においの記憶

今回「受験生」というお題をいただき、
「受験生…」「受験生…」「受験生……」と数週間想いを馳せました。
こうやって文字列を並べるだけで迫力すら感じます。
受験といっても様々かと思います。
みなさんの中には早くから「受験」を経験してきた猛者もいらっしゃるでしょうが、
私自身は「受験」というと大学受験を思い浮かべます。
のんびり育ったようでこれはまた悠長なご意見、とお思いかもしれませんが、
その後の人生は受験、受験の日々です。
いえ、何十浪、というわけではありません。
人生、どんなにうまく生きようと思っても、
一発勝負であとはうまくいく、なんてことはまずないということです。

「もー、無理」と思う日も少なくないのですが、
そんな時に思い出すのは、何も心配せずに過ごした幼少の日々とそのにおいです。
私は、祖母の体調のことがあり、
幼い頃に東京から目の前に湖、背後には山、という贅沢な環境に移住しました。
そこでは食べて、寝て、遊んで、泣いて、ちょっと寝て、食べて、祖父母にまとわりついて、
と、先のことを心配することなく過ごしました。
日焼けの心配もせず浴びた夏のじりじりとした光線の感覚や、
雨が降れば雨のにおい、夕方になれば祖母の焚いた蚊取り線香のにおい、
乗客は母と私だけというバスに乗って帰る道のり。
バスのシートのにおいまで思い出せます。
今思うと気が遠くなるほど贅沢な日々だったと思います。


春の日の曇天@昭和女子大学

その後上京してはじめの夏に「あれ?蝉が鳴いていない」と気づいた時には吃驚でした。
この東京砂漠には蝉も鳴かないのか、と恐ろしささえ感じましたが、それも最初の一年だけでした。
どんな都心でも土のにおい、草のにおい、雨のにおいがあります。
コロナ禍を経て、余計に感じるようになりました。
ちなみに先日はうぐいすの鳴き声をきいて小躍りしました。
野生化したインコの鳴き声は随分前からきいています。

知人の三年浪人した猛者は「沈丁花の花の香をかぐとあの頃のことを思い出して…」と言っていましたが、においと記憶というのはずっと忘れずに残っているもののようです。

先のことなんて何も考えられない、と思ったときは、心配のなかった時のことを思い出し、
こころを休めると、ふと何か気づかされ、
「ああ、またちょっとやってみるか」と思えることも、あります。


初めての学寮@東明学林

(宮嵜由美)