2019年9月

2013年卒業生とのゼミ同窓会!! [2019年09月26日(木)]

こんにちは、松田忍(日本近現代史)です。

2013年卒業のゼミOGに誘われて、同窓会に出席してきました!

学生時代は渋谷の安い店で食事していましたが、みなさん立派な社会人となられて、東京・丸の内のおしゃれなレストランで会食!

卒業後ずっと1年に1回くらいは誰かが「会おう」と言い出して、食事しているのですが、この1年間にはご結婚なさった方が複数いらして、今日はお祝いムード。

美味しいメキシコ料理を食べながら、学生当時のことや近況などたくさんのことを話しました。

こうした同窓会以外でも、一緒に旅行しているメンバーもいたりしまして、「歴史好き→どこに旅行しても歴史がある→人生をずっと楽しめる」の法則は健在だなと思いました。

また学生時代から20代前半にかけては、それぞれ色々と悩み深き頃があったみなさんですが、今となっては人生を楽しめるステージに入ってきて、落ち着いてきたなぁとも思いました。

「現役学生よ!今の深い悩みはきっと乗り越えられるときが来るぞ!今は目の前の課題に一生懸命取り組んで、せいぜい悩みたまえ!」なんていう偉そうなこともいってみたくなりますね笑

2013年卒の同期のみなさんもこのブログを見ることもあるかと思いますが、写真のとおり、みんな元気にやっていますよ!またみなさんの近況もお聞かせ下さいませ。

ではでは!

『被団協』に掲載された岩佐幹三氏関連記事まとめ [2019年09月22日(日)]

こんにちは、戦後史史料を後世に伝えるプロジェクトです。

9月21日のインタビューの準備のためにプロジェクトメンバーが協力して作成した資料をアップします。日本被団協の機関誌『被団協』の1号(1976年5月31日)~150号(1991年7月6日)に掲載された岩佐幹三氏関連の記事まとめです。

こちら(岩佐幹三氏関連記事まとめ)をクリックするとPDFが開きます。

1980年代の岩佐さんの活動の濃密さが伝わってくる内容となっています。

機関誌『被団協』のバックナンバーをすぐにみられるようになったのも、ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会に協力して、昭和女子大学の学生がおこなってきた被団協文書整理会の成果ですね!

戦後史プロジェクト 被爆者インタビュー(岩佐幹三氏) [2019年09月22日(日)]

こんにちは、戦後史史料を後世に伝えるプロジェクトです。

2019年9月21日に船橋勤労市民センター第2会議室にて、岩佐幹三さんへの聞き取り調査を行いました。

岩佐さんは広島の原爆でお母様と妹さんを失い、家の下敷きになったお母様を助けられなかったことへの想いや、いくら探し回っても妹さんを見つけることができなかったときの想いを抱えて、被爆者運動をなさっていらしたかたです。

今回さまざまな事前準備をした上で、インタビューに臨みましたが、もう90歳を越えていらっしゃる岩佐さんですが、資料と照らし合わせてもご記憶は確かであることに驚きました。

今回は岩佐さんが金沢大学法文学部にお勤めになっていらした時期に、石川県の原爆被災者友の会会長(1960年~1992年)として活動なさったときのお話しを中心に伺いました。

はじめて被爆者として行動したのはストックホルムアピールへの署名だったが、最初はGHQのMPに目を付けられるのではないかと怖かったこと、第1回原水禁大会に参加したときに、まだ被爆の実相などなにも分かっていない時期だが「核をなくそう」との気持ちだけでつながっていたことに感銘を受けたこと。自分としては「母と妹の死を悔しいと思う気持ちがあった」との気持ちがあったことなどを話して下さいました。

また友の会をつくるきっかけとなったのは、自分が被爆者健康手帳を取得したときに「被爆者同士つながらないと手帳を取った意味がない」と思ったとのお話しも印象的でした。友の会の活動といっても、運動というよりも、被爆者同士がつながりあうことに意味があると考えていて、やっていたのは署名や募金などであったとのことでした。

石川県代表の全国理事として日本被団協の東京事務所でさまざまな会議に出席なさったときの活動をうかがう中で、岩佐さんが1980年代の被爆者運動のキーマンであったとの確証をプロジェクトメンバーは感じました。岩佐さんご自身は「私はなにもやってないよ、みんながやったこと」と何度もおっしゃっていましたが、1980年に基本懇答申があり、被爆者調査を実行し、被爆者の基本要求をつくり、死没者に対する運動を進める中で、岩佐さんのお名前はなんども史料に登場しますし、特に専門委員としてのご活動や、被爆者調査特別委員会委員長としてのご活動が大きいように思いました。

岩佐さんのお話を伺っていると、さまざまな葛藤や矛盾を抱えながら、今も岩佐さんが考え続けていることがよく分かりました。一瞬で世の中を変えてしまう原爆は、通常兵器とは違う「特別な被害」を与えるのだとの思いがありつつ、一方で戦争被害一般に対する補償が必要だとの想いも抱いていらっしゃいます。また真珠湾攻撃に対して「万歳」をして大喜びした時の気持ちと、戦争は間違っていたと考える気持ちも、同じ岩佐さんのなかにあります。

「答え」ではなく、さまざまな「問い」に触れられるのは、こうした聞き取り調査ならではのことだなと思いました。

岩佐さん、本当にありがとうございました!

是非岩佐さんのご自宅にあるという岩佐幹三関連文書の整理もやらせてください!!!

戦後史プロジェクト 第19回ミーティング [2019年09月22日(日)]

こんにちは、戦後史史料を後世に伝えるプロジェクトです。

2019年9月12日におこなわれた第19回ミーティングの様子をお伝えします。ボストンにいっていた2年生3名が帰国し、まだ中屋敷遺跡での考古学発掘調査に参加する2名の出発直前という、ギリギリの日程で開かれたこのミーティングは、久々のフルメンバーの議論となりました!

さまざまな活動に参加できたメンバーと参加できなかったメンバーとの間で、情報共有をはかり、秋の秋桜祭に向けてのテーマづくりの議論をしました。

議事次第は以下の通り。

①まず日高さん(1年生)から、1年生メインで進めてきたこの夏の活動について報告があり、研究成果の共有を行いました。

②日本被団協がおこなった77年生活史調査について、1年生からの補足報告があり、原爆投下当時人間らしくふるまえなかったとの罪意識をもっている被爆者の存在、「聖戦」や「軍人」といった注目ワードなど、被爆者の実相が明らかになる調査結果がこのときに得られたのであろうとの議論がなされました。

③吉村さん(4年生)から、「国民法廷運動」「基本懇答申」に関する研究の概要を共有しました。

④ミーティング前日におこなった吉田一人さんインタビューでの聞き取り内容に関して情報共有し議論しました。

⑤9月21日に予定されている岩佐幹三さんのインタビューに備えて、当日質問したい内容や議論したい内容を調整しました。また岩佐さんが掲載されている『被団協』記事をリストアップして、インタビュー準備を進めることを決めました。

戦後史プロジェクト 被爆者インタビュー(吉田一人氏) [2019年09月22日(日)]

こんにちは、戦後史史料を後世に伝えるプロジェクトです。

2019年9月11日に長崎で被爆した吉田一人さんへの聞き取り調査を行いました。

吉田さんは昨年の9月25日にもインタビューしましたので、2度目の調査となります。

昨年度は長崎における被爆状況の聞き取りからはじまり、大きな身体的被害を受けなかった吉田さんが被爆者としての自覚を持って「被爆者に「なる」」過程を中心にうかがいました。私たちのプロジェクトにとって非常に大きな意味を持つ調査となりました。

今年は吉田さんが『被団協』新聞の編集長をなさっていた1980年代のご活動を中心に、被爆者運動の展開について、さまざまなお話しを伺いました。

戦後史プロジェクト ―被団協文書整理会・夏休み後半の部― [2019年09月22日(日)]

こんにちは、戦後史史料を後世に伝えるプロジェクトです。

2019年8月28日、30日、9月2日、5日 と夏の被団協文書整理会―夏休み後半の部―を開催いたしました!

 

 

戦後史プロジェクト 被爆者インタビュー(濱住治郎氏) [2019年09月22日(日)]

こんにちは、戦後史史料を後世に伝えるプロジェクトです。

2019年9月6日14時~17時に昭和女子大学7号館2階にて、胎内被爆者の濱住治郎さんへの聞き取り調査を行いました。

濱住さんのご一家は広島への原爆投下によりお父様がお亡くなりになりました。原爆投下当時7人兄弟の末っ子だった濱住さんはお母さんのお腹の中だったのですが、お父さんを探すために、お母さんが市街地に入ったときに胎内被爆しました。

生まれながらの被爆者でありながら、投下直後のことは直接はなにも見ていない濱住さんが、お兄さんやお姉さんに原爆投下のことを聞きながら、徐々に「被爆者に「なっていく」」プロセスについて、数多くの事実を聞くことができました。

胎内被爆者は全部同じ学年なので話が合いやすいといったお話しや、胎内被爆者だからこそ語りうるものもあるとのお話しは非常に興味深かったですね。

2003年に稲置市で被爆者団体ができたときに参加した濱住さんですが、本格的に被爆者運動に乗りだしたのは2010年代からであり、これまでの被爆者運動の歴史を学びながら、その一方で自らも考えながら、慎重にお話しになっていらっしゃる姿が印象的でした。

はじめて被爆者聞き取り調査に参加したメンバーもいましたが、それぞれに学問的な気付きがあり、たいへんに有意義な調査となりました。

濱住さん、ご協力ありがとうございました!

戦後史プロジェクト 第16回ミーティング [2019年09月22日(日)]

こんにちは、戦後史史料を後世に伝えるプロジェクトです。

おそくなりましたが、8月6日におこなった16回ミーティングの様子をアップします。

メンバーの半分が夏休みの海外研修や海外旅行、発掘調査等に参加するため、なかなかフルメンバーの活動は難しいのですが、この日のミーティングでは、吉村さん(4年生)から国民法廷運動に関する報告について討議した後、夏の活動方針について話し合いました。おおきな方針としては以下の通りです。

①4年生の吉村さんが「『第1~14回原爆被爆者対策基本問題懇談会議事次第』を読み込み、原爆対策に対する基本懇の立場を精査すること。

②1年生が手分けして、『77年シンポ生活史調査』と『被団協』新聞を読み込み、課題を見つけだすこと。

論点は被爆者としての怒りとはなにかについて話し合っています。そのなかで出た話としては、被爆当時の証言には驚くほど「怒り」の感情が少ないことです。瞬間的に世界を変化させる原爆の元で、人間的な感情がついていかず何が起こったのか分からず右往左往している人びとの様子が印象的です。そうすると、被爆者の怒りは「最初からあった」のではなく、原爆を理解することで「生まれてきたり」「思い出されたり」するものではないかというのが私たちの現在の議論です。

このあとも史料整理や被爆者への聞き取り調査があるので、その論点をつめていきたいと思います。