緑声舎は1975年に起工され、1977年に開寮となりました。創立者の人見圓吉先生を補佐し、本学初の「葵寮」の初代寮監長となり、30年にわたり学寮の礎を築かれた学母の人見緑先生のお名前に因んで緑声舎と名付けられました。
A棟とB棟があり、A棟には、葵、藤、茜寮が、B棟には、橘、桂、桜、楓寮があり、各寮約100名が生活し、全寮を合わせると約700名の寮生の集う場所でした。多くの先輩たちがここで生活し、同窓生が集まると、いろいろな思いで話に花が咲きます。それから37年後の2014年、緑声舎は閉寮となり、同年4月に学生会館がスタートしました。
1993年4月から1995年3月まで学寮部長を務められた加藤澄江先生は、母校の教員となられて10年ほどたった時に、当時の大学生のために現在の昭和の泉の一画に新築した橘寮の寮監をされました。その時の寮監長が人見緑先生で、厳格な中にも優しさを秘めたお人柄で、その後の加藤先生の寮監としてのロールモデルになったそうです。その緑先生のお名前を取った「緑声舎」に足を踏み入れた時には、「時代の流れを振り返り感無量であった」と『昭和女子大学緑声舎―37年の軌跡―』に書かれています。