4日目は、1396年にパラメスワラ王子がマラッカ王国を建国して以来、アジアの重要拠点として栄えたマラッカの歴史を訪ねました。
その後のマラッカは、1511年にポルトガル領、1641年にオランダ領、1824年にイギリス領、1941年に日本領、1945年の日本の敗戦によって再びイギリス領となりました。

マラッカへ渡ってきた中国人の生活様式を伝える日用品や家具、結婚衣装などの展示を見学しました。訪問者を覗き見する2階の床の小さな穴に、生徒は興味津々でした。残念ながら、写真撮影は禁止されていたので、博物館の入り口で集合写真を撮りました。

次に訪れた青雲亭は、仏教・道教・儒教の信仰が1か所に集まったお寺です。悪い運を置いてきて、新しい運を体内に取り込めるということで、中国の作法を真似てみる生徒もいました。

オランダ統治時代に建設された、役所やセントクライシス教会を見学しました。赤いレンガに彩られた町並みが、当時の趣を偲ばせます。

日本でもお馴染み、セントポール教会跡のフランシスコ・ザビエル像を見学しました。ザビエルは右腕を失いましたが、この像の右腕も雷が落ちて失われたそうです。

当時の活発な船の往来に思いを馳せ、セントポールの丘からしばらく海を眺めました。

ポルトガルがマラッカを防衛するために築いた要塞です。この上部の彫刻の男性の盾に目をやると、VOCというマークがありました。東インド会社のマークです。

マレー料理と中国料理が融合したもので、とても美味しくいただきました。マレーシアは、「融合」「共存」という言葉がピッタリです。

ホタルが作り出す幻想的な光景は、まるでクリスマスツリーのようでした。日本のホタルよりも小さく、点滅が早いのが特徴です。ホタルを守るために写真撮影ができなかったので、この感動を写真でお伝えできないのが残念です。
明日は、いよいよマレーシア最終日です。日本語学校を開かれた日本人女性にお話を伺います。