<裏読み>もしくは<深読み>への誘(いざな)い

<日文便り>

コトバには裏表の意味があります。多分、古文の授業で教わったと思いますが、一つの音で二つの意味を持つ掛詞という和歌の技法がその典型的な例です。物語(小説)でも同じことが言えるでしょう。表読みだけで読んでいると、一つの解釈しか出来ませんし、面白味のないものになってしまいます。物語を読む楽しさとは、誰にも邪魔されずに、自分しか出来ない<快楽>です。ただし、それを他人にどう納得させるかが問題です。人間の心理を理論的に述べる事は極めて困難ですが、自分しか出来ない読みだと確信出来たら、ゴール間近な位置に立てると思います。あとはいかに説得的な理論性を持つかの努力をする事です。

そこで1890年(明治23)に刊行された森鷗外の代表作『舞姫』を材料にして、<裏読み>もしくは<深読み>をしてみたいと思います。その『舞姫』の冒頭は<石炭>(明治初期における近代化もしくは文明のシンボル)とそれを使用して航行する<船>で始まります。主人公の太田豊太郎は最新の医学を研修すべくドイツ留学を命じられ、旅立つわけですが、出発間際の港の光景が<石炭>と<船>という形で記されます。ではなぜ冒頭で<石炭>と<船>とがこの小説の<装置>として登場してくるのでしょうか。先程も述べたように、<石炭>は文明の近代化の代表ですが、<船>はどのような意味を持っているのでしょうか。<船>は例えばA港に寄港しますが、またB港を目指して航海の旅に出発しますから、一定の所にとどまらず、常に<漂泊>しているのです。豊太郎は<文明>の核に近いドイツに赴くために、<船>で出かけ(もちろん、当時は飛行機はありませんから、<船>で行くより仕方がないのですが)、そこで踊り子エリスと知り合い、結婚寸前まで至るのですが、豊太郎が公務員であるために、日本当局からの横やりが入り、エリスを捨てて、帰国することになります。つまり、エリスとの結婚は成就しなかったのです。そこにスポットライトを当てると、<漂泊>する<船>が冒頭に出てくるのですから、それに乗船してドイツに赴く豊太郎の<漂泊>する人生史(エリスとの<漂泊>する関係、すなわち、終着駅である結婚は不成立となり、離別すること)が前もって暗示されているのではないでしょうか。このように、冒頭の<石炭>と<船>に注目していくと、いままで気付かなかった読みが浮かんで来ます。これは<裏読み>もしくは<深読み>のサンプルですが、読み方を少し変えると、物語(小説)は結構楽しいものになるのだと思いませんか。

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