生活がブームになる!?

今日は一つの史料を紹介して、研究の話をしようかなと思います。ネタ本は、1959年に発行された鹿児島県婦人連絡協議会・鹿児島県教育委員会『私たちのグループ活動――県婦人会グループ活動研究会発表要項』です。山形県のとあるお宅に史料調査に参りました時に偶然であったパンフレットです。

まずはそのパンフレットから抜粋した下の図を見て下さい。

左中央に「井」と書いてあるのは「井戸」を表しており、この図は「住宅」「畜舎」「風呂」といった水を用いるところから「井戸」までの距離と歩いてかかる時間を表した図です。そして井戸は深さ20mがあり、ツルベで1回組み上げるのに45秒かかることも分かりますね。

そしてその右には以下のような表がありました。











これらの図表を2枚あわせることで5人家族で家畜を1頭飼育していた場合の、水汲みに要する距離と時間と労力との関係が分かるようになっています。つまり標準的な家庭では一日のうち1時間10分が水汲みに費やされていたことが分かります。この資料は鹿児島県国分市(現・霧島市)の塚脇部落のに住んでいたとある婦人会が作りました。この部落の戸数は80戸あり、その中の73名の女性が婦人会員として活動していたのですが、その活動の一環として、この部落で水汲みでどれだけの時間が「ムダ」にされているのかを明らかにしてみようとして計算したのが上記の図表なわけです。

こんな表を持ち出して、松田は「今はそういう時間が必要ではなくなったのだから、時間を大切にしなさい」なんてお説教したいのか?「昔の人の苦労を見習え」といいたいのか?う~ん、まぁ、それも大事ですし、そういう風に史料を読む読み方もあるとは思うのですが、ここでいいたいのはそういうことではありません。

井戸汲みなんて、井戸が作られて以来、やり続けてきた仕事ですよね?それなのになぜ急にこんな表を作ろうと思ったのか不思議に思いませんか?毎日毎日の生活を「アタリマエ」にこなしているだけではこんな表を作ろうという発想自体が湧いてこないように思います。昨日と同じ一日を今日も過ごし、今日と同じ一日が明日もやってくる。むしろそれが普通だと思うのです。

「私たちはどういう仕組みで『生きて』いるのだろう、どうやって『生活して』いるのだろう」とみんなが不思議に思いはじめて、はじめて水汲みといった「生活」のあり方を観察してみて、「生活」を「科学」的に計測してみようとする意識が芽生えてくるのだと考えられます。そしてその上に「だからみんなで水道を引こう」というような発想が生まれてくるのではないでしょうか。

日本史学ではそういう意識が芽生える時代のことを生活改善運動の時代といいます。おおむね太平洋戦争の時期をど真ん中に含む50年くらいの時期が生活改善運動の時代だといわれています。たまたま今回は鹿児島県の婦人会の史料を紹介しましたが、別に珍しい史料だから紹介したわけでもなんでもありません。むしろ1920年代~60年代頃には生活を見つめ直して改善を目指すこうした運動というのは、全国津々浦々どこにでもありふれて存在していて、一大ブームとなっていたのです。

なぜある時代に生活を見つめるこうした視線が生まれてくるのかという問いは私が大事にしている問いの一つです。

不思議だなぁ~。

以上、日本近現代史担当の松田忍がお伝えいたしました。