月に思う。

<受験生の方へ>

十月二十一日、十三夜の月が煌々と照っています。
『徒然草』第三二段に次のような文章があります。

九月二十日の頃、ある人にさそはれ奉りて、明くるまで月見ありくこと侍りしに、
おぼしいづる所ありて、案内させて入り給ひぬ。荒れたる庭の露しげきに、
わざとならぬにほひしめやかにうちかをりて、しのびたるけはひ、いとものあはれなり。
よき程にて出で給ひぬれど、なほ事ざまの優に覚えて、物の隠れよりしばし見ゐたるに、
妻戸を今少しおしあけて、月見るけしきなり。やがてかけこもらましかば、
くちをしからまし。あとまで見る人ありとはいかでか知らむ。かやうのことは、
ただ朝夕の心づかひによるべし。その人程なくうせにけりと聞き侍りし。

古文の授業でこの段を学ばれた方もいらっしゃるかと思います。兼好は月明りの夜に見た
女性の心遣いや風情に心惹かれています。月を見る様で相手との名残を惜しむ女性の
奥ゆかしい姿が浮かんできます。兼好はその女性が程なく亡くなってしまったのが
とても残念だったのでしょう。

『万葉集』の時代から、人々は月に思いを託してきました。

月立ちて ただ三日月の   眉根掻き 日長く恋ひし 君に逢へるかも(巻六・九九三)

大伴坂上郎女の歌です。恋人が訪ねてくるのは月夜の晩でした。蛾眉に喩えられる三日月が
夜空に見え始めるのを心待ちにしていたのです。眉が痒くなるのは恋人に逢える前兆と
考えられていました。二つの事象が重なって、心がときめいたのでしょうね。

去年見てし 秋の月夜は 照らせれど 相見し妹は いや年さかる(巻二・二一一)

柿本人麻呂の歌です。愛する妻と昨年は共に見た秋の月が、今年も同じように照っているけれども、
月の満ち欠けと共に容赦なく月日は過ぎ去って行き、喪失の悲しみは癒えないのに、妻だけが
ますます遠ざかって行くことを嘆く気持ちが伝わってきます。

満ち欠けを繰り返す月はまた、不老不死の象徴ともみられていました。

天橋も 長くもがも 高山も 高くもがも  月読の  持てる変若水  い取り来て  君に奉りて  変若得てしかも(巻十三・三二四五)

月が不老不死なのは、月読(月の神)が変若水(若返りの水)をもっているからだと考えていたのですね。

日頃は慌ただしい生活の中で、夜空の月を眺める時間などないと思います。
けれども、ちょっと足を止めて夜空を見上げてみてください。
清らかな月の光は心を癒してくれると思います。

陰暦九月二十日は、今年ならば十月二十八日に当たります。
この日の夜に浮かぶ月はどのような月でしょうか。兼好が見た月の形状とは異なるかもしれません。
けれども、月に対する歴史や文化を少しだけでも感じることが出来るかもしれません。

兼好も眺めたかもしれない夕方の東山の上に昇る十三夜の月、十三夜の賀茂川に映る月の写真を
載せます。
 

受験生の皆さんに少しだけでも古文の世界に触れていただけたならば嬉しいです。
入試まで、あと二か月、健康に気を付けて頑張ってくださいね。
(KR)