Keep Off the Grass [2018年11月16日(金)]

この掲示をどこかで見たことがありますか。

英語でも書かれているので、BSTの生徒さん達も行き来するところにあるはずですね。
でも、BSTの校舎の近くには芝生はありません。
実は、この掲示は学園本部館と大学1号館の間のロータリー中央にある養成中の芝生のためのものです。

午後4時ごろに撮影したので少し日が陰って見にくいかもしれませんが、中央の一番背の高い木の手前に、上の写真にある掲示が置かれています。
芝張りをした後に人が立ち入って芝を踏んでしまうと、擦り切れたり、押しつぶされたりして、芝が枯れてしまうこともあります。見たところきれいに芝が張られているようでも、切り取った芝のマットが土の上に乗っている状態なので、芝の根が土の中まで入り込むのを待つのに時間が必要です。多分、少なくともあと1、2か月くらいは、待つことになるのではないでしょうか。スポーツ競技場のスタジアムの芝を全面張り替えると、養成期間が3か月位は必要なのだそうです。

秋は少しずつ気温が下がり、芝の根も伸びにくいので、皆さんで大事に芝が育つのを見守っていきたいですね。

クレーンが見えますか [2018年11月09日(金)]

雨上がりの空に、グラウンドのブルーのトラックと中央のグルーンの人工芝の色がすがすがしい朝です。
この写真は、昭和のキャンパスにあるBST(ブリティッシュスクール・イン・トウキョウ)の前あたりから、中高部2号館、こども園、そして8号館の方向にカメラを向けたものです。写真中央のこども園のあたりに、クレーンが見えるでしょうか。


このクレーンは、本学西キャンパスに新校舎を建設するためのものです。クレーンが使われているということは、建物が随分高くなったということですね。
下の写真の左側には、すでに6階建ての骨組みができ、右側は地下が深く掘り下げられてプールが建設されているようです。

写真の右手奥には、たくさんの建設資材を積んだ車やトラックが並んでいます。一日、一日、一歩ずつ、一歩ずつ、完成に近づいています。こんなにたくさんの機械や人々の力で出来上がる新校舎、来年の9月が本当に楽しみです。

この写真の方をご存じですか。 [2018年11月02日(金)]

昭和女子大学の卒業生の会、「光葉同窓会」初代会長の和田艶子先生です。島根県のご出身で1904(明治37)年生まれ。1999(平成11)年に95歳で他界されました。日本女子高等学院を卒業後、常に母校と卒業生のパイプ役を果たし、1958(昭和33)年から「教員学術研究会」を主催して教員に研究発表の機会を作られ、また、同窓会の組織作りと整備に努められました。同窓会では、卒業生の名簿作成に着手され、人見記念講堂の第二緞帳、光葉会誌の発刊等、終生、学園と同窓会の発展にご尽力下さいました。会長をお引き受けになる時、先週のブログでご紹介した保坂都先生こそふさわしい方だというお気持ちから、はじめはご就任を固辞されたそうです。和田先生、保坂先生、お二人とも本学の発展の礎を築いて下さった私達の大恩人、そして、大先輩です。

本学は1920(大正9)年に「日本女子高等学院」として誕生し、1925年に初めての卒業生が出ました。第4回卒業生を出した1928年には『女性文化』第1巻1号が同窓会から出されました。本学の同窓会「光葉会」は、1945年学園復興の年に、日本女子高等学院と附属高等女学部の生徒たちや教職員全員の力を合わせて、戦後の困難な時代を乗り切ろうと組織したもので、当時はすべての生徒や教職員が光葉会のメンバーでした。そこから、同窓生の光葉会が独立して、「光葉同窓会」ができたのが、1974(昭和49)年のことだったのです。

上の写真は1992(平成4)年の光葉同窓会懇親会の席上で、お二人の米寿のお祝いをした時のものです。歴史を辿ってみると、本学があと1年半もしないうちに創立100周年を迎え、ここまで成長できた陰には、本当にたくさんの方々のご尽力やご支援があったのだとしみじみ思う今日この頃です。

写真の先生をご存じですか [2018年10月26日(金)]

 

保坂都先生です。山梨県のご出身で、女学校に進学する人も村で一人いるかいないかの時代であった1923(大正12)年に上京され、親戚の方や近所の方々が村はずれまで見送って下さり、涙ながらの別れをしたというお話を私が大学生の時にお伺いしたことがあります。

当時の日本女子高等学院国文科を卒業後、附属高等女学部の講師もされ、その後大学で教鞭をとられました。いつも着物姿でいらしたことを、古い(私もその一人ですが)卒業生の皆さんはご存じでしょう。短めに和服をお召しになり、身のこなしが素早く、小さなお体でどこからそんな力が湧くのかと不思議なくらいでした。常に凛とした態度で、学生が怠けたりすると厳しい叱正が飛びました。「幸い」なのか、「残念」なことなのか、私は、当時英米文学科で学んでいたので、直接、先生にお教えいただくことはほとんどありませんでした。現在の1号館の場所にあった、大学本部館の1階が教授室で、どうしても用事があってその部屋に入らなければならない時は、保坂先生が着物姿で椅子の座席の上にきちんと正座されているのを横目で見ながら、呼び留められないように、そっと、出入りしたものでした。

1904(明治37)年9月20日のお生まれで、教育、研究一筋に歩まれましたが、初めての海外旅行の折のエピソードは、先輩たちからよくお聞きしています。大学のある教員がハーバード大学の夏期講習に出席するということで、1960年にご一緒されたそうです。横浜港から船で出発。この頃、勿論、昭和ボストン校はありませんでした。珍しい洋服姿のお写真を一枚だけ拝見したことがあります。帰りはヨーロッパから、日本の船で神戸港に入港し、汽車で東京に戻られたそうですが、やっと日本語が使えたときの喜びは格別だったそうです。

もう一つ、保坂先生の思い出は、「黒パン」です。常に黒パンしか召し上がらないという噂でしたが、多分徹底した健康管理をされていたのでしょう。

学園草創期の苦難の時代を支えてくださり、研究活動も精力的にこなされ、國學院大学から文学博士の称号を授与され、本学卒業生初の博士号授与者となられました。「なせばなる なさねばならぬ なにごとも ならぬは人の なさぬなりけり」を座右の銘として、生涯学園の発展に尽くされた、大先輩のお一人です。

保坂先生は、2002(平成14)年9月に亡くなられました。写真は、同年の10月24日の「お別れの会」で頂いたものです。もう、あれから16年も経ってしまったのですね。今の昭和をどこかでご覧くださっているでしょうか。

こんなキャンパス風景、見たことがありますか [2018年10月19日(金)]

手前のテーブルには、水筒がたくさん並んでいますね。中央に巨大なバギーカーが見えませんか。これはこども園のお散歩風景です。快晴の秋の空のもと、大学のキャンパスをバギーカーに乗ってお散歩なんて、他の大学では見ることのない風景ですね。

この日は、こども園の子どもたちが大勢で、楽しそうに色とりどりの帽子をかぶって、昭和之泉の庭園をお散歩していました。きっと先ほどの水筒は、この子供たちがテーブルに置いたのでしょう。

次の写真は翌日の朝です。

 

ちょうどBritish School の生徒たちが、レオ広場で朝のスポーツを楽しんだ帰りなのでしょう。三々五々、BSTの教室に戻っていくところでした。
次の写真はお昼休み、昭和の大学生がほとんどいないので、きっと3コマ目が始まった後の時間だったと思います。カフェテリア、ソフィアが12:10から13:10は、大学生で超満員のため、クッキング・カーも2台、出店しています。

プロムナードでは、お天気がいいと、BSTの生徒たちもベンチに座って友達と食事をしたり、おしゃべりをしたりと憩いのひと時を過ごしています。
昭和では、ひとつのキャンパスに、こども園から大学院まで、そしてBritish Schoolもあり、さらには、来年の秋からは西キャンパスにペンシルバニア州立テンプル大学ジャパンキャンパスが移転してきます。ここで学ぶ人の年齢は、0歳からきっと60歳くらいまででしょうか。そして、さまざまに違う文化背景を持つ留学生や、学園で学ぶ園児・児童・生徒・学生達をサポートして下さる社会人の方々など、昭和のキャンパスは、ダイバーシティに富んでいます。
是非皆さん、こども園の園児の様に、時にはキャンパス内を散歩してみてはいかがでしょうか。まだ、足を踏み入れたことのない場所がきっとありますよ。

このヒマラヤスギ、覚えていますか [2018年10月12日(金)]

今年の2月に「世田谷区保存樹木制度」というタイトルのブログでご紹介した、キャンパス内のヒマラヤスギのことを覚えていますか。3号館と学園本部館に挟まれた道に堂々とそびえていました。一番手前にあるヒマラヤスギの幹には、「指定第2741号・平成28年6月17日 保存樹木 樹種ヒマラヤスギ 世田谷区」と書かれた札がつけられていることも紹介しました。

ところが今年の9月に入って相次ぐ台風に見舞われ、9月30日にこの大木が倒れてしまいました。根が深く張っていなかったので、強風に耐えられなかったようです。

保存樹木の指定を受け、将来、末永く大切に手入れをしていこうと計画していたのに、とても残念です。
ここに植えられているヒマラヤスギは、世田谷キャンパスにかつて旧東部第十二部隊(近衛野砲)があった時代からのものです。連隊の本部がちょうど3号館のあたりにあったそうで、その本部前に北白川宮様が来られた際にお手植えをされたという記録もあります。70年以上も太子堂や昭和学園の歴史を見つめていた木。大切にしていたのに、本当に残念です。

建物にぶつかったりせず「迷惑にならないように?」ちょうど3号館と学園本部館の間に倒れてくれたこと、ヒマラヤスギに感謝したいですね。第2742号、そしてその後ろの第2743号には、しっかり根を張ってもらい、創立100周年、そしてその先もずっと、このキャンパスに集う者たちに憩いの木陰を作ってほしいものです。

大学の後期がスタートしました [2018年10月05日(金)]

10月は英語でOctober. “octo”はラテン語の “octavum”(第8)の意味を表しています。変ですよね、10月なのに。実は紀元前にローマ歴が使われていた間、今の3月から新年が始まっていたので、10月は3月から数えると8番目の月になるからだそうです。

さて、10月に入り大学生もキャンパスに戻り、こども園から大学院までの全員が揃いました。テンプル大学ジャパンキャンパスの本学への移転まで、すでに1年を切り、新しいスーパーグローバルキャンパスの創造を目指して、着々と準備が進んでいます。

さて、この写真のような景色、今まで見たことがありましたか。9月末に完成した、学園本部館と1号館の間のロータリーです。

素敵に変身しましたね。今はまだ木を植えたばかりなので、ちょっと周りが寂しく見えますが、すぐに緑の木陰を作ってくれるでしょう。

 

ライトに照らされた夜の景色も落ち着いていて、いいですね。

秋と言えば、いろいろ思い出しますが、是非、読書と勉学の秋を十分に楽しむキャンパスライフにしたいものです。

夏休みに英語の本を楽しんでみませんか [2018年07月27日(金)]

英語の本と聞くと、なんとなく敬遠しがちな方が多いかもしれませんが、是非、時間が自由に使える夏休みには、1冊くらい英語の本に挑戦してみてください。
絵本や挿絵の多い本ならばきっと楽しく読めると思います。本学の図書館にある英語の本を楽しく読む方法を一つ、お教えしましょう。
例えば、皆さんご存知の「不思議の国のアリスAlice’s Adventure in Wonderland」。幼い少女アリスが、白いウサギを追いかけて不思議の国に迷い込んでしまい、話をする動物や、動くトランプなど、さまざまな不思議なものに出会いながら冒険をするお話です。著者はルイス・キャロルですが、実はこれはイギリス人の数学者であったチャールズ・ラトウィッジ・ドジソンのペンネームです。初版は1865年の11月26日に出ました。ちなみに11月26日は私の誕生日でもあります。でも私が生まれたのは、1865年よりずーっと後ですが・・・。

さて、次の写真は1889年に出版されたオズボーンコレクションの復刻版で、トランプが動き出す場面の挿絵のページです。アリスの服装にも注目してください。

 

では、次の写真をご覧ください。

こちらは1946年に出版されています。初版の復刻版と比べると少々挿絵のアリスが幼くなっているようにも見えます。

 

最後にもう一冊。

これは1980年に出版された仕掛け絵本で、ページを開くと立体的に絵が飛び出します。このようなポップ・アップ版の絵本は、今ではいろいろ作られていますね。でも、こんなにたくさんのトランプが動く様子をよく作ったものだと感心します。

 

印刷された時代によって活字も違っています。読書は、そこに書かれた文章を味わうのが、醍醐味ですが、ゆっくり時間がある時には、体裁も含めて、本全体を楽しんで欲しいと思います。絵本の中にも英語が多いもの、絵しかないものなどいろいろ本学の図書館にも揃っています。涼しい図書館で、ゆったりとした時間を過ごすのも、いいものです。

※学長ブログは夏休み中更新をお休みいたします。次回更新は10月5日(金)を予定しています。

「なかよし」の像 [2018年07月20日(金)]

2017年11月10日のブログでは、5号館の中高部校舎に近いところにある、日展理事長の奥田小由女氏作の「歓」の像を紹介しました。

また、その次の週の11月17日には、プロムナードの学園本部側に置かれている、彫刻家  建畠大夢氏の長男で、かつて本学で教鞭をとられ、行動美術を代表する彫刻家と称される建畠覚造氏作の「二人」の像を紹介しました。

台座には、

二人  建畠覚造
同門に学ぶ者を朋といひ
同志に結ぶ者を友といふ

と彫られています。

本学園には、もう一つ、「二人」をテーマにした彫刻があります。初等部の玄関左側にある「なかよし」の像です。
二人の子どもが肩を組み合って楽しそうに笑顔で歌っているように見えませんか。埴輪の人形のようにも見えますね。これは現在の初等部校舎が完成した折に、初等部元教員の菊地眷太郎(けんたろう)先生が作られた作品です。

仲良くするためには、お互いに相手を信頼すること、そして感謝の気持ちを持つことが大切ですね。

この写真、覚えていますか [2018年07月13日(金)]

 

2018年4月20日のブログに掲載した写真です。キャンパスのプロムナードにある木の幹を、3月に事情があって切った折の写真でした。たぶん60年以上は経っている木です。戦火で焼失したうえ高田の緑が丘からここ太子堂に移転して、半年後の昭和21年5月、美しい緑を育て、後輩たちの憩いの場となるようにと、卒業生のお宅から100本の小さな楠の苗木が届き、先輩たちが植えたうちの1本です。ところが、学内の整備のために、移植しようとクレーンでつり上げる時に、幹に巻いたロープで楠の表皮が剥がれ、徐々に枯れ始めてしまったので、ウッドデッキから1.5メートルほどの高さのところで伐採し、その切り口から萌芽がでてくるようにと蘇生手術を受けました。上の写真は、その幹からやっと新芽が一か所出てきた時に写しました。

7月を迎え、あれから3か月。たった3か月の間に、新芽がぐんぐん伸びて、今、こんなに幹の周りがにぎやかになっています。

 

 

柔らかそうな葉が若い緑色の幹からぐんぐん伸びています。順調に育っていますね。前期も終わりに近づきました。夏休みが終わって、キャンパスに戻ったときは、どのくらい成長しているでしょう。楽しみですね。