YEAR

2016年

  • 2016年12月22日

それでも山に登り続けた田部井さん

 田部井淳子さんは、英米文学科(今の英語コミュニケーション学科)を1962(昭和37)年に卒業された本学の同窓生です。病気でご療養中のところ、10月20日にご逝去されました。本当に残念でたまりません。  1939(昭和14)年、福島県田村郡三春町にお生まれになり、大学卒業後、社会人の山岳会に入会、谷川岳や日本アルプスなどの冬山や岩登りに次々と挑戦されました。そして、1975(昭和50)年には、世界 […]

  • 2016年12月16日

新校舎が姿を見せました

 昨年の11月から、校門を入ってすぐ左、創立者記念講堂の手前の歩道が通れなくなっていました。もともと、あまり幅の広くない歩道と車道でしたから、そんなに不便さは感じていませんでしたが、壁の向こう側には一体何ができるのだろうかと思っていた方も多いと思います。    いよいよ、その姿を見せました。昭和女子大学の新校舎です。体育館のフロアもある3階建てのビルで、健康デザイン学科のほか、来年度新設の食安全マ […]

  • 2016年12月2日

エル・カミーノ・ベル

(本学にあるエル・カミーノ・ベルベル部分の拡大写真)     この鐘は、キャンパスのどこにあるかご存知ですか?    アメリカ合衆国カリフォルニア州を南北に走る国道101号線を、エル・カミーノ・レアル(El Camino Real)、現地の日本人は、『カミーノ街道』と呼んでいます。この名称はスペイン語で、“レアル”は皆さんの中でもファンの多い、スペインのサッカーチーム、“レアル・マドリード”の“レ […]

  • 2016年11月25日

野に出でよ

 私たちの年代の卒業生にとっては、学寮と言えば茅ケ崎や大磯の寮を思い出します。望秀学寮はもちろんのこと、東明学林もまだ出来ていなかったからです。神奈川県大井町にある本学の研修施設「東明学林」は1977(昭和52)年の3月に竣工式を迎えました。 (東明学林から望む富士山)    東明学林の「東明」とはもちろん、創立者人見圓吉先生のことで、先生の雅号です。東明学林は酒匂川を眼下に見下ろす12万平方メー […]

  • 2016年11月18日

秋桜祭

 今年で第24回目となる秋桜祭(学園祭)が11月12日㈯と13日㈰の両日、快晴の秋空のもと開催されました。学生による実行委員会が企画・運営のすべてを取り仕切り、クラブ、クラス、研修グループ、プロジェクトグループ等に在校生や卒業生も参加して、多くの方々が「つなぐ」のテーマのもと、展示、プレゼンテーション、ステージパフォーマンス、バザーなど、盛りだくさんのイベントを繰り広げました。とても充実した2日間 […]

  • 2016年11月11日

「朝風薫る武蔵野の緑ヶ丘・・・」ってどこ?

 校歌の第1節にある「武蔵野の緑ヶ丘」は、残念ながら、世田谷キャンパス近辺のことではありません。  昭和女子大学の校歌は、実は、昭和女子大学と呼ぶようになる前から歌い継がれてきたものです。初めて校歌が歌われたのは、大正15 (1926) 年6月5日、上高田の新校舎の落成式でした。上高田の校舎は東京府豊多摩郡野方町上高田39番地にありました。野方町は現在の東京都中野区の北部にあたる地域で、明治22( […]

  • 2016年11月4日

恩師同窓の墓

 毎年11月には世田谷区若林にある松陰神社で、恩師同窓の合祀慰霊祭が行われます。  まだ上高田に校舎があった昭和15(1940)年、創立20周年の記念事業として、学父人見圓吉先生は「恩師の墓」を、さらに昭和18(1944)年には「同窓の墓」を、亡き恩師、校友と学園が将来永久に精神的に結ばれていることの証として、校舎近くの清原寺に建立されました。   (清原寺にあった恩師同窓の墓)    その後、校 […]

  • 2016年10月28日

「学父の岩」と「学母の岩」

 「校訓の巌」と呼ばれる創立者記念講堂の横にある青色の油石と同時期に運びこまれたのが、大学5号館の入り口右手に置かれている、「学父の岩」です。   (学父の岩)    そしてその右隣には、30トンの緑色の石があります。これは、学母人見緑先生の生まれ故郷、四国愛媛県産で、伊豫青石とも呼ばれている石です。 (学母の岩)    名前の通り晴れた日には緑色に、そして、雨に濡れると青色に輝き、模様も複雑に変 […]

  • 2016年10月21日

校訓の巌

 創立者人見記念講堂の入り口右手に、大きな岩(巌)が置かれているのをご存じですか。キャンパスには何か所かに大きな石が置かれていますが、その中でこの石はもっとも巨大です。45トンもあります。45000キロですから、45キロの体重の人が1000人集まった重さですね。   (講堂前の校訓の巌)    これは学園創立60周年にあたる昭和55(1980)年に北海道日高山中から運ばれた青色の石です。北海道を代 […]

  • 2016年10月14日

先哲の碑

 本学が「昭和女子大学」となったのが、世田谷区太子堂のこの地に移転してから4年後の、昭和24(1949)年4月のことでした。その年の9月に校内に「先哲の碑」が建立され、さらにその後、昭和59(1984)年に創立者人見記念講堂とグリーンホールの間の場所に移したのが、現在の「先哲の碑」です。先哲の碑は、碑文にもあるように、創立以来、本学園の研究・教育・運営に尊い命をそそぎ、現在の学園の繁栄を築いてくだ […]