高校の「国語」とどう違うの?~日本語学編

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〈受験生の方へ〉

高校の「国語」の先に、どんな「専門の学び」が開けるのか。
今回は私の担当分野、「日本語学」からちょっとだけ、
専門の学びって、どんなことやっているの?」ということをご紹介しようと思います。

私は日本語学・文法担当なんですが、「文法」っていうと、
「大学では活用表とかのもっと複雑なのでもやるの?」
「難しい品詞分解も迷わずできるようになるの?」というようなイメージを持たれます。
専門家になる、というのは、そういうのとはちょっと違います。
「普通の人が知らないような細かいことを知っている」ということは本質ではなく
(もちろん専門知識を持つことは大切ですが)、
より大切なのは「専門知識をもとに自分でしっかり考え、判断することができる」ということです。
「文法」も「法」ですから、弁護士とか、法律の専門家をイメージしてみてください。
法律の専門家は、六法全書を完璧に暗記する、とかで専門家になっているわけではありません。
どこにどういうことが書いてあるか、
さらにそれは何のために作られた、どういう意義を持った法なのかを知っていて、
「こんな事件が起こりました」と言われたとき、
法律のどことどこを確認して組み合わせたら答えが出せるかが考えられる、
というのが専門家の意義なんだそうです。
「料理の仕方を知ってるか」というのが専門の世界。
最近、「課題解決の力」とか言われるやつです。

 勉強する、ということにおいては知識をしっかり身につける、という段階があって、
これがまずは受験に至るまでの勉強。
そしてその先、大学で専門に進むというのは
「さらなる知識を身につける」ということでもありますが、
大学で学ぶことの魅力はむしろ
「知識(=材料)をもとに、いよいよ自分で考える(=料理する)」
ということの面白さを味わえる、という点にあるんだと思います。

 「「全然」は「~ない」と一緒に使わないとダメ」と言われたりします。
これが一つの文法。すなわち「知識」。
しかし、「さらなる知識」を知っていくと、見えてくる世界は変わります。
高校でも必ずと言っていいほど読む、芥川の『羅生門』ここにはこんな一節があります。

 

下人ははじめて明白にこの老婆の生死が、全然、自分の意志に支配されているという事を意識した。

 

「全然支配されている」・・・「~ない」がつかないのに「全然」が使われています。

 「全然」は「~ない」と一緒じゃないとダメだよ、ということを「知る」。
そこで、「ああそうなんだ、気を付けよう」と思う。そしてその先で新たな知識に出会う。
ここからが分かれ道。
また「ああそうなんだ」と思うか、「なに、ちょっと待てよ」と思うか。
出会った知識を貯めていくと、それまで得たものと、食い違ったりすることに気づきます。
そこでさあどうするか、どう考えるか、というのが大学。
でも、ぼんやりしているとただ一つ一つ出会ったことに
「そうなんだ」と思うだけ過ぎてしまいます。
「ちょっと待てよ」と思えるか。
それができれば、ただ「知る」というだけでなく「考える」ということができます。

 「鉄板の方、お熱くなっておりますので・・・」という表現に対し、
「~の方」っておかしいじゃないか、「鉄板」でいい、と目くじらを立てられる。
そこで「そうなんだ」ではなく「ちょっと待てよ」と思ってみたら・・・
「なにとぞご理解の程、よろしくお願いいたします」の「~の程」って、要るのか?
「~の方」とやってること変わらなくないか?
そしたら、これっていったい、どういうことなんだろう。
われわれはどういう発想で、こういう表現をしたくなるんだろう。
そういうことを「考える」わけです。

 世間では「これは実はこういうこと」という説明が出回っています。
でも、その説明で本当にいいのか。
たとえば「猫はなぜ「ねこ」」というかというと、
「寝るを好む」の略で「ね・こ」」なんていう説明を見て、
「そうなんだ」じゃなくて「ちょっと待てよ」と思えるか。
大学で学ぶ、というのはそういうことなんだと思っています。

ちょっとでも気になったという人はぜひオープンキャンパスを覗きに来てください。
8月17日の回では、「ねこ」の語源についても考えます。

(SN)