〈日文便り〉
2月19日の日本文学研究会が、私の最終講義になった。
これまで、何人もの先生がたの最終講義を聴いてきたが、まさか自分が
それをすることになろうとは、終った今も、実感が湧かないでいる。
19日と内容が重なるけれど、時間の関係でうまくまとめて話すことができなかったので、
泉鏡花の「年譜」づくりのことを書いてみたい。
私が年譜考証を自分の仕事の中心に据えるようになったのは、鏡花の作品研究をする際に、
その作品が「どのように」書かれているか、よりも「なぜ」書かれたのか、をつねに考え続けてきたからだ。
その作品を書いた時の鏡花がどんな情況にあったか、それを知りたかったのである。
そこで、年譜を調べているうちに、いままで知られていなかった事実や、
従来の年譜の誤りに気づいたのだった。
当時の鏡花を知るために、本学図書館の近代文庫の無盡蔵の資料が大いに役立ったことはいうまでもない。
授業でいつも、図書館の豊富な資料を活用するように言っていたのは、実は自分への叱咤でもあった。
新聞や雑誌の記事のなかに、「泉」や「鏡」や「花」の文字があると、心が騒いだ。
年譜を作るうち、だんだんと、鏡花の生きた時代に立会って、鏡花とともに生きたいと願うようになって、
今日に至っている。
こうした作業を続けた結果、『新編泉鏡花集』という選集の別巻(2006.1刊)に収めた「年譜」は、
これまでの鏡花の年譜で最も詳しいものになったが、
その後も補うべきことがらが次々に出てきて、以後、16年にわたり「年譜」の「補訂」を、
本学の紀要の「学苑」に連載、23回を数えた。
新たに補った項目は237、これにその後見つかった項目151を加えて、計388項目を取入れた「年譜」を、
このたびの退職を機に、昭和女子大学出版会から刊行することになった。
つい先日、ようやく装幀のデザインも決まって、今、印刷にかかっているところだ。
3月25日には、納品の予定である。
図書館にも寄贈するので、四階の作家研究の棚に並んでいたら、ぜひ手に取っていただきたいという願いを記して、最終講義の補いとさせていただく。
(吉田昌志)