〈日文便り〉
今年はなかなか涼しさが訪れませんが、
秋になると紅茶とカステラで、ひと息つきたくなります。
今回は、2月に昭和女子大学近代文化研究所の高校生のための特別講座
「THE かすていら」で話したことを書いてみましょう。
第1回 芥川龍之介とカステラ
芥川は大のカステラ好きでした。
芥川の門下生で、長崎生まれ長崎育ちの歌川龍平(本名 蒲原春夫)が、
長崎でむしゃむしゃカステラを頬張る芥川の様子を書いています。
歌川龍平『長崎郷土物語』上(歴史図書社、1979・6・25)
カステーラは焼いてから一日おいてから、
厚さ八分*位に切って日本茶で食べるのが一番おいしいといわれている。
コーヒーやココアを飲みながら、カステーラを食べるのは食通のするところではない.かつて、芥川龍之介が在崎した時、カステーラを非常に好み毎日一斤位食べていたが、この人はカステーラはちぎって食べるのが旨いといって、パンのように、大きなカステーラを手に持ちながらちぎって食べていた。
*八分:一分が1寸(約3.3センチ)の10分の1。八分は2.6センチ
カステーラは焼いてから一日おいてから、
厚さ八分*位に切って日本茶で食べるのが一番おいしいといわれている。
コーヒーやココアを飲みながら、カステーラを食べるのは食通のするところではない.かつて、芥川龍之介が在崎した時、カステーラを非常に好み毎日一斤位食べていたが、この人はカステーラはちぎって食べるのが旨いといって、パンのように、大きなカステーラを手に持ちながらちぎって食べていた。
*八分:一分が1寸(約3.3センチ)の10分の1。八分は2.6センチ
なんと贅沢な!
芥川は長崎から東京の家族にカステラを送りましたが、ここでも注文をつけています。
書簡 大正11年5月24日付 芥川道章*宛て(長崎から東京の家族へ)
カステラもまだ届かぬにや東京の長崎カステラよりうまき旨、母上叔母上皆々様大切れに切りて沢山召上られたく候
*道章:芥川龍之介の養父。芥川は新原(新原)家に生まれたが、母が発狂したため、母の兄の家に引き取られ、養子となった。
*『芥川龍之介全集』第19巻(岩波書店、1997・6・9)
カステラもまだ届かぬにや東京の長崎カステラよりうまき旨、母上叔母上皆々様大切れに切りて沢山召上られたく候
*道章:芥川龍之介の養父。芥川は新原(新原)家に生まれたが、母が発狂したため、母の兄の家に引き取られ、養子となった。
*『芥川龍之介全集』第19巻(岩波書店、1997・6・9)
「ちぎって」とは言いませんでしたが、やはり大胆にたくさん食べてほしかったのですね。
カステラはポルトガルから入ってきたお菓子ですが、日本でアレンジされたものなので、和菓子扱いです。2回長崎を訪れた芥川の、1回目大正8年のほかの食べ物と値段を比べてみると……
うどん・そば1杯 7銭
羊羹 1本 1円30銭
大福餅 1個 20銭(大10)
森永ミルクキャラメル 20粒 12銭
木村屋あんぱん1個 2銭5厘(大12)
カステラ折詰* 4、50銭~2円30銭(大6)
森永卓郎監修『明治/大正/昭和 物価の文化史事典』(展望社、2007・7・28)
*「お歳暮(八)▲西洋菓子とカステラ」「読売新聞」1917年(大正6年)12月18日付
物によって単位がバラバラですが、お歳暮のおすすめ商品でもあるカステラが、とても上品で、結構なお菓子だったことがわかります。
芥川の家族はみなよろこんだでしょうね。
大正11年の5月は長崎からカステラを送っても大丈夫だったのかなあ、
クール宅配などないのに。 次回は、夏目漱石とカステラのお話をしますね。
芥川の家族はみなよろこんだでしょうね。
大正11年の5月は長崎からカステラを送っても大丈夫だったのかなあ、
クール宅配などないのに。 次回は、夏目漱石とカステラのお話をしますね。
(笛木美佳)