国際文化研究所所属・歴史文化学科の湯上です。2026年8月に鳥取県の北条ワイン醸造所を訪問しました。通常、葡萄の収穫は9月初旬から始まりますが、暑い日の訪れが早かった今年は収穫時期も前倒しとなっていました。訪問時にもすでに収穫が始まっており、そうした中、ご対応いただいた山田和弘社長を始めとした醸造所の皆さまへ深く御礼申し上げます。北条砂丘に広がる葡萄畑の起源から同醸造所の沿革、現在直面している問題についてお話を伺い、葡萄畑もご案内くださいました。
「偶然」からの始まり
この地で葡萄栽培が行われたのは、「偶然の産物」であった(「 」内は、山田社長談。以下同様)。江戸時代に甲州へ出かけた地元の植木屋が一本の苗木を持ち帰って庭先に植えたところ、気候風土に合致した。昭和初頭のフィロキセラの被害を乗り越え、栽培が広がっていったことが始まりだった。
同醸造所は、第二次世界大戦中に軍需省からの発注を受けた酒石酸工場に始まる。酒石酸とは、ワインの製造の際に作られる物質で、澱とは異なりガラスのように光る物質で、他の物質と化合させてレーダーの部品に使われる。ワインはデュアルユース製品でもあったのだ。当時は、何に使われるか明らかにされないまま発注を受けた分だけ製造し、ワインは捨てることを繰り返し、製造された酒石酸の分量は225トンにも及んだ。飲用目的ではなく、あくまで酒石酸を目的として製造され、酒石酸は貨車で山梨にあった酒石酸の集積所まで運ばれていった。当時の軍需省は、山梨など日本各地の葡萄生産地に酒石酸を発注していた。
戦争末期には、軍需省からの発注が来なくなり、ワイン生産へと舵を切ったのが北条ワインの創業で、広島税務署管内で最も古い醸造所の一つである。山田家で酒石酸やワイン製造が始まったのも「偶然の産物」であった。社長の祖父は、中部地方で酒造に関わっていたものの身体を壊し、祖母の実家のある北条の地へ。徴兵検査の後、内地での「貢献」として酒石酸の生産が始まった。また、次男である山田社長の若かりし頃は比較的自由な立場で、家の事業とは無縁であった。3代目として会社を継ぐため、フランスに留学していた兄と国際電話をする内に興味を抱き、日本の大学を辞めて、フランスへ醸造学を学ぶために留学することになった。その後の兄の急逝を受け、会社を継ぐことになったのだ。
貯蔵庫と醸造庫
創業期から使われ、2016年の鳥取地震で大きな損害を受けながらも修復を重ねながら、現在も使われている最も古い貯蔵庫は、土間と土塀の造りである(写真1)。ここは、かつてタンクが現在の半分程度しかなく、召集令状(赤紙)の受け渡しや出征式が行われた。酒石酸製造から誕生したことから、「戦争が生んだワイナリー」を語り継ぐ生き証人となっている。
同醸造所で使われる樽の種類は、フレンチやアメリカンオークが主である。また、巨大なタンクは、使用前に税務署の検定を受ける必要があり、「検定日がタンクの誕生日」となっている(写真2)。また、タンク脇に並べられたスパークリング用の瓶は、毎日4分の1ずつ回しながら、熟成の時を待っている。
さらに奥の別棟は醸造蔵であり、発酵が行われる場所でもあるため、気温がさらに高い。タンク1つで5トン以上も貯蔵される(写真3)。
近年開始された産地名称のルール変更により、他の地域で生産された葡萄とのブレンドに厳しい制限がかけられた。古くから付き合いのある近隣の生産者から提供されてきた葡萄をも断らざるを得ない状況となっている。諸外国で行われている弾力的な原産地統制の仕組みの検討等が求められる。
(左から)写真1:醸造所内で最も古い貯蔵庫 写真2:貯蔵タンクに印字された検定日 写真3:巨大な醸造用タンク
砂丘に広がる葡萄畑
北条砂丘は土地改良が進んでおり、砂丘内には広大な葡萄畑が拡がっている。地図上では北条砂丘を認知できなかったが、実際に畑に出てみると、土壌は確かに砂であった。砂地は水はけが良く、朝晩には海風が吹くため寒暖差が大きく、冬場の寒さも微生物対策となり、葡萄栽培に適した環境となっている。害獣が来ないことも大きな優位点である。通常、葡萄の根は地中で横に拡がっていくが、北条砂丘の葡萄の根は縦へと伸びていくそうだ。なお、醸造所と県道の間の川で砂丘と、通常の土壌が分かれ、県道の向こう側は水田となっている。また、山裾までの地面を掘ると貝が出土されるとのことである。
同醸造所は、砂丘内に点在する50以上の畑を所有している。雑草を駆除する部隊は、毎日各区画を回らねばならぬほど広大で、元々5ヘクタールほどだった作付け面積が、現在は20ヘクタール以上と、4倍以上に拡大している。その理由として、急激な少子化等の跡継ぎの問題による離農者の増加が挙げられる。同醸造所と古くからの付き合いのある生産者も多いとはいえ、離農者が同醸造所に畑を託す形には必ずしもならない。代々、農地を担ってきた生産者によっては、「自分の代で終えるなら『切る』」という、生産者としての「プライド」がそれを妨げる場合もあるのだ。また、近年では、新規の参入者が増えてきているが、葡萄栽培は最低でも3年は軌道に乗るまでかかるため、若者が参入しようにも資金繰りに厳しい状況に陥ってしまう。公的な制度での支援等が拡充されれば、その助けとなろう。
同醸造所の畑では、甲州種も栽培されており、飲用であっても専用の袋がけが行われていた。同じ種で醸造されたワインでも山梨県のものとは、全く違った味わいとなるのが葡萄栽培やワインの奥深いところである。葡萄の木を支える杭もコンクリート製の方が耐久性は高いが、あえて木製の杭を用い、各種ごとに木製の素敵な看板が掲げられている様子は、ヨーロッパの葡萄畑と見紛うばかりであった。暑くない時期には、社員が葡萄棚の下で昼食を取ることもあるようだ(写真4)。
山田社長の奥さまは、ウクライナご出身とのことで、販売所内には、ウクライナへの支援に感謝する旨が書かれた感謝状も見られた。「戦争が生んだワイナリー」から平和を希求する北条ワイン醸造所へと時代を越えて生産者の想いと味が受け継がれていくことを期待したい(写真5)。
(左から)写真4:葡萄畑の杭と木製の看板 写真5:「息子や娘たち」を見守る山田社長
記事:湯上 良




