<日文便り>
日文の開講科目「日本文学Ⅱ(古典D1) 江戸の芝居」では、12月上旬にご担当の東晴美先生引率のもと国立劇場主催の「文楽鑑賞教室」に行ってまいりました。「演劇鑑賞の醍醐味はその後のお喋りにある」という東先生の発想から鑑賞直後の教室は「芝居茶屋」を開きます。学生たちがそれぞれ違う視点から芝居について語る年末恒例のお楽しみでもあります。国立劇場で観た演目は「伊達娘 恋緋鹿子」、「平家女護島」の2つ。どのような切り口で、芝居を観ていたのか感想の一部をご紹介します。
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・「伊達娘 恋緋鹿子」で投げた刀をキャッチしたシーンで会場から一気に拍手が起こってその一体感に感動しました。「わかる!」「すごい!」と心の中で叫びました。
・船が遠ざかる程俊寛の命も遠くなると考えると船の役割は命の暗喩と解釈できます。
・どちらの演目も最後は絵画的な美しさで終わっていた。こういった場面を描いた絵画は
存在するのか興味がある。
・(文楽の人形は)3人遣いで動かしていることを忘れてしまうくらいなめらかな動きだった。
・奥さんに会いたくて江戸に帰りたかったのに奥さんが殺されて希望を失くした俊寛の芝居を
見て涙が出てしまった。刀を抜く瞬間の覚悟は想像を絶する。
・話し合うことまでが演劇鑑賞ということが印象に残りました。
・(人形遣いが)約10~20年かけてお客様を楽しませるために修行を重ねていることはただただ
感心します…
・「平家女護島」で俊寛を船に見送る引きのシーンから、セットの回転により一気に俊寛の迫力
あるアップのシーンに切り替わる場面は、映画を彷彿とさせる演出方法だなと思いました。
・今回の芝居茶屋で、自分では気づかなかった視点や次見るときどこに注目すればいいかという
ことを知ることが出来たので、学生のうちにまた観たいなと思いました。
・「思ふ男に分かれては所詮生きてはゐぬ体、炭にもなれ灰にもなれ」、「三世の契りの女房死 なせ、何を楽しみに我一人、末の月花見たうなし」、「焦がれても叫びても、あはれ訪ふ人と
てもなく昔は鷗」語りの表現がすごく素敵でした。強く印象に残りました。
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今年の授業も無事終わり、大学は冬期休暇に入りました。
1年間ブログをご覧くださった皆さま、どうもありがとうございました。
2020年も、日文生の活動の様子、先生方の研究など随時発信してまいります。
それでは、よいお年をお過ごしください!
(KM)