2019年3月

長崎被爆者・木戸季市さんへのインタビューをおこないました [2019年03月27日(水)]

戦後史史料を後世に伝えるプロジェクトです。

2019年3月12日に、長崎で被爆した木戸季市(すえいち)さんへのインタビューを行いました。木戸さんは現在は日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の事務局長をなさっていらっしゃる方であります。

昨年度の私たちの秋桜祭展示のタイトルは「被爆者に『なる』」だったわけですが、その報告をしたときに、「私も三度被爆者に『なっている』んだよ」と声をかけて下さったのが木戸さんであり、その時にオファーして以来、念願かなってのインタビューでした。

木戸さんは5歳のときに被爆なさったのですが、ご自分の記憶と照らし合わせながら、当時の史料を多数ご覧になって、ご自分の体験を客観的にみようとしていらしたことがたいへんよく分かるお話しでした。特に、8人兄弟の末っ子であった木戸さんのお姉さんが、すでに結婚して鹿児島県出水にいた長姉にだした被爆直後の手紙には、木戸家の被爆状況が克明に記されていて、非常に価値のある歴史史料だと思いました。

2㎞の地点で原爆の熱線の直撃を受けたお母さんと木戸さんが、顔などを激しく焼かれたにも関わらず、後から合流したお父さんが「みんな無事で良かった」とおっしゃったことが印象に残っているとのことであり、合流以前にお父さんがみた光景の凄まじさが想像できるとのお話しが印象的でした。

木戸さんご自身も「自分は『幸運』な被爆であった」と語っていらしゃいました。もちろん被爆が「幸運」であったことはありえないのであり、それでも「幸運」と表現する木戸さんは、より爆心地に近い、人間の尊厳が保ちえなかった地域のことを今も学び、胸に刻み続けているのだろう、そしてそこにいた人々との対比で「幸運」とおっしゃるのだろうと感じました。とすると、私たちが木戸さんから学ばねばならないのは、木戸さんのさらに向こう側にあった世界への想像力になります。

だからこそ木戸さんもまた意識的に被爆者に「なって」原爆を語り継ぎ、その責任を問い続けることを自らの責任として引き受け続けていらっしゃるのかと思いました。

また私どものプロジェクトが気にしているのは、「あの日」の体験に加えて、その後の人生の歩みでありました。高校卒業後京都で学生生活を送った後、岐阜で大学の教員をながらくなさってきた木戸さんのお話はたいへん興味深く、予定された時間はあっという間に過ぎてしまいました。

一番のメインでお聞きしたかった「三度被爆者になった話」はまた次回(5月中旬)に伺うことになりました。ちなみに木戸さんが「三度被爆者になった」というのは、一度目(1945年8月9日)、二度目(自分が被爆者だと知ったとき)、三度目(日本被団協に関係を持って被爆者運動に参加し始めたとき)を指すとのことでありまして、私たちのプロジェクトがこだわってきた「被爆者の歴史的形成」の論点にとって、非常に重要なお話しになるかと思っております。

このプロジェクトでも何度かインタビューをしてきまして、時間をかけてお話しを伺うことの大切さがよく分かってきました。次回のインタビューをとても待ち遠しく思っております。

木戸さん、ありがとうございました!またどうぞよろしくお願いいたします!!

卒業式直後の喜びの様子! [2019年03月19日(火)]

こんにちは、松田忍(日本近現代史)です。

3月16日(土)の卒業式の様子を写真でお伝えします。

人見記念講堂にて行われた式を終えて、晴れやかな表情で7号館(旧研究館)に帰ってくる卒業生たちを待ち構えて定点撮影!

彼女たちの表情を見ていると、もうなにも説明は不要ですね!笑

見事な黒板アート@卒業式 [2019年03月17日(日)]

みなさま、こんにちは。日本近現代史担当の松田です。

昨日は卒業式、本日は卒業パーティが執りおこなわれ、4年生たちは晴れ晴れとした笑顔で卒業していきました。

卒業パーティで学科長の大谷津先生が「肩の荷が下りた」とおっしゃっていました。私も同じ想いでいっぱいであります。高校を卒業したばかりの1年生たちを4年間かけて育て上げることは学科教職員一同の社会的使命であります。授業やゼミで学問的な知識や思考力を鍛え上げ、研究を完成させるところまで導くとともに、資格取得もサポートし、さらに寝食を共にする学寮研修で語りあい、その他にも各種の学外研修、キャリアサポートをして、「世の光となる」社会人として世の中に送り出していく責任を、この学年に対しても恙なく果たせたということは本当に嬉しく思っています。

卒業式や卒業パーティにおける学生たちの笑顔については続報にてアップしていきます。

その前に……。

今年度も卒業生を心を込めて送り出すために、下級生の有志学生が、「卒業生接待係」となって最後のクラス会の会場設営に当たってくれました。特に、毎年楽しみなのが、工夫を凝らした黒板アートです。

今年はこちら!

2年生のTさんが中心となって完成させて下さったそうです。黒板の前で写真を撮ると、帽子をかぶっているように見えるというギミック。いやー、素晴らしいアイデアだと思います!

そして一緒に悪のりする田中眞奈子先生!笑

卒業生の皆さんもこのギミックに気づいて下さったかな??

平成30年度 卒業式が執り行われました [2019年03月16日(土)]

3月16日(土)にcherryblossom平成30年度 卒業式cherryblossomが人見記念講堂にて挙行されました。
卒業生はアカデミックガウンとキャップを着用して式に臨みます。
人見記念講堂における学位記の授与では、卒業生全員の名前が呼ばれ、返事をします。

卒業式後には在学生の有志から祝福を受けながら、入学式後に集合した場所でもある思い出深い教室に集合します。
そして、学科長から1人ひとりに学位記が授与されました!

 

そして、クラスアドバイザーの先生方から卒業生に対して手向けのお言葉が贈呈されました。


ご卒業おめでとうございます花束 デコメ絵文字
これからも歴史文化学科は皆様のご活躍を応援しています!
なにかを成し遂げたとき、ちょっと休憩したいとき、なんにもないときでも
是非、歴文に帰ってきてくださいconfidentnotes
4月からは学生の皆様はそれぞれの道を歩むことになりますが、自分らしく笑顔を忘れずに頑張ってください!

 

平成30年度 修了式 [2019年03月16日(土)]

3月16日(土)に花束 デコメ絵文字平成30年度修了式花束 デコメ絵文字が人見記念講堂にて挙行されました。
生活機構研究科 生活文化研究専攻(修士課程)からは2名に学位記が授与されました。

  

指導教授や大学院所属の先生方からも、修了生への手向けのお言葉が贈呈され、
今後の研究などについて、お話をいただきました。

 

これからも修了生の皆様のご活躍を学科一同心よりお祈りしていますconfident

 

授業の課題!?「フィッシュ・アンド・チップスを食べなさい」 [2019年03月10日(日)]

西洋史の山本です。こんにちは。

私がここ3年ほど担当している「西洋文化史」という授業では、政治史や経済史など、一般的な歴史(あるいは高校世界史の教科書的歴史)とは異なる角度からヨーロッパ史を見るという試みを行っています。

今学期はイギリス文化を中心に話を進めましたが、「まずい」と評判の「イギリス料理」について扱う回がありました。川北稔先生や小野塚知二先生の著作やL・コリンガムの最新の研究に学びつつ、近代化以前のイギリスの多様な地方料理が産業革命に伴う工業化の流れのなかでどのように変化したのか、あるいは「まずい」という評価はいつ生まれ、いかにして世界的に定着したのか、などの問題を学生を一緒に考えました。

さて、そのなかで代表的なイギリス料理として有名な「フィッシュ・アンド・チップス」が話題に乗りました。白身魚のフライにポテトフライを添えた簡単なものに見えますが、実はこれ、イギリス近代を象徴する重要な料理なのです!!

・・・などと熱弁を振っていると、なにやら白けた雰囲気が教室に漂っています。もしやと思って、フィッシュ・アンド・チップスを食べたことがある人に挙手してもらいますと、なんということでしょう(加藤みどり風)、100名強の受講者のうち、わずか数名しかいませんでした。

そこで急遽、「イギリスの食文化について、調査・体験したことをまとめた上で、それを歴史的文脈において考察せよ」という(任意の)課題を出したわけです。今回はその学生のレポートを紹介しましょう。

* * * * *

我々、SAKANA&AGEMONO〔注:この課題のために結成された歴文生のユニットだそうです〕は1月4日、GOOD HEAVENSという下北沢にあるイギリス料理店にフィッシュ・アンド・チップスを食べに行ってきました。食べたフィッシュ・アンド・チップスはこちらです。小さなユニオンフラッグが飾ってありお子様ランチのようでとても可愛いですね。

GOOD HEAVENSのフィッシュ・アンド・チップス

お店の店員さん曰く、ケチャップソースと、タルタルソースは自家製秘伝とのことでした。この秘伝のソースが気になりましたら、是非GOOD HEAVENSに行き、訊いてみてください〔注:この学生さんたちはレシピを教えてもらったそうです〕。店員さんは、なんとお勧めの食べ方まで教えてくれました。そのお勧めの食べ方はというと、ビネガーをかけることだそうです。ビネガーを使うことによってタラの臭みが取れて美味しく食べられるのです。フィッシュ・アンド・チップスを食べて、私はより一層イギリス本土のフィッシュ・アンド・チップスが食べたいという思いが増しました。(2年M・Mさん)

私はフィッシュ・アンド・チップスをハンバーガーのように紙で包んでかじりつきながら食べるものだと思っていました〔注:元々は忙しい労働者の食事であったため新聞に包んで食べた〕。実際にGOOD HEAVENSで食べてみると、ナイフとフォークでステーキのように切り分け、テーブルの上にある調味料をかけて味を変えながら食べました。いつもはいくつもの調味料を使い、味を変えるということがあまりなかったので新鮮でした。今回はレポートということで一人一皿食べましたが、GOOD HEAVENSでは大勢でシェアして食べるのが多く、一人一皿頼む人はあまりいないので、色々なお話を聞いたお店の人には大きめの一皿なのに食べきれるのかなと思われていたそうです。GOOD HEAVENSのフィッシュアンドチップスは衣が厚いのに全然油っぽくなくてペロッと食べられました。課題をきっかけに日本では中々気軽に食べることがないフィッシュ・アンド・チップスを食べにいくことができて、とてもイギリス文化の勉強になると同時に楽しかったです。(2年N・Aさん)

私は下北沢にある「GOOD HEAVENS」というお店のフィッシュアンドチップスを食べて来ました。初めてフィッシュアンドチップスを食べてみて、日本の天ぷらと煮魚を足して2で割ったような、不思議な味がしました。お店の人に「モルトビネガーをかけると油分が減ってスッキリする」とアドバイスをもらったのでビネガーをかけて食べてみました。試しにビネガーをかけたら確かにまろやかで食べやすい味付けになり、イギリスで使われているビネガーは日本のとは違いとてもまろやかで、醤油やポン酢の感覚でビネガーを使うのかと少し驚きました。イギリスでは1500年代から宗教改革が起こり、プロテスタントやピューリタンの動きが活発化しました。彼らはキリスト教の中で最も敬虔かつ禁欲的で、娯楽や賭け事などをせず毎日神に祈りを捧げながら生活していました。そのため、食べるものも質素で食に対する追求がありませんでした。日本料理やフランス料理に比べてイギリス料理の味付けがシンプルなのは宗教的な理由があるのではないかと思いました。(2年K・Mさん)

* * * * *

これらの他にも、自分でフィッシュ・アンド・チップスを作った人、フィッシュ・アンド・チップスの栄養価の分析を行った人、19世紀の労働者をまねて丸1日を紅茶だけで過ごした学生もいました!  昭和女子大学の学生の活動的な側面がよく分かりました。

ところで、フィッシュ・アンド・チップスが「イギリス近代を象徴する重要な料理」なのは何故でしょうか。それは授業に出た人の特権ということで、ここでは書きません。興味のある方は、以下の文献を自分で読み、勉強して欲しいと思います。

川北稔編『世界各国史14 イギリス史』山川出版社,998年.
小野塚知二「イギリス料理はなぜまずいか?」井野瀬久美惠編『イギリス文化史』昭和堂、2010年,113-132頁.
Maggie Black et al., A Taste of History: 10,000 Years of Food in Britain, British Museum Press, 1993.
Lizzie Collingham, The Hungry Empire: How Britain’s Quest for Food Shaped the Modern World, Bodley Head, 2017.

被団協文書整理会のこれまでを写真とともに振り返る! [2019年03月09日(土)]

こんにちは、松田忍です。

昨日は被団協文書整理会がありまして私も参加してきました。この会は「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」の栗原淑江さんに、歴史文化学科の学生と松田が協力する形で運営して参りました。

すでにブログでもご紹介しておりますとおり、2018年度からは戦後史史料を後世に伝えるプロジェクトを立ち上げ、整理してきた史料を活用しての研究も開始しております。

前だけ向いてやってきた史料整理会ではありますが、ここらで一度振り返っておくのも悪くないかなと思います。栗原さんから参加学生リストをいただきまして、協力してくれた学生の延べ人数を学年別にカウントしてみました。

2008年入学組―1名(大学院時代に参加)

2011年入学組―1名

2012年入学組―7名(うち福祉社会学科1名)

2013年入学組―20名

2014年入学組―8名(うち英語コミュニケーション学科1名)

2015年入学組―26名(うち学習院大学史学科1名)

2016年入学組―6名(うち環境デザイン学科1名、学習院大学史学科1名)

2017年入学組―11名(うち日本語日本文学科1名)

2018年入学組―9名

以上の人数を合計すると、延べ参加学生数はなんと89名!!!

歴文以外の学科や他大学からも多数参加して下さって、みなさまのボランティアによって、ここまで史料整理を進めてくることができました。

また学生数にはカウントしていませんが、それ以外にもご協力下さった社会人の方も3名いらっしゃいます。

次に、記録写真で、2013年8月5日に開催された第1回被団協文書整理会から振り返っていきます。

第1回 2013年8月5日(参加人数2名)

記念すべき第1回の朝!これから整理される史料がダンボールに眠っています。

今は教師をしているSさん(当時大学院生)。微妙に若いぜ!笑

初回はこのメンバーだったんだ~。中央のIさんは初期の文書整理会をしっかり支えて下さいました。まだ史料整理用テーブルもなく、小さな円卓で作業やっていました。

第2回 2013年8月6日(3名)

初期の懐かしいメンバー!元気にやってるか~!?このなかには学問の道を志し、大学院進学したOGも!長崎出身のWさんはそのつながりで原爆へのご興味がありましたね。

写真には残っていませんが、この円卓は実は伸ばして大きくするギミックがあることを偶然発見し、みんなで大騒ぎしたのも良い思い出です笑

作業工程もこの頃は試行錯誤。「ホッチキス外し」→「袋に詰めて資料名を書く」→「栗原さん仮整理」→「史料リストに採録」の流れがだんだんと確立されていきました。

普通の史料整理だと「現状保存」が大原則であり、史料が積み重なっていた順番なども正確に記録していくのがセオリーでありまして、あとの利用者が史料の性格を推測するための材料を残す必要があるのですが、被団協文書整理会の場合は、日本被団協の事務職員をなさっていた栗原さん自身が各史料の作成時期や性格について、ほぼ完璧に把握なさっているおかげで、栗原さんが史料を分類して並べ直してから整理番号を振っています。このルールにすることにより、作業量を大幅に削減することができました。

歴史家は、関係者が亡くなってから史料整理に入ることも多いのですが、関係者の存命中に整理を始めることの大切さを痛感しております(栗原さんはお若いので、そんなことをいうと失礼になりますが)。また被爆者運動がそもそも「継承」を課題としていたが故に、史料の整理・保存・活用に敏感であり、だからこそ、まだ手遅れにならないうちに、ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会の活動が立ち上げられたんだろうなと思います。素晴らしいことだと思います。

第3回 2013年8月19日(3名)

第4回 2013年8月28日(4名)

第5回 2013年9月25日(4名)

第6回 2013年10月20日(4名)

第7回 2013年10月27日(2名)

この頃になるとテーブルも入れていただき、史料整理室がだんだんと整備されてきていますね。

整理するための文房具も徐々に充実。みんなで便利なグッズを見つけては持ちよっていました。「折原クリップ」とか「黒川クリップ」とか懷かしい笑 史料整理には金属はとにかく御法度なんですよね。長期的に見ると錆びて紙を傷めてしまうから。

作業整理室は東京港区の愛宕山の麓のビルの一室にあります。東京23区内の最高峰である愛宕山には愛宕神社があります。作業終了後、散歩して帰ったりもよくしました。

愛宕神社参道の「出世の階段」。この急な階段を馬でのぼった武士が徳川家光から褒美をもらったとの故事にちなみます。この当時はまだ何も説明とか無いのですが、今は観光地(?)として整備され、平日でもたくさんの人がいらしてますね~。

第8回 2014年7月27日(3名)

史料整理会2年目。みんな「夏!」って感じの服装ですね。整理会は夏休み、冬休み、春休みを中心に開催してきました。ここに写っているメンバーはのちに松田ゼミに入って、素晴らしい卒論を書いたみなさんです。まだこの時は2年生かな?史料整理しながら「どこのゼミはいるか迷ってるんですよ~」など、たくさんの相談に乗りました。

積み上げられた「もんじょ箱」。なんとなく重量感がないので、まだ空き箱かな?整理済みになった史料からどんどん「もんじょ箱」に収納していきます。

「もんじょ箱」をみんなで組み立てたのも良い思い出です。史料整理は「もんじょ箱」が1人で組み立てられるようになって一人前!!意外と難しい笑

とにかくホッチキス外しが大変です。

第9回 2014年8月2日(5名)

第10回 2014年8月3日(5名)

第11回 2014年8月4日(5名)

なんかめっちゃ嬉しそうなYさん。ほとんどの記録用写真は真面目な雰囲気で撮影していますが「史料整理はおしゃべりしながらじゃないとだめだ!」が松田のモットーです!!史料を冷静に読むためには、史料との「距離感の取り方」が大事だからです。

松田が学生時代に参加させていただいた房総史料調査会がそんな雰囲気でありました。15時くらいを過ぎると、みんな手を動かしながらも「酒の話」と「飯の話」しかしないという雰囲気でして、「日本史学科は日本酒学科である」との最も重要なことを教えて頂きました笑

あ、これは真面目な話ですが、フォローじゃなく事実として、房総史料調査会は近世や近代の古文書を「現状記録」しつつ、保存・活用していくノウハウを編み出してきた草分け的な団体であります。史料整理とそれを活用した研究双方の面における学問的貢献は多大なるものがありますし、多くの研究者を輩出して、全国各地に「史料保存」「史料整理」の種を蒔いてきた団体です。私は少ししか参加できませんでしたが、房総史料調査会で学んだ現状記録の精神はとても貴重でありまして、今でも史料整理をしていて判断に迷うことがあったときに、真っ先に考えるのは「房総史料調査会ならどのようにするだろうか」です。学生の皆さんも史料整理をもっとやってみたければ、是非ご参加になってみて下さい!

ちなみに被団協文書整理会では昼食はよく一緒にとりますが、お酒を飲むことはありませんのでご安心を。整理室が港区の虎ノ門ヒルズのすぐそばなので、近くにオシャレなレストランがたくさんあるんですよね!昨日もヒルズの香港料理のお店で食事を取りました。

お、Aさんも参加してもらってたんだな~。本当にたくさんのメンバーに支えられて、史料整理をやってきました。

第12回 2014年8月5日(5名)

仲のいいお二人での参加!奥のKさんはつい最近一緒に食事しました。手前のKさんは読んでいるうちに被団協文書に興味がでてきて、色々と調べていらしたことを思い出します。卒業後、元気にやってるか~!?

史料整理していると本当にいろんな史料がでてきます。その度に手を止めて、栗原さんに「これなんの史料ですか?」と質問をします。栗原さんは被団協の事務局にいらした方で、本当に何を聞いてもご存じで、すぐに答えて下さいます!

第13回 2014年8月8日(4名)

第14回 2014年8月9日(4名)

ダンボール箱から出てくるのはほとんどが文字史料ですが、ときどきモノもでてきます。これは手拭いですね。

この手拭いには「被爆者とともに築かむ うつしよに(世耳) 核兵器なき とわ(登王)の 平和を」とあります。

そういえば厚生省前にテントを張って泊まり込みの活動をしたときの火鉢なんかも日本被団協の事務所から出てきたそうです笑

第15回 2014年8月10日(6名)

新しく史料整理室に運び込まれたダンボール。ものすごい量です!!史料は次から次へと運び込まれます。そろそろ日本被団協の史料整理が一段落して、個人や地方団体の史料整理に手を付け始めた頃かな?

この写真自体は2014年8月28日撮影でありまして、当時の記録をみると、運び込まれた史料を確認して、整理方針を決めるために栗原さんと松田の2人で打合せをしたときのものかなと思います。

第16回 2014年9月4日(5名)

第17回 2014年9月5日(3名)

第18回 2014年9月11日(5名)

第19回 2014年9月12日(4名)

第20回 2014年9月16日(5名)

第21回 2014年9月18日(3名)

第22回 2014年12月14日(3名)

第23回 2014年12月20日(4名)

第24回 2014年12月21日(5名)

この頃には被団協文書整理名物、カラフルなプラスティックガチャックが導入されていますね。このガチャックも今は入手困難になってしまったそうです。

栗原さんとIさん。Iさんは本当にたくさん参加してくださいました。卒業して社会人になってからもお菓子を持って激励にいらしてくださったりして。

第25回 2015年2月19日(6名)

第26回 2015年2月24日(4名)

第27回 2015年3月3日(5名)

第28回 2015年3月5日(6名)

第29回 2015年3月10日(5名)

第30回 2015年8月2日(5名)

第31回 2015年8月3日(4名)

第32回 2015年8月10日(5名)

このへんになると現4年生(この春卒業)が1年生の頃の様子ですね。彼女たちはその後、西洋史ゼミや民俗学ゼミに入っていったわけですが、どの分野を専門にするにせよ、せっかく歴史文化学科に入ったのだから、史料整理を経験して卒業していって欲しい!と切に願います。

興味のある史料がでてきたら、整理の手を止めて読み込む!それもまた大事!

第33回 2015年8月11日(4名)

第34回 2015年8月20日(2名―史料整理準備)

第35回 2015年8月22日(2名―史料整理準備)

第36回 2015年8月25日(2名―史料整理準備)

第37回 2015年8月27日(4名)

第38回 2015年8月29日(南浦和で書籍整理2名)

これは南浦和の資料庫立ち上げの様子です。

愛宕の史料整理室が満杯になってきたこと、そして書籍の受け入れもはじめたこともあり、ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会では新たに南浦和に史料保管庫を借りることになりました。これはその設営の様子ですね。

原爆関連書籍も大量にあります。こちらは一橋大学の濱谷正晴先生を中心に整理が進められています。

史料保管庫のようす。愛宕で整理された史料は「もんじょ箱」につめて、こんな感じで保存されています。

第39回 2015年9月1日(4名)

第40回 2015年9月2日(南浦和で書籍整理2名)

第41回 2015年9月3日(史料整理5名/南浦和で書籍整理2名)

第42回 2015年9月7日(南浦和で書籍整理2名)

第43回 2015年9月8日(5名)

第44回 2015年9月9日(南浦和で書籍整理1名)

第45回 2015年12月5日(2名)

第46回 2015年12月6日(2名)

第47回 2015年12月12日(3名)

第48回 2016年2月19日(5名)

第49回 2016年2月22日(5名)

第50回 2016年2月25日(4名)

第51回 2016年3月1日(5名)

第52回 2016年3月4日(3名)

第53回 2016年3月7日(3名)

第54回 2016年3月10日(4名)

第55回 2017年2月23日(4名)

第56回 2017年2月28日(3名)

第57回 2017年3月3日(4名)

第58回 2017年3月6日(5名)

記録写真の日付がちょっと飛びましたが、2017年の様子。

この時はたまたま松田ゼミメンバーばかりが参加していますね。みんな一生懸命作業しています。

第59回 2017年3月9日(4名)

第60回 2017年3月11日(3名)

第61回 2017年7月31日(5名)

第62回 2017年8月3日(5名)

第63回 2017年8月9日(5名)

このあたりになると本当に最近です。今の歴文2年生が1年生だった頃の写真。このときも本当にたくさんの学生が文書整理に参加してくださいました。

だいたいの文書整理会の流れとしては、ちょっと緊張しながら参加して、みんな栗原さんの優しさと温かさに感動して帰っていきます笑 そしてリピーターになって下さる学生も多数!あらためて写真を見返すと、こんなにもたくさんの学生をご指導いただいてきた栗原さんには感謝しきれません!!栗原さんがいらっしゃるから松田も安心して学生たちをお誘いできます。

写真に写る学生のマスク率が高いのは、戦後の新しめの史料とはいえ、それなりに埃っぽいからです。手を洗い、時計や指輪を外して、史料に触れるといった基本的なことも学びます。

第64回 2017年8月12日(5名)

第65回 2017年8月30日(5名)

第66回 2017年9月1日(5名)

第67回 2018年2月24日(4名)

第68回 2018年2月28日(5名)

第69回 2018年3月2日(5名)

第70回 2018年3月15日(5名)

第71回 2018年3月17日(5名)

第72回 2018年8月2日(5名)

第73回 2018年8月4日(4名)

第74回 2018年8月7日(5名)

第75回 2018年8月10日(2名)

第76回 2018年8月24日(5名)

第77回 2018年8月29日(5名)

第78回 2019年2月28日(3名)

第79回 2019年3月3日(4名)

第80回 2019年3月6日(3名)

第81回 2019年3月8日(6名)

そして昨日(3月8日)の整理の様子!本年度から「戦後史史料を後世に伝えるプロジェクト」もはじまり、今まで以上に史料内容についての議論もしながら作業は進みます。

史料保存の手法も随分と確立されました!

そういえば文書整理会には必ず「3時のもぐもぐタイム」があります笑 いつも栗原さんが美味しいおやつとお茶を用意して下さいます。今まで撮影したことはなかったのですが、7年目にしてはじめての記録写真が!!吉村さん、写真撮ってくれてありがとう!

第82回 2019年3月14日(開催予定)

なんか急にこんな回顧記事を書くと、整理会が終わるかのようですが笑、そんなことはありません。

整理をまっている史料はまだまだありまして、これからも続いていきます。協力ボランティアも不定期に募集しておりますので、募集があったときには是非ご参加になってみてください!!

 

『父と暮せば』映画鑑賞会を開きました! [2019年03月08日(金)]

こんにちは、戦後史史料を後世に伝えるプロジェクトです。

3月4日に井上ひさし原作・黒木和雄監督の映画作品『父と暮せば』(2004年)の映画鑑賞会をおこないました。参加した学生は3年生1名、1年生4名に計5名。

原爆から生き延びたものの、父や友人達を失い、自らも健康不安を抱える美津江(宮沢りえさん)が主人公です。心を寄せる男性と出会ったものの、生きることや恋をすることに積極的になれない美津江を、幽霊となったあらわれた父があの手この手を使って励まし、それとともに美津江の心の奥底が語られていくストーリーです。

全編を通じて場面転換がほとんどない映画なのですが、1年間プロジェクトをやってきて考えてきたこととリンクするところがたくさんあって、メンバー一同食い入るように観ました。

鑑賞後はすぐに感想交換のミーティング。みんなで考えたことをたくさん共有したので、どれが誰の感想かというと難しいのですが、席上ででた意見を列挙します。

  • 健康のこととか、将来の赤ちゃんのこと、次に亡くなってしまった親友のこと、そして最後の最後にお父さんを助けられなかったことが順番に語られているが、あとになるほど美津江にとって重い事実であり、本当に辛い心の核の部分は逆に最後の最後まで奥にしまって、言葉にすることが難しいんだと思った。言葉にできないことをかかえこむことが原爆の被害なのだと感じた。

  • プロジェクトで勉強したことを踏まえると、井上ひさしさんが本当に綿密な取材をした上で、この作品をつくったことがヒシヒシと伝わってきた。原爆や被爆の問題を考える際に、大事な論点がたくさん入っている作品。被爆者がこの作品をどのように評価しているのかも聞いてみたい。

  • 三部作の別作品の『母と暮せば』が亡くした息子への思いがなんども語られるのと比べると、美津江からお父さんへの接し方が意外とドライなのが印象に残った。『おとったん、ありがとありました』で終わる終わり方も、あっさりした印象を受けた。もう一歩深く読みとらないと分からない作品なのかも知れない。

  • 英語で被爆者を書くと「survivor(原爆からの生き残り)」とも「victim(原爆の犠牲者)」の2通りの表記があるが、今年度のプロジェクトでは「survivor」のほうしか見られてなかったという反省を先日(2月15日)の報告会でした。被爆者の話に必ず登場するのは「victim」の話であり、被爆者は常に「死者と共にある」ような気がする。死んだ人との関係をどこかで自分なりに考えていかないと、被爆者は生きていけなかったんだと言うことがこの作品でよく理解できた。幽霊と人間という構成でしか描けないところに原爆の悲惨さがあるような気がする。被爆者はみんな心の中の幽霊と話し続けているのだと感じた。

プロジェクト開始前だと読み取れなかったであろうことが読み取れたと思います。たださらに勉強すれば、さらに気づくこともでてきそう、そんな作品でした。

『父と暮せば』はより原作に忠実に演じた舞台版のビデオもあると栗原さんに聞きました。また時間をつくって鑑賞会を開きたいと思います。

我々がやっているのは学問としての歴史です。だから感想や意見を述べるだけではなく、史料をメインに歴史像を組み立てていくことが最終目標です。しかし、様々な体験を通じて、「心の感度」をあげておくと、より深く史料を読み取れるようになると思います。今日の鑑賞会の経験を踏まえて、また頑張っていきます!

テンプル大学主催の映画鑑賞会に行ってきました [2019年03月04日(月)]

西洋史の山本です。こんにちは。

今秋にテンプル大学ジャパンキャンパスが昭和女子大学に移転し、日本はおろか、世界でも珍しい「1キャンパスに2大学」の体制が実現することは、報道等でよくご存知のことと思います。

そのプロジェクトの一つとして、テンプル大学で開催されました映画鑑賞会に招待されましたので、同大学の麻布キャンパスまで行ってまいりました。

テンプル大学ジャパン麻布ホール

映画は「ソニータ」(2016年)というドキュメンタリー(風の)作品です。イランで難民生活を送るアフガニスタン出身の少女ソニータに取材したもので、ラッパーとしての才能が豊かなソニータはスターになることを夢見ますが、母は金銭目当てで彼女を強制的に結婚させようとする――といった内容です(詳しくはオフィシャルサイトをご覧ください)。たいへん印象深い映画でした。

映画「ソニータ」ポスター

会場には菓子なども用意しており、非常にアットホームでした。テンプル大学副学長のジョージ・ミラー先生も昭和女子大学キャンパスへの移転について、情熱的に語っておられました。

会場風景(最前列のシートを用意してもらいました)

なお、歴史文化学科でもテンプル大学とのコラボレーション企画が現在進行中です。どうぞお楽しみに!