昭和のタイムカプセル

 創立者人見記念講堂の前に建っているトルストイ像は、パンフレットや式典の次第などの学園の印刷物の表紙でもおなじみです。本学で学んでいる人なら誰でも、トルストイ像のことを知っていると思っていたのですが、先日、像の前を通りかかった学生達が、「これ、誰?」「創立者記念講堂だから、創立者じゃないの?」と話しているのを聞いて、びっくりしました。創立者の人見圓吉先生は、がっちりしていてとても大柄な先生でいらしたことには間違えはありませんが・・・。今日は、そのトルストイ像のことについて書いておきたいと思います。
 
(トルストイ像)
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 記念講堂前のトルストイ像は、ブロンズ製で2.5メートル、380キロもあります。今から120年近く前、トルストイが同じロシアの作家ゴーリキーと一緒に写した写真を基に作られ、中部ロシアのニコーリスコエの町の博物館の前に建っているものを模したものです。
 
 さて、昭和のトルストイ像には秘密があります。それは、実際に重量を測ってみると、なんと480キロにもなるということです。なぜだかわかりますか。
 
 像内に80周年を迎えた当時までの昭和学園の資料がさまざま入っているのです。開講の詞、人見東明全集、それまでの全卒業生の名簿、学生便覧、学報の特集号、それに、当時の昭和学園の施設の写真や学園が発行した様々なパンフレット等です。
 
 小学校や中学校の卒業記念にタイムカプセルを埋めたことがある人もいるでしょう。でも、いざ掘ることになり、探し始めると場所がどこかわからなくなってしまったとか、他のものがその上に建って掘り進めないとか、掘り当てても水が入っていて何が入っていたのかわからない、など、失敗談もたくさん聞いています。でもトルストイ像のタイムカプセルは、心配ありませんね。
 
 さて、像内に入っているものを開封するのは、いつのことになるのでしょう。1970年に行われた日本万国博覧会の次の年、大阪城本丸にタイムカプセルを埋めたことは大きなニュースとして扱われました。世界各国から2000点以上の文化的価値を持つ品物を集め、内径1メートルの同じカプセルを2個埋め、上の1個は各世紀の初めに開き、そのまま埋めておいても持ち続けるかを調べて、良ければ再度密封して埋めるのだそうです。2000年に第1回目のチェックを行った時には、内容物に変わりは無く、そのまま封をしてまた埋めたそうです。下の1個は埋めた時から5000年後にあたる6970年に開かれる予定とのこと。そう聞くと、昭和のタイムカプセルを創立100周年に開封するのは、早すぎますよね。