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様々な方が利用する歓談スペース [2019年01月18日(金)]

朝、8時。授業の始まる1時間前ですが、学生達で椅子はだいぶ埋まっています。

ここは、学園の中心にあって、大きくて広いホール。飲み物やスナック類のベンディングマシンがあり、学外の方も含めて誰でも利用できる場所です。附属の児童、生徒の保護者も利用されますし、本学を訪れる業者の皆さんも、時々窓際の机にPCを置いて、何か急ぎで連絡や仕事をされている姿も良く見かける8号館1階の学生ホールです。

通常は、朝7時に守衛さんが開場して下さいます。開場されるとすぐに待ち構えたように席を取る学生もいます。そして、お昼近くなるといつも満杯。16時位までは、ほとんどの席が埋まっていますが、18時を過ぎるとさすがに利用者は少なくなるようです。また、文化研究講座が開かれる日は、授業後から開演までここで待機する学生も多く見受けられます。夜の授業もあるので、20時までは使用できます。

プリンタのコーナーや、ATM、そしてAEDも設置されています。

本学の紹介のために、1年間を通してオープンキャンパスが数回行われますが、各学科の紹介ではここが利用されますし、キャリア支援プログラムの一環であるメンターカフェなども行われます。

2020年の創立100周年に備えて、掲示版には、学生へのお知らせがたくさん出ています。
この写真は、『写真・エピソード・インタビュー協力募集中!』の掲示です。

テンプル大学日本キャンパスが今年の8月に本学の西キャンパスに移転します。きっと学生ホールを利用する方も、もっともっと増えることでしょう。隣のグローバル・ラウンジも、特別なイベントなどで使用していないときには、自由に席は使えるので、是非活用しましょう。

果実のつく木 [2018年12月21日(金)]

12月も押し迫り、いよいよクリスマス、そして平成最後の年、平成31年を迎える時期となりました。正門からのアプローチを歩くと、BSTの手前の植え込みにある柿の木には大きな柿がまだ残っています。甘柿だとカラスが実をつついてしまうので、冬になっても大きな実が枝に付いたままになっているのは、きっと、渋柿だからでしょう。柿の渋さの原因は「タンニン」で、渋柿を食べると口の中で水溶性のタンニンが溶け出すので、渋く感じるのだそうです。

下の写真はカリンの木です。3号館の学園本部館側の壁面に添って立っています。今年も大きな実をつけていましたが、残念ながら、もう残っていません。カリンは、硬くて渋いので、そのままではなく砂糖漬けやジャム等に使います。咳を止める薬用効果もあります。 また、熟したカリンはとても良い香りがするので、部屋や車の中に置いて香りを楽しむ人もいるようです。

まだまだ学園内には、実のなる木があります。次の写真はちょっと見にくいのですが、みかんの木です。右下の方で葉に隠れていくつか実がなっています。まだ木の丈は1メートルもないほどですが、実をつけていますね。

さて、次も「ウォーリーを探せ」のような写真になってしまいましたが、この木には、何の実がついているのでしょう。

夏みかんです。右上から左下にかけて、こちらも葉に隠れていますが、大きな実がついています。夏みかんという名なので、実をつけるのは夏だけだと思うかもしれませんが、1年中、実がなっています。5月頃に白い小さな花が咲いて、6月頃から実が出来始めます。始めは、実がとても小さくて緑色なので葉に隠れてなかなか見つかりません。8月頃になるとだいぶ大きくなってきて、10月には夏みかんの枝がしなってしまうほど大きくなります。11月の中旬くらいから段々と黄色く色がつき始め、12月にはきれいに色づいて美味しそうになります。夏みかんの実はそのまま収穫せずに枝につけたままで年を越しても、次の年の初夏くらいまで、実は腐りません。

さて、最後にご紹介するのは・・・。
きんかんです。7,8月頃に白く小さな花をつけ、10月頃になると緑色の小さな実がなります。今頃が食べごろです。実より皮に栄養があるそうで、皮ごと食べられるようにと、甘露煮やジャム等にする方も多いようです。きんかんも咳や喉の痛みを止めるのに効用があり、消化促進にも良いのだそうです。みかん、夏みかん、きんかんは、西門から入って正面の中央グラウンドの手前に植えられています。

 

毎年のことながら、この季節になるとインフルエンザが流行します。みなさん、どうぞお元気で良い年をお迎えください。

3号館前の石像 [2018年12月14日(金)]

 3号館左前の植え込みに置かれている、道祖神です。もともと道祖神は中国の神様で、道教から生まれたという説もあるようです。峠や辻、そして、村境などにあって悪霊や疫病を防ぎ、旅人の道中の安全を守り、道案内を務める神様だそうです。お地蔵様などのように、日本には似たような役目の神様が多く存在するので、それぞれの由来が入り混じっていてあまり明確ではないようです。
 写真にある昭和の道祖神は、「佐渡からのもので、前を通る学生たちの平安を祈っている」と、本学の教職員が持っている教職員手帳の「学園探訪」に書かれています。向かって右に男性、左に女性の神様が肩を抱き合って立っています。しかし、よく見ると、左の女性の顎から口元の一部が欠けてしまっているようですね。

 学内で場所を移動したときにでも傷がついてしまったのでしょうか。花崗岩は、初めは堅いので、磨くと美しく、石材として広く用いられるようですが、風化するととても脆くなってしまい、少しでも何かに当たると崩れてしまうことがあるようです。昔からキャンパスにあるものなので、大切にしたいですね。
 国内では、長野県 安曇野が道祖神の宝庫だそうで、その理由は、川に大きな花崗岩がたくさんあったからとか。バラエティに富んだ表情をした道祖神を見つけながら、冬の安曇野を旅するのも楽しいかもしれませんね。もうすぐ冬休み。そろそろ休みの計画をする時期になりました。

今年のクリスマスツリーは [2018年12月07日(金)]

 もう12月を迎え、あと2週間で冬期休暇に入ります。今年の冬は雪があまり多くなさそうだと聞いていますが、東京はホワイト・クリスマスになるのでしょうか。ところで、昨年まで本学ではこの時期になると3号館前のヒマラヤスギに色とりどりの電飾をつけて、クリスマスツリーに仕立てました。


(2017年12月8日のプログから)

 

 今年は残念ながら、10月の台風でヒマラヤスギのてっぺんが少し折れてしまったため、ツリーの電飾が出来なくなりました。その代わり今年から、現代風のツリーがキャンパスにお目見えしています。

 

 新しいロータリーの中央のユリノキが、雪のように輝く電飾で飾られています。正門からキャンパスを覗くと、ちょっとツリーが遠くになりましたが、手前のブルーの光とマッチして、白く輝く中央の木がとても素敵です。

 

 クリスマスと言えば、日本の子どもたちはサンタクロースがプレゼントをくれるのを楽しみにしているのではないでしょうか。世界中の子どもたちが日本の子どもたちと同じように、サンタクロースからのプレゼントを楽しみにしているものとばかり思っていたのですが、最近、クリスマスにサンタクロースが来ない地域があることを知りました。オーストリアやドイツの南の地域、スイス、オランダなどの家庭では、クリスマス・イブの24日になると飾り付けを終えたクリスマスツリーのローソクに灯が付けられ、チリンチリンとベルが鳴り、お父さん、お母さんが子ども達に、「おや?何か音がしたけれどあの部屋に入ってみましょうか」「イエスキリストがいらしたのかな?」と言ってその部屋に一緒に入ると、ツリーがきれいに飾られていて、その下にプレゼントが置かれているというのが一般的とか。子どもたちは「イエス様がプレゼントを持ってきてくださった!」と喜ぶのだそうです。クリスマスプレゼントをくださるのは、サンタクロースではなくイエス様なのですね。誰がくださるにしても、特に子ども達にとっては、クリスマスプレゼントは嬉しいものですよね。
 今年の昭和の新しいクリスマスツリー、皆さんもどうぞお楽しみください。

すてきな教室を紹介します [2018年11月30日(金)]

昭和女子大学のキャンパスの中で一番新しい建物は9号館です。9号館は正門を入ってすぐ左手にあり、左手奥の地下には吹き抜けのアリーナもあります。1階には、測定機器室や演習室が、また2楷には恒温室があり、3階には大きな実験室もあります。ということで、この建物は健康デザイン学科と食安全マネジメント学科の皆さんが使用することが多いと思います。この2学科の教授室もここにあります。

さて、9号館1階の大教室をのぞいてみると、そこは、下の写真の様に、モニターテレビが設置され、清潔感溢れる講義室となっています。他学科でも、プロジェクト活動の一環としてイベントを行ったり、公開の講習会や研修会を行ったりするのにこの教室を利用しています。

そして、ここには2枚目の写真のようなスペースが隠されているのです。ここは調理スペースとなっていて、左手の調理台で調理をしている様子がモニターテレビに送られるようになっています。1枚目の写真のどこに、このスペースがあるのかというと、右手のモニターの後ろの壁が移動式になっていて、そこを開くと、奥に調理台が3台現れるという仕組みです。

料理番組を撮影するテレビスタジオのようですね。


原則、学園内の方々でしたら、非営利の学術・教育目的ならば、カリヨンを通してこの調理室を使用することができます。使用可能な期間は通常、大学の夏季休暇中ですが、その他の日程でも可能な場合もあるそうなので、詳しくはカリヨンにご相談下さい。

秋ですね [2018年11月24日(土)]

西門から入って中央グランドの前から、左手に並ぶいちょうがこんなに色づきました。まだ、少し季節が早いのか、それとも今年の大雨や台風でいちょうの木が疲れているのか、今朝はあまり元気がないようです。キャンパスのいちょうは、全国の紅葉スポット第1位と言われる明治神宮外苑のいちょう並木とは比べ物にはなりませんが、少し肌寒く感じる秋の風を受けて、葉が舞い落ちる音を聞くと、とても心が落ち着きます。

特にからっと晴れた秋空に映える黄色いいちょうをみていると、自然の力の偉大さを感じずにはいられません。

いちょうの木には、銀杏がつくものとつかないものがあります。雌の木が銀杏をつけるといわれています。 銀杏をつけるかつかないかを見分けるには、諸説がいろいろあって、雌の木は銀杏をなるべく遠くに落としたいので枝を横幅広く張り、雄の木は上に枝を伸ばすということも聞いたことがありますし、葉の形で区別できるとも聞いたことがあります。でもどちらも俗説のようで、実際には、花が咲くまでは雌雄はわからないとのこと。もし種から育てると花が咲くまで十年位はかかるのだそうで、気の長い話です。昭和のキャンパスには、銀杏をつけるいちょうも、つかないいちょうもありますから、枝の張り方の向きを比べたり、きれいな落ち葉を拾って葉の形を比べたりしてみるのも楽しいかもしれませんね。

Keep Off the Grass [2018年11月16日(金)]

この掲示をどこかで見たことがありますか。

英語でも書かれているので、BSTの生徒さん達も行き来するところにあるはずですね。
でも、BSTの校舎の近くには芝生はありません。
実は、この掲示は学園本部館と大学1号館の間のロータリー中央にある養成中の芝生のためのものです。

午後4時ごろに撮影したので少し日が陰って見にくいかもしれませんが、中央の一番背の高い木の手前に、上の写真にある掲示が置かれています。
芝張りをした後に人が立ち入って芝を踏んでしまうと、擦り切れたり、押しつぶされたりして、芝が枯れてしまうこともあります。見たところきれいに芝が張られているようでも、切り取った芝のマットが土の上に乗っている状態なので、芝の根が土の中まで入り込むのを待つのに時間が必要です。多分、少なくともあと1、2か月くらいは、待つことになるのではないでしょうか。スポーツ競技場のスタジアムの芝を全面張り替えると、養成期間が3か月位は必要なのだそうです。

秋は少しずつ気温が下がり、芝の根も伸びにくいので、皆さんで大事に芝が育つのを見守っていきたいですね。

クレーンが見えますか [2018年11月09日(金)]

雨上がりの空に、グラウンドのブルーのトラックと中央のグルーンの人工芝の色がすがすがしい朝です。
この写真は、昭和のキャンパスにあるBST(ブリティッシュスクール・イン・トウキョウ)の前あたりから、中高部2号館、こども園、そして8号館の方向にカメラを向けたものです。写真中央のこども園のあたりに、クレーンが見えるでしょうか。


このクレーンは、本学西キャンパスに新校舎を建設するためのものです。クレーンが使われているということは、建物が随分高くなったということですね。
下の写真の左側には、すでに6階建ての骨組みができ、右側は地下が深く掘り下げられてプールが建設されているようです。

写真の右手奥には、たくさんの建設資材を積んだ車やトラックが並んでいます。一日、一日、一歩ずつ、一歩ずつ、完成に近づいています。こんなにたくさんの機械や人々の力で出来上がる新校舎、来年の9月が本当に楽しみです。

この写真の方をご存じですか。 [2018年11月02日(金)]

昭和女子大学の卒業生の会、「光葉同窓会」初代会長の和田艶子先生です。島根県のご出身で1904(明治37)年生まれ。1999(平成11)年に95歳で他界されました。日本女子高等学院を卒業後、常に母校と卒業生のパイプ役を果たし、1958(昭和33)年から「教員学術研究会」を主催して教員に研究発表の機会を作られ、また、同窓会の組織作りと整備に努められました。同窓会では、卒業生の名簿作成に着手され、人見記念講堂の第二緞帳、光葉会誌の発刊等、終生、学園と同窓会の発展にご尽力下さいました。会長をお引き受けになる時、先週のブログでご紹介した保坂都先生こそふさわしい方だというお気持ちから、はじめはご就任を固辞されたそうです。和田先生、保坂先生、お二人とも本学の発展の礎を築いて下さった私達の大恩人、そして、大先輩です。

本学は1920(大正9)年に「日本女子高等学院」として誕生し、1925年に初めての卒業生が出ました。第4回卒業生を出した1928年には『女性文化』第1巻1号が同窓会から出されました。本学の同窓会「光葉会」は、1945年学園復興の年に、日本女子高等学院と附属高等女学部の生徒たちや教職員全員の力を合わせて、戦後の困難な時代を乗り切ろうと組織したもので、当時はすべての生徒や教職員が光葉会のメンバーでした。そこから、同窓生の光葉会が独立して、「光葉同窓会」ができたのが、1974(昭和49)年のことだったのです。

上の写真は1992(平成4)年の光葉同窓会懇親会の席上で、お二人の米寿のお祝いをした時のものです。歴史を辿ってみると、本学があと1年半もしないうちに創立100周年を迎え、ここまで成長できた陰には、本当にたくさんの方々のご尽力やご支援があったのだとしみじみ思う今日この頃です。

写真の先生をご存じですか [2018年10月26日(金)]

 

保坂都先生です。山梨県のご出身で、女学校に進学する人も村で一人いるかいないかの時代であった1923(大正12)年に上京され、親戚の方や近所の方々が村はずれまで見送って下さり、涙ながらの別れをしたというお話を私が大学生の時にお伺いしたことがあります。

当時の日本女子高等学院国文科を卒業後、附属高等女学部の講師もされ、その後大学で教鞭をとられました。いつも着物姿でいらしたことを、古い(私もその一人ですが)卒業生の皆さんはご存じでしょう。短めに和服をお召しになり、身のこなしが素早く、小さなお体でどこからそんな力が湧くのかと不思議なくらいでした。常に凛とした態度で、学生が怠けたりすると厳しい叱正が飛びました。「幸い」なのか、「残念」なことなのか、私は、当時英米文学科で学んでいたので、直接、先生にお教えいただくことはほとんどありませんでした。現在の1号館の場所にあった、大学本部館の1階が教授室で、どうしても用事があってその部屋に入らなければならない時は、保坂先生が着物姿で椅子の座席の上にきちんと正座されているのを横目で見ながら、呼び留められないように、そっと、出入りしたものでした。

1904(明治37)年9月20日のお生まれで、教育、研究一筋に歩まれましたが、初めての海外旅行の折のエピソードは、先輩たちからよくお聞きしています。大学のある教員がハーバード大学の夏期講習に出席するということで、1960年にご一緒されたそうです。横浜港から船で出発。この頃、勿論、昭和ボストン校はありませんでした。珍しい洋服姿のお写真を一枚だけ拝見したことがあります。帰りはヨーロッパから、日本の船で神戸港に入港し、汽車で東京に戻られたそうですが、やっと日本語が使えたときの喜びは格別だったそうです。

もう一つ、保坂先生の思い出は、「黒パン」です。常に黒パンしか召し上がらないという噂でしたが、多分徹底した健康管理をされていたのでしょう。

学園草創期の苦難の時代を支えてくださり、研究活動も精力的にこなされ、國學院大学から文学博士の称号を授与され、本学卒業生初の博士号授与者となられました。「なせばなる なさねばならぬ なにごとも ならぬは人の なさぬなりけり」を座右の銘として、生涯学園の発展に尽くされた、大先輩のお一人です。

保坂先生は、2002(平成14)年9月に亡くなられました。写真は、同年の10月24日の「お別れの会」で頂いたものです。もう、あれから16年も経ってしまったのですね。今の昭和をどこかでご覧くださっているでしょうか。