【英コミ教員記事】島﨑先生:「書き間違い」は「間違い」ではない? ―― 写本に見る言語の歴史研究の魅力

本日の記事は、英コミの島﨑先生によるものです。


印刷術が発明される今から500年以上前、本はすべて手書きの一点物でした。同じ本をもう一冊作るには、元の本を手で写すしかありません。当然、本は貴重品でした。ただ、手で写す以上、間違いは避けられません。写し手が単語の綴りを間違えたり、うっかり行を飛ばしたり、時には元の言い回しを自分の方言で言い換えたり、元の本にはない表現を勝手に書き加えてしまうこともありました。

こうしたことは今では考えられませんが、当時はごく普通のこと。つまり、写し手の数だけ本にはバリエーションが生まれ、元の形とは変わってしまう運命でした。作者にとっては悲しいことですね。イギリスの詩人チョーサー(1343?-1400)も「私たちの母語である英語は、書き記そうにも、かなりの多様性があるので、書き間違えや、国語力不足による単語選びの間違いがないように、また、どこで読まれ、歌われても、正しく理解されるように、私は神に祈るのだ」と言っています。

ところが、このバリエーションこそ、私たち言語学者には重要です。個々の写しには、写し手の言語の特徴や語感が反映されています。これらを分析することで、録音のない遠い昔の人々の声を間接的に聞き、その時代の社会や文化の一端を垣間見ることができるのです。授業で板書を写し間違えたあなたのノートも、未来の言語学者を喜ばせることになるかも知れませんよ。

写真はイギリスの大英図書館(The British Library)です。