北鎌倉での校外実習(東慶寺~浄智寺)編をお届けします。
前回の円覚寺編からご覧ください。
「社会」校外実習_北鎌倉(円覚寺)編│昭和女子大学 人間社会学部 初等教育学科
円覚寺の次は、東慶寺を見学しました。
松岡山 東慶寺
東慶寺は弘安8年(1285年)に開創された臨済宗円覚寺派の寺院です。
(東慶寺HPより)
江戸時代、男性から女性に離婚を切り出す際は「三行半(みくだりはん)」を突き付けることで離婚が成立しました。
江戸時代に夫から妻宛の離婚状
しかし、女性から離婚をすることはできない時代でした。
女性から別れるためには、寺に駆け込み、尼さんになることが一つの手段でした。
東慶寺にはそうした女性が多く駆け込んだことから「縁切寺」とも言われています。
境内にはウメやアジサイなど、さまざまな花が植えられており、季節ごとに訪れたいです。
東慶寺へ向かう途中、学生が見つけたマンホール
太子堂の散策で教えていただいた様々なデザインのマンホールのように、
中央には「鎌倉」の「鎌」の字がありました。
学生はしっかりと前回の校外実習で学んだことを念頭に置きながら、今回も参加している様子です!
:太子堂地区を探索しました(社会)│昭和女子大学 人間社会学部 初等教育学科
東慶寺の後は浄智寺を見学しました。
金寶山浄智寺
浄智寺は鎌倉幕府第5代執権北条時頼の三男である北条政宗が亡くなった折に、
菩提を弔うために1281年頃に創建されました。
(浄智寺HPより)
山門の手前に小さな石橋があり、石橋の左には「甘露の井」がありました。
鎌倉十井の1つであり、蜜のように甘い水であったと言われているそうです。
浄智寺ではたくさんの井戸を見ることができ、学生も井戸から水をくむ体験をしていました。
そして本堂の「曇華殿(どんげでん)」の如来は、過去・現在・未来を象徴としています。
境内を歩いていると、写真のようなやぐらがたくさんありました。
やぐらはかつて、人の住居や倉庫としての役割があり、そしてお墓としても使用されるようになったと教えていただきました。
鎌倉は平地が少ないことからやぐらが多く見られます。
歩みを進めると、「鎌倉・江の島七福神巡り」の1つである「布袋尊」がありました。
布袋尊は大きなおなかと優しい笑顔が特徴であり、おなかをなでるとご利益があるということで、
学生も早速おなかをなでなで。
「布袋尊のようにいつも笑顔でいたいね」と会話をし、浄智寺を後にしました。
次回は、円応寺~建長寺編をお届けします。