【授業紹介】歴史学概論

こんにちは、松田忍です。

歴文に入学して、全員が一番最初に受ける必修の授業、それが「歴史学概論」です。どの授業も全力投球ですが、歴文生の頭の土台をつくる授業である「歴史学概論」は特に気合いを入れて準備しています。

授業内では、「歴史に対する向き合い方や考え方」を鍛え深めるため、ひたすらに考えてもらいます。さまざまな問いを松田から毎回投げかけ、マイクを回して問いに対する考え方をみなさんから募集したり、コメントシートに書いてもらった意見を紹介した上で、対立する意見の交通整理をして、歴文で歴史を学ぶにあたっての、みなさん一人一人の思考の軸をつくっていってもらっています。

回収したコメントシートに対しては、次の授業で松田からのコメントを返す時間を設けているのですが、今日は、受講生からの許可を得た上で、2014年度前期の授業内で実際にかわされた応答をほんの一部、紹介していきたいと思います(学生作のイラストつきで・・・)。授業を踏まえての応答ですし、固有名詞もたくさんでるので、分かりづらいかと思いますが、授業の雰囲気だけでも味わっていただければ幸甚に存じます。

【学生】松田先生がいった「歴史の生産者になれ」の意味が、はじめ私はよくわからなかった。私の中に「歴史は記録されたものが後世に残ったもので、私たちが歴史を生産するなんてできない」という思いがあったからだろう。けれどどんどん授業の回を重ねるたびに、資料を読みそれについて疑問や考えをだすことで、今までの聞くことだけの受け身の授業から自発的な授業に変わっていった。これが松田先生の言った「歴史の生産者」という意味だと私は気づいた。クローチェも歴史を自分で解釈し生産者になるという考えが、歴史家には大切だと説いたのだ。

【松田】歴史学概論を受けることが最初はつらかったという思いを率直に書いて下さった方もかなりいらっしゃいました。つらいのも当然かなと思います。多くの人にとって、この授業は新しい価値観(「歴史の生産者になる」)との出会いの場であり、自分が従来持っていなかった価値観を受け入れるのか受け入れないのかという点で、今までの自分が問われることになるので。歴史学概論に対して、ムカついても全然構わない。でもどうせムカつくなら本気でムカつこう。松田が話していることが正解ではない。悩め!それがみなさんをさらに鍛えるからね。

【学生】価値観や主観的なものから学問の領域へと昇華していくプロセスが少し分かった気がしましたが、カールポパーの名言をきいて“歴史の問いを科学する”ことの奥深さを感じ、また少しわからなくなってしまいました。やはり学問は単純ではないなと感じさせられました。今まで何となく価値観は固定されるものかと思っていたけれど、自分の価値観は固定させるものではなくて、知識が増えていくことで変化していってよいものなのかと思いました。

【松田】そう!価値観とは、頑として動かしてはいけないものではなくて、いろいろな知識を得たり、意見を聴いたり、そして自ら史料を読み込んで考えたりしながら、じっくりと「育てていくもの」だと松田は思っています。そして価値観を育てることをやめたとき、人間の精神は「老いる」のだと思います。

【学生】今日の授業は自分がどうして歴史文化学科を選んだのか、昭和女子大学を選んだのかをもう一度考えさせられる授業だった。私が歴史を強く学びたいと思ったきっかけはある「人」に出会ったからである。その人は高校2年のときの日本史の先生であった。今まで私が出会ってきた日本史の先生はただ教科書にのっとって少し補足を加えただけのようなただ「聞くだけ」の授業であったが、その先生は歴史を教えるとともに、それを現代社会の問題に結びつけたり、歴史を学ぶことが今を生きぬく力になるということまで教えて下さったのだ。……過去に学び、それを伝える人間になりたいと思い、私は歴史文化学科に入学しました。4年間頑張ります。

【松田】授業内容をまっすぐに受けとめてくださってたいへん嬉しく思います。「歴史を学ぶことは生きることにどうつながるのか」という問いはすぐに答えがでるものではないと思いますが、4年間ずっとずっと心に秘めていて下さい。そのことはあなたを大きく成長させると思います。

【学生】新聞記事1枚でも、今まで学んできた日本史、世界史と照合することで、その記事の時代をここまで深く探れるとは思ってもみなくて、とても面白かったです。また戦争が終わった後でも、「お国のために」精神が民衆の心に残ってるとすると、人々がプライバシーを意識するのはいったいいつらへんなのだろうかと疑問に思った。

【松田】「照合」という言葉が良いね!史料だけでも駄目だし、知識だけでも駄目だ!史料と知識を行ったり来たり「照合」する事が必要です。また歴史していくと、どんどん新しい疑問(論点)にぶつかり、どんどん不思議が増えていく。それもまた大事!感じた疑問は次に書くレポートのネタになるぞ笑

【学生】現在学んでいる、「歴史というものは歴史家によって厳選された事実であることを意味する」という考え方にわたしは疑問を抱く。そもそもなぜ名前もよくわからない歴史家の判断によって選ばれた事実を私は学ばなければならないのか。歴史家が価値あるものと判断していく過程で、その歴史家自身の偏見というものは入り込んでいないと果たして言い切れるのか。つまり、歴史を構築していく中で自分に有利な形で解釈してしまうことはないのかと。だから、私は資料に記述されていることが事実であり、それがすべてであると考える。

【松田】正統的ランケ史学派宣言ですね!力強い文章です。ただ1点だけ思ったのは、このリアクションは「自分は歴史家ではない」という前提のもとでの記述なのかなということです。みなさんのなかからは歴史家を目指す人はごく少数かもしれない。でもね、みなさんは大学を卒業するとき、歴史学を修めた学士という称号を手に入れます。つまり「この人は歴史の語り部としての基礎訓練を受けた人です」ということを証明する称号を受けるわけです。

【松田】みなさんは、テーマを決めて卒論を書く時に、2万字以上の文字のなかに、なにを書き、なにを書かないのかという取捨選択をすることになります。つまり選択された歴史を与えられる側ではなく、自ら選択した歴史を与える側になるのです。そして、事実の取捨選択の判断基準はみなさんのなかにしかないのです。そのときが来たら、今抱いている想いともう一度向きあって考えて欲しいなと思います。

【松田】それとランケはE・H・カー『歴史とは何か』では乗り越えられるべき先人というニュアンスで取り上げられているけど、ランケはランケでそれ以前の歴史記述を力強く批判した偉大な歴史家なんだよ!そのあたりの事情を説明する時に、ランケの名言もまたとりあげるのでお楽しみに。かっちょいいぞ~!

【学生】私の死んだ後に200年も部屋が残されて、歴史を考える資料として使われたら耐えられません!!汚なすぎてやばいです。21世紀の印象がかわっちゃう笑

【松田】「2010年代になっても、人々の間には衛生観念は浸透していなかった」とか未来の教科書に書かれちゃうかもね笑

【学生】最初クロオチェの名言をみた時、「なるほど~」と納得しました。歴史の資料は私たちが読み解いてあげないと意味を持たなくなるというのはすごいトリハダものでした。でもその後の別の立場からの意見を聞いてこちらも「なるほど~」と思ってしまいました。「歴史は神の意志である」という考え方も好きです。それら両方をふまえて考えて、今回のレポートを書きたいと思いました。

【学生】クローチェの名言で「記録は『歴史家の生の関心』によって息をふきかえす」というのが印象に残りました。同じ記録でも問いかけなければなにも語ってくれないと言うことは、歴史家は記録に命を吹き込んでいるのだなと感じました。

【学生】私たちが資料に問題を投げかけることで資料はもう一度この世に蘇るという考えは非常に面白いと思いました。私自身、今まで歴史は教科書や資料に書いてある物をそのまま問いかけもせずに、暗記している状態でした。今回のクローチェの言葉を聞いて、歴史学の学び方というのが明確に見えてきた気がします。

【学生】「事実をもっと勉強したい」という反クローチェ派の人が私以外にも結構いて、少し安心しました。今日の授業は面白かったです。私たちは「ペリー来航の頃からが近代だと習って、深いことを考えずにただそうなんだと思っていたけど、以前は天保の改革からが近代だと習っていたと聞いて、とても驚きました。先生の説明を聞くと「天保の改革からが近代」という考え方の方にも納得しました。こういう授業内容いいですねー。

【松田】クローチェの名言の意味がじんわりと染みこんでくるとゾクゾク来るよね。その感覚を伝えることができて、とても嬉しいです。クローチェの歴史学に違和感をもつもまたよし。でも、それぞれの立場はあれど、まだそこで立ち止まっちゃダメよ!さらに考えていこう。


【学生】レポートの内容が面白そうでした。私は高校時代理系という経歴のもちぬしです(笑)微分積分まで余裕です。そんな私は高校まで歴史はあまり好きではありませんでした。しかし高校の世界史の授業で、先生がたくさん偉人を覚えるのが歴史ではなく、たくさん偉人のお友達をつくるのが歴史の面白いところですとおっしゃっていたのが、私の進路を大きく変えたきっかけでした。そこから世界史と日本史が急に面白くなって、この進路になりました。なので、今勉強している内容はどれも新鮮で楽しいです。レポート頑張ります。

【松田】歴史を勉強していると下線部の意味はとてもよく分かります。いい先生に会えたね!史料を読むのはもちろん論文を書くためでもあるんだけど、史料を深く読み込んだ先は、その史料を書いた人間の「歴史的個性」へとつながっているんだよね。それは歴史学に限定された話ではなく、歴文で学ぶどの分野にもいえることだよ。文字史料を読むことはその文字を書いた人に触れること。美術に触れることはその美術を作った人に触れること。石器に触れることはその石器を作った人に触れること。歴史というのは人間を学ぶ学問なんだよ。

【学生】今回のレポートに対する講評をふまえて、自分のレポートを読み直してみると、コリングウッドに対するカーの批判をまとめていなかった。というよりもまとめなきゃまとめなきゃと思いすぎて、配付プリントを広く見ることができていなかったのは反省すべきかもしれない。歴史家が歴史をを作るというのは確かに行きすぎているし、読んでいてなんとも疑問に思わなかった、あの時の自分は注意力散漫だった気がする。事実や情報を取捨選択して、自ら構成していくという力は社会に出る時も必要になると思った。先生は自分で選んでいく力、嗅覚を身につけていって欲しいとおっしゃったが、これは色々なことに役立つものだろう。「学問」は自らの糧となり、役立たないものはないと私は考えている。だからこそ、情報や事実のみならず、様々の分野のことに少しでも知識を増やして、取捨選択する材料としていきたいと思った。……

【松田】そうなんだよね。「要約」しなきゃという気持ちが先に立って、大事なところはどこだろう、どこを切り貼りしようと考えちゃうと、逆にあせって全体像を見失ったりするんだよね。木を見て森を見ず的な。「要約」だからこそ、一度メモを取りながら細かい部分まで目配りした上でもう一度全体の流れを考えてみるという丁寧な作業が必要になってくるね。

【学生】紀年法を見比べてなにを不思議に思うかということをやりましたが、私が最初に思ったのが「スタートがあいまいだ」ということでした。他の人が同じような意見をいったときに、先生が「それおもしろいよな」的なことを言っていたのに、びっくりしました。自分は不思議で止まって、おもしろい、っていうことを感じなかったので「あー。」って思いました。疑問を楽しいとか、おもしろいって思うことまでは自分はできていないなって思いました。

【松田】さまざまな国・地域の紀年法がいつできるのか、どこまで遡って紀元を設定するのか、ということを比較すると、相当「面白い」と思うんだよね。いろいろなことを知らなきゃ駄目!っていう考え方はネガティブだと思うんだよね。知らないことがどんどん見つかった時に「また覚えなきゃいけないのか、やだなぁ」となるのではなく、まずは「へぇ~、そうもいえるなぁ~」と単純に面白がる感覚ってとても大事だよ。「○○には興味がないので面白くなかった」というような発言を時々聞きますが、もったいないなぁと思います。最初っからストライクゾーンを決めてしまうのではなく、なんでも面白がるようにすると、君たちの世界はもっと広がっていくと思うんだ。

【学生】小川先生の民俗学の講義のなかで、我々は2つの時間を抱えているのだと学びました。我々がもつ2つの時間とは、直線的な時間と円環的な時間だそうです。真っ直ぐに伸びていく未来(遠い先のことを見すえる時の見方)とくるくるとまわる輪廻的な時の流れ(1週間、1時間というスパン)です。時の流れはいろいろあるとしても、同じ時間は二度と巡っては来ません。それなのになぜ歴史を学ぶのか。私は、もちろん現在への教訓を得るためであると思いますが、それ以上に自らの立っている位置や目指しているものを明確にするためなのではないでしょうか。歴史を学び研究することで何を得るかと同様に、歴史を学ぶ過程で何を得るかが極めて重要なのではないでしょうか。だから歴史は決まり切った形がないのかもしれません。私にとっての歴史とは何か。それを探して行きたいと思います。(もうこれ何が言いたいんだって内容ですみません。\(・q・)/ 迷走中。全部夏のせいだ)

【松田】「全部夏のせいだ」っていいね!青春だね~!カルピスウォーターだね~!能年玲奈だね~!金魚すくいしませんかっ!(謎)

【松田】茶化しちゃったけど、非常に深い思いが込められた文章だと思います。

【松田】歴史から得られる教訓といったときに、「津波が来るから家を建てちゃ行けない場所」みたいな非常に直接的な、一対一対応の教訓だけではないと思うんだよね。もう二度とめぐってはこない、かつての時間を学ぶことで、自分の生きている世界の輪郭を明確に認識すること、そのこと自体が我々が「考えてよく生きる」ことにつながってくるんじゃないかな、歴史学はそのお手伝いをできるんじゃないかなと思ったりします。

【学生】歴史学深い・・・!!(笑)考えても考えてもちゃんとした出口、正解がみえなくなる気がする。しかし同時に、ここまで授業を受けてきて、私は歴史に対する自分の考えや心構えが整理できてきたと思う。

【松田】そそ。それでいいんだよ。みんなこの授業の中で、いろいろ議論して惑わされているだけのような気がしているかも分からないけれど、入学した時点と今のみんなを比べると、歴史というものに対する認識というか、身構え方というのがかなり成長していると思うよ。成長していると信じたい!笑

【松田】この授業は歴文での学びの入口であり出口。この授業で考えたことは今すぐわからなくていいんやで。歴文で4年間過ごすうちに、なんども思い返して、歴史に対する自分のスタンスや考えを鍛えていってください!

【学生】先生筆圧強いんですね…。チョークがボロボロ崩れていくのがよく見えます(笑)一回の授業で、いったい何本のチョークが犠牲になるのか…。

【松田】君らが深く考えてくれれば、チョークも草葉の陰から喜んでいるはずだよ。そうでなかった場合、今晩君らの枕元にチョークの悪霊が……

次の回の授業のコメントシートにはチョークの亡霊登場・・・

歴文生たちが、それぞれ真剣に歴史学と向き合っている様子が伝わりましたでしょうか。

1年生たちがこの4年間で学ぶことになる具体的なテーマは多岐にわたります。たとえば「古代エジプトの王権交代について」とか「明治時代の貧民調査について」とか「平安時代の十二単について」とか「伊藤若冲の鶏絵について」とか……。興味のおもむくままに学んでいくことがとても大事だと思います。

しかし異なるテーマを扱っていても、同じ歴史学をやっていく以上、それぞれのテーマと「向き合う姿勢」には、ある程度共通する点があると思うのです。その共通点を意識したうえで勉強を進めれば、単に「歴文で学んで過去に詳しくなった」というよりも、もっと大きなモノが得られるのではないかなぁと思っております。

受験生のみなさん!歴史文化学科で一緒に「歴史の生産者」になりませんか?お待ちしております。

授業紹介記事をまとめて読みたい方は、こちらをどうぞ!