2016年3月

【ヨーロッパ歴史演習】ヨーロッパの博物館や記念碑から学んだこと [2016年03月30日(水)]

西洋史の小野寺です。
引き続き、ヨーロッパ歴史演習に参加した学生の皆さんの感想をご紹介します。
今回は、ヨーロッパ各地にある博物館や記念碑を訪れて感じたこと、考えたことを取りあげます。
勉強になったこと、日本でもぜひ取り入れるべきだと思った工夫も多かったようですが、中には「あれ?」と首をかしげるようなこともあったようです(小野寺)。

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博物館で一番印象的だったのは、ベルリンのユダヤ博物館でした。
ユダヤ人の歩んできた道の不安や迷いが体感するだけでも伝わるという建物の構造には、驚かされました。
「ホロコーストの塔」では、冷たい、光の少ない、閉鎖的な場所で、車の走る音など外の音、生活音が少し聞こえるようになっていました。ユダヤ人の暮らしのとなりには、普通の世界があったことを強く実感しました。
亡命を象徴する庭に出てみると、思っていたより傾斜があったのと、石畳になっておりうまく歩くことができませんでした。
展示の方法、建物の設計、カフェのランプなど細かいところまで考えて作られていて、これは何を表しているのかと考えて見るのが面白かったです(歴文3年Hさん)。

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ドイツ・ボンの現代史博物館は、ヒトラーが死んだ後から東西ドイツの統一を経て現代に至るまでのドイツの歴史が、写真やポスターや手紙や車やおもちゃなどを使ってわかりやすく展示されていましたが、私がここで気づいたことは、東西ドイツは実はあまり変わらないということです。
研修旅行に行く前までは、西が栄えていて東が不幸というイメージが大きくありましたが、ここでは東ドイツと西ドイツが交互に展示されていて、時にこの展示が東西どちらかわからなくなってしまう程でした。
そして占領国によるポスターや西ドイツの選挙ポスターなどには、写真ではなく絵が使われていました。
これは写真より絵の方が表現の幅が広がりわかりやすいためであり、事実を写真を使ってより明白に伝えることより、大きなインパクトを伝えることの方が当時大切だったことを知りました(歴文1年Gさん)。

 

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なかでも印象的だったのが、ドイツ・ヴァンゼー会議記念館で見つけた点字です。
もちろんどの国に行ったときにも障がい者のための環境づくりというのはされていましたが(身障者用のトイレや駅の点字ブロックなど)、改めて海外でも体の不自由な人のための取り組みがされていることが分かりました(心理2年Mさん)。

 

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今回の研修の中で1番興味深かったのは、ベルリンの東ドイツ博物館です。
この博物館はその名の通り、東ドイツの世俗的な文化や日常生活を主に展示していて、日本と似て文献や文字資料で押すドイツでは珍しく体感型で、子供から大人まで幅広い層が楽しめる博物館です。
並べられた棚の1つを開けると当時流行していた女性服と靴がいっぱいに詰められていたり、当時のリビングやキッチン、トイレなどを再現した部屋でくつろいだりと、展示物にダイレクトに触れられてワクワクします。
特に日本では絶対に味わえない展示だと思ったのが、下図のコーヒー豆です。

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これは東西ドイツにおけるコーヒー豆と麦の混合率の違いを表した展示で、右上の黒い穴の中に手を入れると各々コーヒー豆を掴み取ってその差を見て確かめることができます。
さらに手を穴に入れている間は上にある解説文が光って読めるようになります。
このように展示物、しかも食品に実際に触れて確かめられるという展示方法は日本では行っていません。
来館者が最大限に楽しめる工夫がされていると感じ、日本の博物館でも遠くから見ているだけではなく、この博物館を見習って体感型に特化した博物館を作るべきだと思いました。

ベルリン市内には博物館が100以上あります。
これはドイツ国民が自らの歴史観を徹底的に話し合った結果であり、ナチスドイツや東ドイツに関する負の側面を展示できるのもそのおかげだそうです。
私は今回の研修を通して、日本も国民全体で近現代の歴史観についてある程度共通した認識を持つ必要性があると改めて思いました。そのためには今日までに起こったあらゆる歴史的事象を、今度は教育の中に落とし込んでいくことが大切だと感じます(歴文2年Kさん)。

 

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現地に直接赴いて私が新たに気付いたことは、ユダヤ人の記念碑などに対する現地の人々の向き合い方が、思っていたものと違っていたということです。
特にビルケナウのシャワー室に落書きがしてあったということには驚きました。
普通ユダヤ人が大量殺戮されたと聞けば、落書きなんてことはしないはずと思っていたのですが、案外そうでもないということに気づかされたのです。

さらに言えば、上の写真はユダヤ人のために作られた記念碑なのですが、この写真に写っていない箇所では、子どもたちが鬼ごっこをしていたり、私たちと同じ年齢ほどの学生がふざけて上に乗っかっていたりなど、この場所に来ている人たちのなかには真面目に見学している人が少なかったのです(歴文3年Hさん)。

 

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今回の旅行では三つの国をまわり、それぞれの博物館を見ることができましたが、展示の仕方は様々で、ドイツのようにシリアスな現実をどーんと文章で展示するやり方と、オランダやポーランドのように実際に体験するやり方、わかりやすく、様々な工夫が見受けられ、視覚的に訴えてくるような展示の仕方があり、どちらが良いと言うには難しいなと身を持って感じました。
また、今回ナチスに関する場所を強制収容所をはじめ博物館など回ることができましたが、その中でこれらに対する現在の若者の態度というものも見ることができ、これに関しても新しい発見かなと思いました。
興味がなくて遊んでしまっていたり、記念碑の上に登っていたりと、私自身が勝手な思い込みで描いていた若者の像が崩れました。
自分がナチスについて興味があり勉強をしているからこそ、その物の価値や意味がわかりますが、興味がない人にとっては同じように映らないという当たり前のことですが、非常に悲しく感じました(歴文3年Iさん)。

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平成27年度 修了式 [2016年03月29日(火)]

3月16日(水)、昭和女子大学 大学院の修了式が挙行されました。
生活機構研究科生活文化研究専攻の院生には、歴史文化学科を卒業した学生が多く在籍しています。

大学卒業後の2年間、大学院でより深く研究を進め修士論文を提出し、本年度は8名の院生が修了生として巣立っていきました。

学位記の授与

学位記の授与

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大学院でお世話になった先生方とcamerashine
4月からは新しい生活がはじまることと思いますが、みなさんのこれからのご活躍をお祈りしていますconfident

 

イタリアでホームステイ [2016年03月25日(金)]

こんにちは。歴史文化学科助手のWです。

歴文3年生のMさんは、春休みを利用してイタリアでホームステイをしています。
送ってくれたステキな写真とともに、彼女の生活を少しだけ紹介します。

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私はミラノから車で40分くらい離れたベルガモという市の中の、小さな町にいます。
北イタリアは川が多く、私が滞在している町も川が流れる穏やかな所です。

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近くにはベルガモという、城壁に囲まれた綺麗な街があります。
中世の面影を残し、観光地として有名です。
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先日はベルガモでカーニバルが開かれ、とても賑わいました。

イタリアからの飛行機が格安だったので、5日間ほどハンガリーのブダペスト観光にも行ってきました。
写真は夜ライトアップされたパラメントです。
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今は語学学校巡りをしたり、友人の大学を見学したりと、楽しく過ごしています。
日本とは異なることばかりですが、それを楽しんでいます。

 

 

 

【ヨーロッパ歴史演習】アウシュヴィッツ・ビルケナウで学んだこと [2016年03月23日(水)]

西洋史の小野寺です。
引き続き、ヨーロッパ歴史演習への学生の皆さんの感想をご紹介します。

今回は、この研修旅行で学生にもっとも強い印象を与えたと思われる、アウシュヴィッツ・ビルケナウ訪問についてです。
現地を実際に訪れることで、今まで自分が考えていたこと、感じていたことが強く揺さぶられたことが、みなさんの声からは伝わってきます(小野寺)。

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ホロコーストを勉強してきた中で、アウシュヴィッツとビルケナウはとても恐ろしい場所というイメージがありました。
しかし実際は想像していたものとは違い、煉瓦造りの建物は普通のヨーロッパの建築物であったし、雪の白色とよく合っていたし、白樺の木は規則正しく並んでいました。
雪で一面が白くなっていたことで、雪の中にあった死の池も写真で見た景色よりもきれいで、普通にそこに存在していました。
あんなに残酷なことが行われていた場所が普通であった、目の前に存在した、本当に見てしまった、という現実を突きつけられた感覚でした。
もっとおどろおどろしい雰囲気が漂っているのかと思っていました。
多分自分の中では、そうあってほしいという願望があったのかもしれません。
でも実際は願望とは違い、普通であったことによって、言葉にできない複雑な感情が生まれました。これは実物を見ることができたからこそだと思います(歴文3年Hさん)。

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私はアウシュヴィッツに行く前には、きっとすごく殺伐としていて浮世離れした恐ろしい場所なのだろうと思い込んでいました。
しかし言い方が悪いかもしれませんが、アウシュヴィッツを実際に見ると収容所の施設は赤レンガで洒落ていると思えましたし、過去にユダヤ人が何人も殺された場所でも上を見上げれば雲のある日本と何も変わらない空があり、白い雪が降り積もっていて決して殺伐とはしていませんでした。
ガスの缶や残忍な写真や刈られたユダヤ人の髪の毛や残された靴などを見ても、昼になるとお腹が空いてお腹いっぱいに昼ご飯を食べていました。
私は何か違和感を覚えました。
そして気づいたことは、ここは決して浮世離れしたところではなく、100年も経っていない過去に本当にここで現実にホロコーストがおきたのだということです。
特に死の池が日光に照らされていて美しく光り輝いているのを見た時、本当にあった池にユダヤ人を焼いた灰が捨てられたのだと思い衝撃が走りました(歴文1年Gさん)。

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昼食もアウシュヴィッツ内のレストランで食べたのですが、多くの人が殺された場所で穏やかに食事している自分やレストランに違和感を覚えました。
ガイドの中谷さんが、ユダヤ人たちの悲劇を伝える仕事をしていながら何事もなかったかのように食事をとりそしてまた仕事に戻っていくスイッチの切り替えが出来てしまう自分が恐ろしいとおっしゃっていました。
このようなスイッチの切り替えは私たち誰しもがもっており、人間が過去の悲惨な歴史を繰り返してしまう原因の一つではないかと感じました(歴文2年Tさん)。

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アウシュヴィッツ、並びにビルケナウを訪れて、一番感じたことは事実を受け止めるということは非常に難しく、勇気がいることだということです。
文字や資料を通してだけなら、すんなりと頭に入ってきますが、実際の場所にきてみると気持ちが邪魔をする、という体験をすることができました。
アウシュヴィッツやビルケナウが、負の場所というイメージらしくひどい有様であるならばもっと受け入れやすかったかもしれません。
でも、実際は美しいと思ってしまうほどの場所で、想像もつかないのです。
資料だけでなく、実際に現地に行くということは当たり前ながら大切なことですが、改めて身を持って知ることが出来ました(歴文3年Iさん)。

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いままで正直歴史を学ぶ意味というのがよくわからなくて、過去を振り返っても何も変わらないと思っていましたが、こうした過去というのは「知らなかった」で済まされることではなく、二度と起こさないために後世に伝えていく必要があることをやっと理解できたような気がしました。
また、歴史というのは人が作ったもので物事が起こるには必ず人の感情が加わっているのだということも学び、そういう意味できっかけ作りの場になったという点では、研修旅行の一つの目標を達成できたと思います(心理2年Mさん)。

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卒業式 [2016年03月23日(水)]

すでに前の記事で記載されておりますが

3月16日(水)、平成27年度cherryblossom卒業式cherryblossomが人見記念講堂に於いて挙行されました。
卒業生はアカデミックガウンとキャップを着用し、式に臨みます。
卒業式では卒業生一人ひとりが壇上に上がりました。

4年間の大学生活はどんな日々だったでしょうか?
晴れやかな笑顔の卒業生たちを見ると、充実した楽しい学生生活が送れたのではないかと
思っておりますconfidentshine

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下級生から花束が贈られました

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学科長から学位記が授与されました

4月からそれぞれの道を歩むことになりますが、頑張っていって欲しいです。
ご卒業おめでとうございますschoolcherryblossom

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卒業式のメッセージ [2016年03月17日(木)]

昨日は2015年度卒業式が挙行されました!

昭和女子大学公式FACEBOOKで面白い企画をやっていたので御紹介いたします。

【以下、昭和女子大学公式FACEBOOKより文章引用】

【SWUニュース】Facebook公式学生チームが卒業生にインタビュー! 3月16日

Facebook公式学生チーム「チームflower」のメンバーが、卒業式を終えた先輩たちと教職員を取材します!メッセージを書いたホワイトボードを手に写真をパシャリ!Facebookのタイムラインにアップする予定です。

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【以上、引用終わり】

さすが「チームflower」、毎度毎度いい企画立てるなぁ!!!

歴文ブログにも写真を少しだけ転載します。

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坂東眞理子学長 「夢だけが人生を豊かにする」

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歴文卒業生 その1

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歴文卒業生 その2

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歴文卒業生 その3

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歴史文化学科助手一同

これ以外にも、FACEBOOKのほうには、卒業生のみなさま、教職員、親御さんからのいろんなメッセージが寄せられていますよ!是非ご覧になってくださいませ。こちらから。

【ヨーロッパ歴史演習】アウシュヴィッツの不気味な「美しさ」(歴文2年Yさん) [2016年03月14日(月)]

私はポーランド、ドイツ、オランダの三か国をめぐり「負の遺産」について学ぶ、ヨーロッパ歴史演習Bに参加しました。

今回研修に参加した理由は「現場」に実際に赴くという内容に強く惹かれたからです。現場に足を運ぶことで、史料と向き合っているだけではわからない生々しい感覚に触れたいという期待がありました。

以下、12日間の日程の中で特に印象深かったアウシュビッツ・ビルケナウおよびアンネの家の見学について書くことにします。

アウシュビッツ強制収容所にまず足を踏み入れてみて驚いたことは、敷地内には木々が植えられており、また建物の外観が美しいということです。ここで百万を超える人びとが死を迎えたということがその美しさからはまるで想像が出来ず、かえって不気味で恐ろしさを覚えました。
この「美しさが不気味で恐ろしい」という感覚を私はアウシュビッツとビルケナウの見学中に何度も感じることになります。
ビルケナウ第二収容所にある、「死の池」がその一つです。

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死の池は、ここがそうだ、と説明されなければ通り過ぎてしまいそうな、さほど広くもないただの美しい池に見えます。
しかし、この池は収容されていた人々の遺体を焼却した灰を投棄していた場所なのです。その光景を目にしたとき、私は何もいうことが出来ませんでした。ただ凪いでいる死の池に言い知れぬ悲しさを感じたことを強く覚えています。
と同時に、何もないように見える池に遺灰が捨てられているのだから、一見変哲のない地面や道でもそこで亡くなった人が居たかもしれないことに気が付き、大きな衝撃を受けました。

衝撃的な光景を至る所で見ましたが、一番ショッキングだったのはアウシュビッツで見たとある展示でした。
それは、ユダヤ人が収容所に連行されてきたときに没収された鞄や靴、切り落とされた女性の髪などが圧倒的な数で展示されているものでした。
その異様な光景に私は思わず少し気分が悪くなりました。
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見るものを圧倒する膨大な量が展示されていますが、これは勿論ほんの一部に過ぎず、ナチスが処分し切れなかったものが偶然残ったのだといいます。目の前にあるこれらの所有者で、収容所生活を生き延びられたひとは果たしてどれだけ居たのでしょうか。

そして更に異様だったのは、ナチス側はそれらの押収した物をしっかりと書面で記録にしているという点です。
この書類には、何をどれくらいの量押収したのかがリストアップされています。

私は原典講読の講義でこの書面に触れたことがありました。
その時は、「この書類を見て何か感じることはないか」と問われても単なる物のリストにしか見えず、完全にナチス側の視点でしかそれを捉えることが出来ていませんでした。
けれどもこの展示を見た後では、ナチスにとってはただの物であっても、それらには持ち主がちゃんといてそれは生きた人間であったということを強く思わずにはいられませんでした。
当時のナチス側の人間がどのような感情でこの書類を作ったかは分かりませんが、そこには対人間という意識はほとんどなかったのではないでしょうか。
感情がそっくり抜け落ちたような書面の無機質な内容が、当時のユダヤ人に対するナチスの扱いを色濃く反映していました。

このユダヤ人をまるで人とも思わないという扱いは、至る所に反映されていました。
例えば、トイレは一日に二回しか許されていなかったということや、簡素でベッドと呼ぶにはあまりにお粗末な設備など、収容所の環境は劣悪を極めていました。収容所に人々を輸送するための列車でも、ユダヤ人は家畜以下の扱いをされていました(写真はビルケナウの囚人用トイレ)。

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ナチスはヨーロッパの各地からユダヤ人を強制収容所に鉄道で輸送しました。
有名なアンネ・フランクはオランダのアムステルダムから移送され、アウシュビッツに収容されていました。
私達も今回、実際にクラクフ-アムステルダム間を、日数をかけたバスやICEによっての移動でではありますが経験しました。
条件があまりにも異なるので単純な比較をすることは勿論できませんが、現代の充実した交通手段を用いてもやはり肉体的疲労は少なくありませんでした。
移動日には車中で疲れて眠っている学生も多く見られましたが、当時のユダヤ人たちには肉体的疲労だけでなく精神的な疲労が相当あったことが考えられます。
貨物列車の狭い車内に、すし詰め状態で目的地も分らぬままに途方もない距離を移動させられるということがどれだけの苦痛に満ちたものだったのか私には分かりません。
長い移動の中で、命を落とした人が少なからず居たことが容易に想像出来てしまうことがとても悲しく、この輸送の時点からナチスによるユダヤ人への人間性の剥奪が始まっていたのだと感じました。

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次に、オランダのアムステルダムにあるアンネの家についてです。
私は前述の原典講読の中でアンネの日記を実際に読みました。
日記はアンネが逮捕される前で終わっており、その後の収容所での出来事は書かれていません。
しかし、アンネの家を訪れたのは日程の9日目であり、それ以前に彼女が送られたアウシュビッツを見学していた為、その後彼女が迎えた結末が分かってしまうだけにアンネの家を見たとき私は非常に憂鬱でした。
それでも、アンネが生きた場所をしっかりと確かめなければ、と気持ちを切り替えて見学を行いました。

ここでも、やはり本を読むだけではわからなかったことがありました。
例えば、隠れ家への階段を隠す本棚ですが、一応隠されてはいるものの見る人が見たらすぐに何かあると分かるような作りでした。
さらに、隠れ家は街の中心部にあり、建物が密集しているため、近所の人たちはアンネたちの協力者が食料や本を定期的に持ち込んでいる様子には気が付いていただろうな、と感じました。
アンネの日記では、隠れ家生活に慣れるにつれアンネたちが音に気を使わなくなる、といった気の緩みが生じ出す様子が書かれていました。そしてその緩みは注意すれば、決して外部から見つけられないものではなかったはずです。
それを見逃す人もいたでしょうが、見逃さない人もいたでしょう。
歴史に「もしも」を言うべきではありませんが、アンネたちを実際に密告した人が仮に居なかったとしても、お金欲しさに彼女たちが他の人に密告されていた可能性は低くはないな、と考えてしまいました。

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さて、アンネの家の内部についてですが、隠れ家というにしては想像よりも広さがありましたが、それでもやはり8人が暮らすには窮屈であるという印象を受けました。
殆んど娯楽もなく、外へ出ることが絶対に出来ない状況で同じ顔ぶれと毎日毎日顔を突き合わせるということがアンネは勿論、隠れ家の住人たちにとっても大きなストレスであったことが容易に想像できます。
アンネは彼女の日記を戦後公開するつもりで書いていましたが、その内容には母親への不満、自分自身でもコントロールが出来ていない複雑な感情の記述を多く残しています。
お世辞にも綺麗な言葉が使われているとは言い難いような書き方がなされていました。
自分の書いたものを世間の目に触れさせることが当初の目的だったのかもしれませんが、自由が制限され、愚痴をこぼすことも難しいような長い隠れ家生活の中で「日記を書く」という行為に彼女自身が救われていた面が少なからずあるのだと改めて感じました。
アンネの家に実際に訪問した今、これまでとは違った視点でアンネの日記を読んでみたいと強く思います。

 

今回の研修旅行では、普段日本で史料と向き合っている時とはまた違う現場ならではの新しい発見がありました。
しかしただその場に行けば新しい考えや視点が自然と浮かぶということはなく、日ごろから知識を身に付けるための努力をしたり、なにか目的意識をもって史料や展示と対峙したりすることが重要であることも再認識しました。
また、今回私はヨーロッパで歴史や文化を学びましたが、ただそれを単独で扱うのでなく日本との比較を行ってみることも必要だと感じました。
そのために、ヨーロッパのことは勿論日本の歴史や文化、現在の事象についてももっと理解を深めていかねばならない、という今度の課題を発見出来たことも大きな収穫であったと実感しています。
今回の貴重な経験と、そこで得た多くの学びを今後の学生生活にぜひ活かしていきたいです。

ヨーロッパ研修旅行に行ってきました! [2016年03月10日(木)]

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こんにちは。西洋史の小野寺です。

今年の2月18日から29日まで、19名の学生を引率して「ヨーロッパ歴史演習」の研修旅行に行ってきました。

今回のテーマは、「ヨーロッパの『負の遺産』を訪れる」。
ナチズム、東ドイツといった「負の歴史」がヨーロッパではどのように記憶されているのか、ポーランド、ドイツ、オランダの三ヶ国をめぐりながら学んでいくというものです。

具体的には、まずポーランドで、アウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所、クラクフのシンドラー工場博物館を訪問しました。ベルリンでは、ベルリン・ユダヤ博物館、テロのトポグラフィー、虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑、ヴァンゼー会議記念館といったナチズム・ホロコースト関係、壁博物館、東ドイツ博物館、シュタージ博物館といった東ドイツ関係の博物館を見学しました。さらにボンのドイツ歴史博物館で戦後史を学び、最後にアムステルダムでアンネ・フランクの家、レジスタンス博物館を訪れました(下は、東ドイツ博物館で東ドイツ兵士のヘルメットをかぶる学生)。

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その一方で、現地の歴史文化や宗教、芸術に触れる機会もありました。クラクフでは世界遺産のヴァヴェル城や旧市街を徒歩で回り、ケルン大聖堂ではちょうどミサの最中に見学することができました。ボンにあるベートーヴェンの生家も訪れ、ケルンではローマ・ゲルマン博物館でローマの文化水準の異様な高さに圧倒されました。アムステルダムではゴッホ博物館で、「鬼才」としかいいようのない彼の絵画にこれまた圧倒されました。

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今回の研修旅行では、いろいろな「出会い」もありました。
アウシュヴィッツでは、日本人でただ一人のガイドである中谷剛さんに、6時間以上つきっきりで説明していただきました。
単に昔のことをすでに起こってしまった過去のこととして理解するのではなく、今の問題にひきつけて(たとえば難民問題、雇用問題)考えることを促す中谷さんのガイドは、強い印象を与えるものでした。
ベルリンでは、私の知り合いであるフンボルト大学学生のマルテさんと、夕食会を開きました。
「過去の克服」と日独の比較、日本とドイツの「国民性」、ナチスにおける「正の側面」(アウトバーンとか)、難民危機、ウクライナ危機、歴史教育における「犠牲者」と「加害者」の位置づけ方、平和観など、さまざまなことが議論されました(下はマルテさんとの写真)。

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このブログでは今後数回にわたって、参加した学生のみなさんの感想を連載していきたいと思います。
ですので、ここでは私が一つ強く印象に残ったことだけを記しておきます。

ベルリンの博物館「テロのトポグラフィー」を見ていたときのこと。
帰りがけに、職員の方に声をかけられました。
「あなたは、いい歴史の先生ですね」、と。

一瞬意味が分からず、どうしてそんなことを言うのだろうと怪訝な顔をしていると、
「だって、学生さんがみんな一生懸命展示を見ていますもん」、と。

まわりを見回してみると、先生に引率されてきたドイツ人の中学・高校生が沢山いるのですが、確かに多くの生徒は「連れてこられたからやむを得ず見ている」といった感じで、熱心に見ている生徒はあまりいなかったのが実情でした。

もちろん私たちは大学生なわけで、中高生とは状況が違うのですが、それでも関心のある学生が熱意をもって展示を見ている状況は博物館の方にも印象を与えていたようで、そのことを私は嬉しく思いました。
実際、アウシュヴィッツのガイドの中谷さん、ヴァンゼー会議記念館で説明してくださった学者の方も、ものすごく一生懸命説明してくださいました。学生の熱意が、先方にも伝わったのだと思います。

10泊12日で非常に疲れましたが、充実感のあるいい研修旅行でした。
次回は2年後。
関心のあるみなさんの参加をお待ちしています!

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