レフ・N・トルストイ(1828-1920)は、ドストエフスキーと共に、19世紀ロシア文学を代表する小説家と言われています。この写真は、昭和女子大学図書館が所蔵している、1899年にサンクトペテルブルグで刊行された週刊誌『ニーヴァ(HKBA)』30巻11号(1899年3月13日)の「復活」の掲載部分を一冊にまとめたものの1ページです。大変貴重な資料です。写真の中段にある、赤い下線が引いてあるBocKpeceHie (ヴァスクレセーニエ) が「復活」というタイトルです。この写真では、タイトルの最後から2番目の文字がiとなっていますが、正式名はВоскресениеだそうで、当時は正書法改正前で、キリル文字ではないiを使ったらしいということです。
この写真はその中にある挿絵の一枚です。
トルストイは、弾圧されたドゥホボール教徒をカナダに移住させる資金を作ろうと、実際にあった刑事事件をもとに書きかけのままだった『復活』を、1898年9月に急いで完成させました。自宅の来客の前で完成した『復活』を朗読し、披露したそうです。そして、その年の10月に雑誌『ニーヴァ』の編集局と掲載契約を結び、連載が開始されました。
若い貴族のネフリュードフ公爵が、自分が昔捨てた、おじ夫婦の下女カチューシャの殺人事件の裁判に陪審員として出廷したことから『復活』は始まります。実は、彼女は彼の子供を産んだために、娼婦に身を落とし、遂には殺人罪に問われていたのです。カチューシャに殺意が無いことが判明し、軽い刑で済むはずだったのが、手違いでシベリア送りの刑が宣告されてしまい、そこでネフリュードフは初めて罪の意識に目覚めて、彼女の恩赦を求め奔走し、彼女の更生に人生を捧げる決意をするというストーリーです。
本学には日本トルストイ協会の事務局があります。 日本トルストイ協会は1996(平成8)年12月に設立され、今年で設立24年を迎えます。活動の中心は、3月と9月に開く年2回の講演会で、3月には協会報「緑の杖」が発行され、9月には総会を開催します。トルストイの影響は文学だけでなく、思想・哲学・宗教・教育にも及び、昭和女子大学の創立者、人見圓吉先生は、トルストイの教育論に共鳴し本学を設立されました。二代目学長の人見楠郎先生は、ロシアの「トルストイ学校」との緊密な交流を基に、教育面でのさまざまな活動を展開されました。こうした活動とトルストイ研究者の出会いが、誰にでも「開かれた」日本トルストイ協会へとつながりました。
第20回トルストイを語る会が3月14日(土)午後2時から昭和女子大学内で開催されます。学生以外は500円かかりますがどなたでもご参加いただけますので、是非、お越しください。参加する場合は3月4日(水)までに上記リンク先HP記載の申込先に連絡してください。元藝術座創立百年委員会会長の岩町功氏による「演劇家 島村抱月のトルストイ観への考察~トルストイ作品の藝術座上演を通して~」のご講演があります。藝術座は神楽坂を本拠地として、島村抱月と松井須磨子を中心に1913年に結成され、第3回の公演で、トルストイ原作の『復活』を上演しました。須磨子の歌う「カチューシャの唄」は『復活唱歌』という題名でレコードが発売され、日本中に広まっていったそうです。