ゼミ生、曰く 『友だちに「嶺田先生のゼミって大変だよね」って言われた』

<授業風景>私が担当する日文の授業は、1年生必修の「日本語学入門B」、2年生以上対象の「日本語学Ⅰ(音声と音韻)」、2年生対象の「演習Ⅰ」、3・4年生対象の「演習Ⅱ・Ⅲ」です。いずれも、我々が現在使っている日本語を観察する科目です。

1・2年生の学生は、「正しい日本語」を使うことがよいという意見をもつようです。それはそれで、よいとは思います。一方で、日本語を観察するうちに、学生は「正しさとは、いったい何だ???」という疑問を持ち始めます。正しさの基準がわからなくなるのです。
ことばは「生きもの」ですから、変化します。ある時代に、それまでとは違うことばの使い方があらわれたとき、その時は「誤用」と考えるかもしれませんが、やがて「ゆれ」となり、いつの間にか「正用」とされるようになります。
近いところでいうと、「とても」は、例えば夏目漱石の小説では「とても、できそうにない」と「とても」は「ない」と呼応する形で使われています。終助詞「かしら」も男性の会話文に登場します。たかだか100年前の日本語と現代とは用法が異なることがわかります。これが1000年前となると・・・。
あたりまえすぎて、改めて説明するとなると頭を抱えるようなことはよくあります。母語の仕組みを説明するのもなかなか困難です。それを捉えて、観察するうちに、ことばに対する疑問を持ち始めます。それを解決しながら、我々の言語生活をより「よい(「正しい」という意味だけではありません)」ものにするべく、研究を続けます。
卒業論文は、その4年間の集大成です。4年生は、今、完成目指して取り組んでいます。達成感を十分に味わうために、たっぷり苦労してほしいと思っています。

(嶺田明美)