母マリアのような女性」のことを指します。マドンナのように、世のともしびとなり、人々の道しるべとなれるように、「学」と「智」と「徳」で自分を磨き上げ、自分と日本の未来を見据えて、互いに周りの人々を尊敬し合える学風を作りましょう、と呼び掛けています。創立100周年を控えて、創立者の思いをときおり、振り返ってみたいものです。