現代教養学科ブログリレー -授業・講義って何だろう?・天笠-

みなさんこんにちは!現代教養学科で、メディアのことや、人と人とのつながりのこと、社会調査のことを研究したり、教えている天笠といいます。

在校生のみなさんは、改めましてこんにちは!こんなご時世ですが、元気に過ごしていますか?外部の皆さんや昭和女子大学の受験を考えている高校生のみなさんは、初めまして。未来を見通せぬ日々だと思いますが、充実した今をお過ごしでしょうか?

現代教養学科の教員のブログリレー(今風に言うならブログバトン?)が回ってきまして、何を書こうか迷っていたのですが…、現在の教員たちにとっての最大の関心ごと「オンライン授業」について、少々長文ですが、書いてみようと思います。読む方は、覚悟してください(笑)

本文と全く関係ないですが、最近豆苗を育てることにハマっています。日々成長していく姿がいとおしいですね!

「5年間」時計の針を強制的に進めた新型コロナウィルスの流行

現在の新型コロナウィルスの流行拡大は、世の中に多様で急激な変化をもらたらしているということは、わざわざ私が語るまでもありません。その中には、身近な人や職を急に失ってしまうような悲しく辛い変化もあります(新型コロナウィルスの犠牲になった方々に、心よりお悔やみとお見舞いを申し上げます)。また、望まずとも「社会のヒーロー」になってしまい、平穏な日常が過酷な最前線に変わってしまった方もいるのではないでしょうか。(小売りや物流、インフラそして医療など、こんな環境の中で社会を支えてくださっている方々に、心からの感謝を。みなさんのおかげで、私もこんなブログを書くことができています。)

そんな中、おうち時間を過ごしている一般の人々が直面している多くの変化は「5年後にくるはずだったの未来」だと、私は感じています。今回のコロナウィルスの流行は、各国で「その社会が構造的に弱かった部分=近い将来必ず直面しなければいけなかった問題」をさらけ出す結果になっています。アメリカであれば格差や社会保障制度、シンガポールであれば出稼ぎ移民に依存した社会システム、そして、日本であれば…、暮らしている分、色々な部分が見えてくると思いますが、私はその一つに「社会の情報化の遅れ」があると感じています。

情報化の遅れについては、日本で一番議論されるのは、テレワークや行政手続きの面だと思います。一方で、我々の仕事の一つでもある「教育」でも度々議論されています。よくPISA(OECD学習到達度調査)などを引き合いに出し、高校までの教育における危機的状況が指摘されます。そうした遅れは、高校までに限らず、大学以降の高等教育においても顕著です。そんな大学において「いつかは取り入れなければいけないけれど、一向にはじまらない5年後の未来」の一つが「オンライン授業」でした。

 

「先生はなぜライブ配信型にしたのですか?」という質問

そんな「永遠?(この5年、10年で取り組めばよいかなぁ~と思っていた)の課題」を、コロナウィルスによって突然突き付けられた大学教員たちは、てんやわんやです。他大学では「オンラインで最高の授業をする」と言い切った、かっこよすぎるロックなメッセージを発信した学部長がいました。私もそういいたいところですが、正直、そんな余裕はありません。4月24日から始まったオンライン授業は、日々、手探り。学生の皆さんの協力を得ながら(心から感謝)、1回、1回改善をして、何とか成立している状況です。

そんなオンライン授業を実施している中で、とある受講者の方から頂いたリアクションペーパー(というかオンラインフォーム)にこんな質問がありました。「先生は、なぜ授業をライブ配信型にしたのですか?」

実は(現役の大学生や大学関係者の方はよくお分かりかと思いますが)、現在、大学で急激に普及しつつあるオンライン授業は、大きく分けて2つにタイプが分かれています。1つ目がリアルタイムで授業をオンライン配信する「ライブ配信型」。2つ目が、事前に教員が講義資料やその解説動画などを用意し、学生が好きなタイミングでそれを見て勉強をする「オンデマンド型」です。シンプルに大学の授業をオンライン上に再現するだけであれば、イメージしやすいのは、1つ目の「ライブ配信型」だと思います。ですが、あくまで感触ですが、実際に他大も含めた大学教員がとっているのは、2つ目の「オンデマンド型」の方が多い印象です。一番定番になっているのは、パワーポイントの資料に音声と映像を付けていくやり方だと思います。確かに、このやり方が一番「失敗」が少ないのです。教員・学生双方の通信環境によるトラブルを排除できることが非常に大きい。また、ハウリングや、授業中に学生のお母さんの「ご飯よ~」という声が聞こえるなど(笑)、想定外のトラブルも避けることができます。質問をしてくれた学生も「リスクがあるライブ配信をなぜ、メディア論の教員が選んでいるのか」について興味があったのかもしれません。

自宅ではこんな感じで、授業を配信しています。FWで利用していたアクションカムをウェブカメラ代わりに。(フィールドワークに行きたいです…)

 

こんな時だからこそ問われる「授業・講義とは何か?」

私が「ライブ配信型」を選んだ背景には、正直に言うと「事前収録は時間かかるなぁ…めんどくさいなぁ」という気持ちがなかったわけではありません(笑 一方でオンデマンド型は1度つくると、使いまわせるのでコストがどんどん下がっていく。)。ただ、それ以上に「オンデマンド型」だけで大学の講義が成り立ってしまうことへの危機感もありました。

大学で学べる知識には、大きく分けて2つあると考えています。一つが、誰がいつ教えても変わらない、正解のある「パッケージ化された知識」です。資格試験にかかわるような知識は、これに当たります。(最近は、例えば医師国家試験の予備校などで、オンデマンド型の講義を販売するなどの動きも盛んなようですね。)高校までの授業で教えられる知識も同じだといえるでしょう。このような知識は普遍的な価値がある一方で、「時間」と「場所=状況」の尺度を持ちません。こうしたことから「知識のパッケージ化」は尊いのですが、しばしば「現場感のない知識」として批判の対象になります。

もう一つが、その知識を使って思考する・知識を運用するための知識です。知識というよりスキル(メタ思考)や認知(メタ認知)と呼ぶべきものかもしれません。こうした知識は、必ず知識を運用する「状況」を伴っています。そして、相対的で常に他者のやり方との比較の中に見えてきます。私は、こうした「知識を扱うための知識」を身につけることは、特に高等教育として社会科学を学ぶ学生には必須のものだと考えています。社会科学は、多様な理論・多様な方法論を持っていて、社会科学を武器に世界と向き合うためにはそれを適宜状況によって適切に運用しなければならないからです。

だからこそ、大学の、特に私が担当するような社会科学系の授業・講義は、パッケージ化された知識だけでなく、それを運用するための知識を身に着けるための「状況」と、知識を相対化するための「他者」を伴っていなければならないと考えています。それがオンラインでより容易に実現できるのが、時間を他の履修者と共有する「ライブ配信型」だと考えました。
ちなみに…、こんなことを言っていますが、「オンデマンド型」の授業を展開する先生方を批判する意図は一切ないことはご理解ください。分野によっては、パッケージ化された知識もとても重要ですし、「オンデマンド型」でも教員の適切なフィードフィードバックなどにより、「状況」や「他者」を作り出すことは可能です。あくまで私にとって、自分の目的を果たすためにやりやすかったのが、「ライブ配信型」だったということです。

 

ライブ配信型オンライン授業の可能性

という訳で、少々抽象的な話が続きましたが…、最後にオンライン授業の実際についてお話をしたいと思います。例として、私が担当している一般教養科目「メディア論A(ソーシャルメディア)」を取り上げたいと思います。

この授業を履修しているのは150名、教室時代は教員からの情報提供を中心とする非常に典型的な「講義型」の授業でした。オンライン型の授業になってからは、少々その講義が様変わりしています。

大体、リアルタイムでの出席率が、1限の授業にも関わらず130~140人(アカウントの重複などがあるので正式には不明な部分も)で、非常に出席率が良いです。そして、チャットでの発言・質問が、約90分の授業中に、199コメントありました。30秒に2回はコメントがある計算です。もちろん、コメントの質としては、玉石混合だと思います。これだけあると、もちろんすべてを取り上げて、フィードバックするわけにもいきません。しかし、面白いものをピックアップして話ををするだけでも「インタラクティブさ」は、対面の教室時代よりもはるかに増しますし、他の受講者の考え方や理解の仕方などを学ぶ機会は豊かになっていると思います。

というわけで、やむにやまれる事情で、強制的にやってきた5年後の未来=オンライン授業ですが、今のところ配信側に特にネットワークトラブルが起こっていないことも相まってか、意外に手ごたえを感じている状況です。もちろん、グループワークのある授業では?など、授業のタイプによって、その手ごたえは異なると思います。しかしながら、少なくとも、ただ一方的に話さざるを得ない部分もあった「講義型」の授業では、少し明るい未来がやってきています。受講者の皆さんがどう感じているのか、そのあたりもしっかり調べないといけないので、ちゃんと振り返るのは、学期末の学生アンケートが終わってからになるでしょう。その学期末に、皆さんからしっかり評価をしてもらえるように、教員として1回1回、「授業とは何だろう?」という問いに向き合いながら「未来」に挑んでいこうと思います。

【参考文献】

  1. J.レイヴ, E.ウェンガー(1993)『状況に埋め込まれた学習』産業図書
  2. 上野直樹(1999)『仕事の中での学習』東京大学出版会
  3. L.サッチマン(1999)『プランと状況的行為』産業図書