【特殊研究講座】自分の常識を見つめ直した時間

みなさんこんにちは!
現代教養学科3年の青木伊織です。
今回は、弓狩匡純さんを講師に迎えて10/26に実施した特殊研究講座『コミュニケーションの可能性「常識」から「良識」へ』のレポートをお届けします。

弓狩匡純(ゆがり・まさずみ)さんは、作家・ジャーナリストとしてご活躍されている方で、これまで50カ国以上の国々を訪れて取材・執筆活動を継続されています。講演のなかでは、活動のなかで執筆された書籍の一部をご紹介いただきました。

まずは、国歌についてでした。国歌はオリンピックや国の行事など、いろいろな場で使われますが、けしてハレの日だけに使われるものではなく、反政府デモなど、国の現状をよく思っていない人々も国歌を歌うのだ、というお話でした。私の中では、国歌というと愛国者や右派の人が好んで歌うものかな、という考えがあったので、政府に反抗する立場の人が国歌を使うこともあるのだと知り、驚きました。

次に、アメリカの「聖地」でした。聖地というと、古い遺跡だったり、宗教的な建物だったり、そういった歴史的なものを思い浮かべますが、建国してから比較的歴史の浅いアメリカでは、ディズニーランドやケネディ宇宙センターなどが「聖地」なのだそうです。私は日本のディズニーランドにしか行ったことがありませんが、たしかにディズニーランドの雰囲気は「アメリカ人の思う理想の古き良きアメリカ」というイメージで、現在のアメリカ像とはけっこう離れたものでした。「その国の人々の理想の塊」という意味で「聖地」という言葉を捉えるならば、ディズニーもたしかに聖地になり得るのだろう、と考えました。

そして、原爆の被害者との対話を通して、原爆をテーマに絵を描く高校生たちの取り組みについても聞きました。広島に原爆が落ちた日の写真はたったの8枚しか残っていないため、その場で生き残った方々の記憶の中にしか当時の光景が残っていません。高校生の取り組みは、その原爆被害の記憶を記録することにつながっています。

弓狩さんのお話のなかで印象に残ったのは、「常識」はけっこうコロコロと変わってしまうものだ、ということです。常識に引っ張られてしまうと、新しい発想が出てきにくくなってしまい、つまらない。「常識」よりも「良識(コモンセンス)」を学び、個性を育むことが大事。「私が私が」と独りよがりにならないように周囲とコミュニケーションを取ることが大事。というお話でした。常識に囚われないように、とはよく言うけれど、それを実行するために必要な努力は並大抵のものではないと思います。世の中の潮流が変わる中で、周囲の人との関わりを大切にし、「良識」を育めるような人になりたいと思いました。