2017年2月

冬の花 [2017年02月27日(月)]

<日文便り>

「花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは」(「徒然草」137段)
ではないが、花の盛りの温暖な季節よりも、寒い冬に咲く花が、私は好きだ。
今のキャンパスには、椿の花が至るところに咲いている。
最も大輪なのは、1号館前の赤い椿。
朝、出勤して、まず挨拶をする。

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すぐ横には、白い椿もある。
「紅白」が揃っていて、めでたい限りだ。

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3号館の前のものは、ほのかな薄桃色である。
こちらは、小ぶりだが、花が一番きれい。

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花の数の多いのは、グリーンホールの横(記念講堂側)。
三本ほどの木が並んでいて、たくさんの花で緑を彩っている。

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が、いずれも花弁のところどころに茶色の染みのあるのが、惜しまれる。
毎日手入れをされている庭師の方には大変失礼だけれども、椿の花の根元を
見ると、土が硬くて、十分な栄養を摂ることができていないようだ。
毎年、愉しみに見ているのだが、土の入れ替えや補充がされているとは言いがたい気がする。
しかし、手入れの行き届いた美麗な花でなくとも、前に立って眺めているだけで、
すっかり心が洗われる。
それが花の尊さというものだろう。

花に譬えれば、皆さんは、社会に出て花を咲かせる、その前の「つぼみ」であろうか。

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野の花と違って、皆さんは、自分の力で足元の土を耕し、いくらでも地味を
豊かにして、大きな花を咲かせることができる。
「耕す」とは、毎日の授業の一時間、一時間を、大切に、そして誠実に
取り組むこと以外にはありえない。
就職に有利だから、とか、実生活にすぐ役立つから、とかに関係なく、
授業そのものに集中して、ひたむきに頭と身体を働かせてほしい。
花を咲かせ、実を結ぶのは、ずっとあとで良い。

これが、すでに老い木となりつつある私の願いである。

(吉田昌志)

 

久下研究室だより [2017年02月24日(金)]

<日文便り>

昭和女子大学紀要『学苑』1月号には拙論「大納言道綱女豊子について―『紫式部日記』成立裏面史―」が掲載されています。当該『日記』に最も登場回数が多い紫式部の同僚女房の「宰相の君」が道綱女豊子なのですが、彼女の存在、役割が他の女房と異なるから、登場回数が多いことになり、作者紫式部は何の意図をもって彼女を取り上げ描いているのでしょうか。従来の研究とは全く異なる結論が導かれていきます。

また2月8日(水)は定例の日本文学研究会が催され、「ある日の彰子の怒り」というタイトルで口頭発表しました。『四条宮下野集』には天喜4(1056)年4月30日皇后寛子春秋歌合の提出歌として下野の歌3首が選ばれたことに対し、彰子から圧力がかかり自分のサロンの伊勢大輔の歌2首と差し替えられるという事件が記録されています。

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たんなる権力行使のいやがらせだとしたら、彰子の品性を一変させる汚点となるような事件となりますが、既に女院として皇室の一員となっていた彰子と実弟でありながら実娘寛子を後援する藤原摂関家の頼通との間に亀裂を感じさせる極めて政治色の濃い事件であろうとする認識を示しました。

(久下裕利)

日本文学研究会が開催されました [2017年02月16日(木)]

<研究室便り>

2月8日(水)に日本文学研究会が行われました。
日本文学研究会は、学内の日本文学・日本語学に興味・関心のある教員による研究会で、
毎年1回開催しています。

今年度は、二つの発表が行われました。

「日本近代文学における芭蕉の受容――太宰治の<軽み>――」
日本語日本文学科教授 槍田 良枝 氏

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「ある日の彰子の怒り」
日本語日本文学科教授 久下 裕利 氏

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今回の研究発表は、近代文学、中古文学と、
二つの時代の異なる研究発表を聴くことができました。
また、当日は多くの教職員が参加しました。

学内の研究発表会では、所属や分野にとらわれず、
たくさんの教職員の方々が参加します。
普段はなかなか聴くことのできない教員の研究発表を
聴けるとても貴重な機会となっています。

(YD)

受験生のみなさんは輝いている!!! [2017年02月15日(水)]

受験生のみなさんへ

高校3年生のみなさんは受験シーズンまっ只中ですね。

本学では、1月の終わりと2月の始めに一般入学試験が行われました。
私は誘導をしていたのですが、受験生のみなさんの試験に臨む姿をみていて、
こちらがパワーをもらったように思います。

試験をすでに終えたひともいるなか
まだまだ試験が控えているひともいると思います。

勉強が辛くなったとき…
勉強をして、何か新しいことを知ること、わかることは嬉しい!
辛いことを乗り越えるという経験はこの先も、大きな力になる!!
マイナスの気持ちから、なにかプラスの部分がみつけられるといいですね^^

やる気が出ないとき…
あります、あります!
友だちと励まし合ってみたり、受験の先の目標を見つめ直してみたり、
少~しずつでも気持ちを切り替えてみましょう。

疲れたとき…
疲れたときは無理せず、一休み!
睡眠不足、栄養不足はいけません。身体の声に耳を傾けてみてください。
身体の調子が整うと、頑張る力が湧いてきますし、頭もすっきりして
いいことづくしですよ★

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“もうひとがんばり!”

それでは、みなさんがベストを尽くせることを心から祈っています。

(IM)

ゼミ説明会を行います [2017年02月12日(日)]

<在学生の方へ>

日本語日本文学科2年次生を対象としたゼミ相談会を三日間に亘り行います。

一日目は2月8日に言語コースの説明会を行いました。
日本語学から二つのゼミ、日本語教育から二つのゼミが、
2年生に向けて、ゼミの概要、担当教員の紹介、ゼミ学生からの研究活動を
説明しました。

これから2年間所属するゼミを決定するにあたり、どの学生も真剣そのもの。
全体説明のあとのゼミ懇談では質疑応答が絶えませんでした。
二日目は13日に文学コース、三日目は15日に言語コースと文学コースの
ゼミ説明会を行う予定です。

2年生のみなさんへ。
現在の興味関心を追究することはもちろんですが、
今回のゼミ説明会で新たな分野への探究心が生まれることもあります。
先入観や得意不得意という気持ちをいったんわきに置いておくことをおすすめ
します。
新たな出会いや発見を楽しみに、ゼミ説明会に出席してください。

【担当教員からのゼミ概要説明】
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【ゼミ学生からの研究活動の説明】
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【ゼミ懇談】
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(KW)

 

『死者の書』を見て。 [2017年02月10日(金)]

<日文便り>

1月27日(金)に銕仙会能楽研修所で、「すずしろ」による物語る演劇、折口信夫『死者の書』を見ました。能舞台に三名の当麻の語部が登場し、物語を語っていきます。何かが乗り移ったかのような畳みかけるような迫力でした。南家郎女は胴体だけの人型で表わされていましたが、物語の展開につれ、語部によって息が吹き込まれて行くようでした。打ちもの、吹きものも古代的な幻視の世界を紡ぎ出しています。
大学時代に大津皇子の悲劇に心惹かれ、当麻寺を訪れました。二上山の美しさ、冬の誰もいない御堂に掛けられた当麻曼荼羅に圧倒され、『死者の書』の碑に心動かされて作品を手にとりました。難解で一種おどろおどろしい世界に踏み込むようでした。
舞台で「こう こう こう」と響く魂呼いの声、「あっし あっし あっし」と踏み鳴らされる魂鎮めの足音、語部の声の迫力に自分の魂が引かれていくようでした。観世銕之丞の大津皇子と阿弥陀仏も素晴らしかったです。阿弥陀仏の神々しく美しい姿に息を呑みました。郎女の衣が脱がされ阿弥陀仏の腕に掛けられた時、郎女の魂が召されていくのだなあ、と感じました。
語りは古代文学の重要な要素です。人間は語ることによって、幾千万もの大切なことを、時空を超えて伝えてきたのだと思います。けれども今、それが失われようとしているように思います。語部に心動かされ、もう一度『死者の書』を手にしています。

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(KR)

海外から日本文学研究者をお招きしました~タフツ大学 チャールズ・イノウエ先生~ [2017年02月08日(水)]

<日文便り>

【チャールズ・イノウエ先生の特別授業】
泉鏡花の文学の特質について愛の彩りが「紅白」で表現されていること、愛の実現における男女の「強さ」の違いなどを、多くの画像を示しながら、お話しくださいました。

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【学生の感想】

◆吉田先生の講義を受講してから泉鏡花にとても興味があったのですが、イノウエ先生の講義を聴講してさらに興味が深まりました。泉鏡花の亡くなった母に対する思いの中に恋人を求めているということは発見でした。確かに、日本の男性は母のような人を好きになると言われているので泉鏡花は日本の男性!ということを感じました。「外科室」の白衣と血の白と赤、白い肌と赤い紅、鏡花が白と赤を大切にしていたというイノウエ先生の着目点には驚きました。また、イノウエ先生が、鏡花の男らしくない所が魅力とおっしゃっていて、「なるほど!」と思いました。

◇「外科室」を読んだときに、どこか美しいと感じたが、それは色がひとつの要因なのだと知った。泉鏡花の独特な恐怖は、エドガー・ア・ランポーとは別物だけれど、日本人のみならず海外のかたにまで伝わる恐怖や美しさがあるのだと思った。「男は弱い」という発想はなかったので、面白いと思った。確かに泉鏡花の文学においても女性の方がある意味では強いと感じる。女性が主導権を握る物語が多く、女性の「強さ」が日本文学にはあふれていると感じた。イノウエ先生の翻訳も読んでみたくなり、さらに詳しく鏡花を読みたくなった。

◆日本人は愛について普段それほど意識して生活していないような気がします。イノウエ先生にご指摘を受けるまで、愛について自分がまだ理解していないのだということにすら気がつきませんでした。愛というものの奥深さを知り、それを表現したのが泉鏡花であるのだと思います。愛は美に直接的につながっているから、鏡花の文学は美しいのだと聞き、非常に納得しました。私は鏡花の作品を読むたびに人間の本質について強く考えさせられます。今までただ漠然と「この感情は何だろう」と思っていた答えが、今日ようやく少し見つけられた気がします。ただ、私にはまだやはり「愛」の本当の意味も美しさも分かりません。どう生きていくことが美しい人生に繋がるのかも知りたいです。

(吉田昌志)

海外から日本文学研究者をお招きしました~上海交通大学 呉保華先生~ [2017年02月06日(月)]

<日文便り>

上海交通大学の呉保華先生が志賀直哉の処女作の一つ、童話「菜の花と小娘」(大正8年)を題材として講義をして下さいました。

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「菜の花と小娘」あらすじ
山で仕事をしていた小娘は、夕方家路についた時、たった一輪他の花から離れた所に咲いていた菜の花に呼びかけられます。
「仲間のいる所に連れて行って」と頼まれた小娘は、菜の花を連れて川沿いの道を下っていきます。
小娘のほてった手にぐったりした菜の花を、小川に放ち、小娘は生気を取り戻した菜の花を追ってふもとまで走り、ふもとの村の仲間のところに植えてやるのです。

【呉先生のご講義】
この作品には「花ちゃん」という明治30年代に書かれた草稿があります。
この2つを比較すると言動の違いから、<花ちゃん>と<小娘>の人柄の違いや、<菜の花>との関係生の違いが鮮やかに浮かびあがるのです。
草稿では、2人は古い友達同士のような対等関係だったのに、処女作(初出)では対等とは言えない…など。
その裏には作者の環境変化が絡んでおり、長年作者が解決し得なかった<同情>の問題を、菜の花を幸せにしてやるという形で解決したのです。

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この講義を聴講し、刺激を受けた学生たちには質問や意見がたくさん。
その一部を紹介します。

 

◆花ちゃん(小娘)と菜の花の関係が、草稿と初出では異なっているという話があったが、菜の花のイメージの違いが両者の関係に変化をもたらしているのではないかと思った。
◇草稿では、さらに友情が深まり仲良くなってハッピーエンドだという感じでした。初出では、ハッピーエンドだけど、同じ立場になったり、仲良くなったりはしませんでした。菜の花は菜の花の、小娘は小娘の世界で生きていくという自然の摂理が書かれているように思われました。
◆志賀直哉を読んだきっかけ、研究しようと思ったきっかけを知りたいです。
◇今回の呉先生の講義を聞いて、海外でも日本の文学をこんなに研究している方もいることを知り、嬉しく思いました。私は中国の文学のことなどは全然詳しくないので、国の違う文学に私も触れてみたいなと思いました。

 

(FE)