「きっかけ」

こんにちは。西洋史の小野寺です。

便利な日本語の1つに、「きっかけ」という言葉があります。

「〇〇に興味をもったきっかけは何ですか?」とか

「〇〇を始めたきっかけは何ですか?」とか。

非常に便利な言葉で、私もついつい使ってしまうのであまり偉そうなことも言えないのですが、本当のところあまり好きな言葉ではありません。

たとえば私なんかは、「なぜドイツ史を勉強しようと思ったんですか?」とか、「なぜナチスを研究しているんですか?」とか聞かれると、一瞬「うっ」と言葉に詰まってしまいます。

一応、それらしい答えを言うことはできます。
一番影響が大きかったのは、たぶん高校時代の世界史の先生。
大学院でロシア史を専攻していた先生でしたが、その先生の話が非常に面白かったし、しかも「大学に行ったらぜひナチ体制とスターリン体制の比較をやりなさい」 などと熱心に「洗脳」されてしまったこともあり、気がついたときには、自分は大学でナチスを勉強するものなのだといつしか確信するようになっていました。

ですが、最初から大学で歴史を勉強しようと思っていたわけでもなく、高校二年生くらいまでは法学部に行きたいなあと漠然と考えていたのです。
「法哲学」とか、「法社会学」とか、当時そんな言葉を聞きかじって、そちらの方が面白そうだと感じていました。
途中で考えが変わって法学部に行くことは諦めましたが、大学に入ると今度は哲学や社会学の方が歴史学よりもはるかに面白いと感じるようになり、歴史も含めて総合的に勉強したいと思うようになりました。
しかし当時の私は、お恥ずかしいことに一生懸命勉強していない学生だったので、希望する学科に進学することができず、仕方なく進学したのが西洋史学科。
しかもサークル活動(オーケストラ)にかなりの時間を割かれて、3年生のうちはほとんど勉強らしい勉強もせず、4年生になって真面目に勉強を始めてから、「ひょっとすると歴史研究というのはかなり面白いものなんじゃあ・・・」ということにようやく気づいた始末。
ですから、本当に必死に勉強を始めたのは大学院に入ってからだと思います。
そこで素晴らしい先生に出会ったことが、私にとってはおそらく大きな転機だったのだと思います。

ですから何が言いたいかというと、私が今の研究テーマや仕事にたどり着くまでの道は、行き当たりばったりのきわめて「いい加減」なものだったということです。

「AというきっかけがあってBを志し、CやDという努力を経て現在があります」

などという、就職活動の自己アピールで語れるような立派な「ストーリー」が私にはそれほどありません。
振り返ってみれば、「あそこが転機だったな」というターニングポイントはいくつかありますが、その当時は行き当たりばったりもいいところで、そういうジグザグを繰り返してきた結果今があるというのが、正直な印象です。

今言ったようなことを、ブルデューというフランスの社会学者は、「伝記的幻想」という言葉で表現しています。
人間は自分の人生を振り返るとき、 まさに「AというきっかけがあってBを志し、CやDという努力を経て現在があります」というようなきれいな「ストーリー」を語りがちです。偉人伝とか、「私の履歴書」とか、そういう「自分語り」において、人間は自分の人生をそういうふうに整理してしまうことが多い。
しかしそれは「幻想」に過ぎない、というのがブルデューの指摘です。
人間の人生はもっとジグザグなもので、行ったり来たり、喜んだり悲しんだり、興奮したり落胆したりの繰り返し。
「伝記的幻想」のようなきれい事をそのまま信じるのではなくて、そういうジグザグで行き当たりばったりな「リアル」な人生を明らかにすることが、研究者に求められていることなのでは、と。
私は今、ドイツ兵たちが書き残した手紙を分析する研究を進めていますが、その原点にはそういう思いがあります。

話の方向性がだんだん拡散してきたので以上強引にまとめますと、要するに何かに関心をもつのに強い「きっかけ」など必要ない、ということです。
「なんか興味がある」「面白そうだ」
くらいで十分です。
「〇〇で初めて××を体験して、△△の偉大さに触れたから」
というような立派な「きっかけ」など別に必要ないし、そういうきっかけがないということを恥ずかしいと思う必要もないということです。

ただそのさい1つだけ、絶対に忘れないで欲しいことがあります。
それは、「何はともあれ、何か行動してみる」ということです。
そのテーマに関する本を読むのでもいい、映画を借りてきてみるのでもいい、博物館に行ってみるのでも、何でもいいのです。とにかく何かしら、具体的な行動に移してみる。
一番良くないのは「興味はあるけれど、でも何もしない」という状態です。
これは、本当に時間の浪費です。
たとえば読んだ本がつまらない、このテーマには興味が持てないという場合には、別のテーマへと進むことができます。
しかし興味はあるけれど何もしないという状況が延々と続くと、進歩も発展もないまま、次第に「根腐れ」していきます。

歴文のスローガンは「手で考え、足で見よう」ですが、
以上述べたことを簡潔にまとめれば、
まずは手を動かし、足を動かしてみよう
ということに尽きます。
手も動かさず足も動かさず、立ち止まったまま「うーん」と悩んでいることが多かった私を反面教師として、ぜひ皆さんには「まず動いてみる」という姿勢で、いろんなことにミーハーに興味をもって行動して欲しいと切に願っています!