世田谷区が2020年東京オリンピックのホストタウンであることは、皆さんご存知のことと思います。1964年の東京オリンピックでは、本学の体育館(現在の旧体育館)をオリンピック施設として貸与しました。
このことが、『昭和女子大学70年誌』の368-369ページに次のように記されています。「たまたま昭和三十九(1964)年に開催された東京オリンピック大会に際して、大会事務局から本学体育館を外国体操選手の練習場に貸与してほしいとの依頼があり、また、一方このオリンピック大会参観のため来日した諸外国の婦人宿舎として本学鉄筋新寮舎二十余室の貸与の依頼も受けたので、本学としては大会に協力するために快くこれらを提供した。その時に本学に掲揚されたオリンピック旗は、現在でも体育大会の度毎に入場行進の先頭を飾っている。」
昭和39年6月20日発行された昭和学報には、こんなことも書かれています。
「新校門建設 東京オリンピック大会の開催に伴い、本学前の道路拡張工事起り、従来の校門は取り払われることとなりしため、これを機会に近代的新校門を建設。」
キャンパスの体育館がオリンピックの練習場となったことは記憶にあったのですが、鉄筋新寮舎の20室あまりを外国人女性参観者の宿舎として提供したことや校門が新しくなったということは全く記憶にありませんでした。まだ、その時私は高等部生で、大学のことはわからなかったのだと思います。記録を見ると、学内寮「芙蓉寮」「弥生寮」を開設したのが、昭和37年のことで、きっとそこを宿舎として提供したのでしょう。これらの学内寮も現在は既にありません。この年は、文家政学部被服学科を生活美学科に改めた年でもありました。
70年誌にあるような、附属も合わせた全学園の体育祭は、現在のグランンドになる前に既に取りやめとなったので、本学の体育館が練習会場となった記念に頂いた1964年の東京オリンピック旗はもうほとんど使うことが無いようです。下の写真は、オリンピック旗を持っての入場行進の様子と、その当時の全学園の体育祭の様子です。