2013年5月

「七人の小人」コンプリート!? [2013年05月30日(木)]

こんにちは。松田です。

一部で知られていたり、知られていなかったりする話ですが、昭和女子大学の世田谷キャンパスには「七人の小人」がいて、毎日その居場所を変えています。夏場には水浴びするお姿などが見られることはこのブログでも紹介して参りました。

さて数日前に1年生2名が私の部屋に駆け込んできました。何用?と思いきや「文化講座までの待ち時間に小人探しをやってたんですよ。5人まで見つかったんですけど、あと2人が見つからないんです!先生、場所知りませんか?」と 😆

さすがにしらないぞ!!

しかしよく見かける場所などを情報交換し、「もし全部見つけて写メったら、ブログにアップしてあげよう」と約束いたしました。で、後日晴れて写真がメールされてきましたので約束通りアップいたします。

うーーーーーん、「ああ、あそこだ!」とすぐ分かる場所もあるのですが、アングルが絶妙で、微妙に分からないのが悔しい!!

「これはどこの写真でしょうか?」なんてクイズ問題になりそうですね。②③⑤あたりは昭和の学生なら即答ですかね。あとは結構難問。④⑥⑦はなんとなく「あそこかな~」とアテがありますが、①は・・・どこだ!?

ルルド(フランス)へ行って来ました。 [2013年05月30日(木)]

授業やゼミだけで、しばらく歴文を離れていたのですが(ついでにブログもさぼっていました)、この春からめでたく復帰、春休みにはルルドへ行ってきました。
19世紀半ばに発見された奇跡の泉はピレネー北麓にあって、中世の城の廃墟がそびえる岩山と聖堂や修道院や病院の立ち並ぶ岩山のはざまの、ガーヴ・ド・ポーがつくるせまい谷間に、川とおなじレヴェル、湧水のしたたりおちる浅い洞窟のなかにありました。  

  
ピレネーの谷には古い友人の別荘があって、幾度となく訪れているのですが、ゴリゴリのカトリックの彼女は、信者でないわたしを思いやってか、30kmしか離れていないのに、いままで一度も連れて行ってくれなかったのです。
じつはわたしにはもうひとり親しいフランスの友人があるのですが、こちらは、「あんな醜い町にわざわざ行くことはない、教会もモザイクも近代の悪趣味そのものだ」といいます。
この二人にはそれぞれ、信者として巡礼に行くのではない、「歴史的、文化的」な意味を理解するために行くのだと言ってやりました。
どう?歴文の優等生でしょ??
  

   

シーズン・オフで、しかも午後おそい時間だったので人影もまばらでしたから、二人の古い友人たちの言うことを反芻しつつ、静かに瞑想してきました。もちろんお水も一口飲んできましたよ。だって、洞窟のうえの岸壁に世界中のことばで、「行って泉の水を飲み、あなた自身を浄めなさい」って書かれていましたから。 

 江中 

ルルドにて

 

第1回特殊研究講座が開催されました! [2013年05月29日(水)]

 5月15日(水)に今年度第1回特殊研究講座が行われました。
今回は、「社会科教科書の作り方」というテーマで、近畿大学教授戸井田克己先生にご講演いただきました。
 
今までの学生生活で当たり前のように使ってきた社会科の教科書は、実にたくさんの行程を経て作成されます。
実物も提示しながらご講演いただき、学生も興味深く聴講していましたpencilshineshine

戸井田先生、ご講演いただきありがとうございました!!

オープンキャンパス情報☆1 [2013年05月28日(火)]

平成25年度のオープンキャンパス日程

詳細は決まり次第ご連絡いたします

6月16日(日) 10:00~15:00
7月21日(日) 10:00~15:00
8月24日(土) 10:00~15:00
8月25日(日) 10:00~15:00
10月5日(土) 13:00~16:00

clover みなさんのお越しをお待ちしておりますclover

先哲之碑とカモ [2013年05月22日(水)]

おはようございます。松田忍です。今週は雨も降りましたが、今日は気持ちの良い5月の朝です。

先哲之碑を撮影いたしました。

んっ!なにかいる?……カモだ、カモがいる!!

もっとよってみましょう。

相変わらず目つきは鋭いぞ笑 さすが野生。可愛いくせに!

いやぁ、業者のかたに伺ってはいたのです。「早朝にはカモは先哲之碑のところにいることが多いよ」って。早起きして目撃することが出来て嬉しいです。あと午前中はグリーンホールや秋桜館のあたりをよちよち歩いていることもありますよね 😆

可愛いですよねぇ、カモ。個人的には羽毛が紫に輝いているところあたりが好きです。

さてさて、今日も仕事だ~!

元気にやっていきましょう!!

浜松通訊(2)~浜松と新撰組~ [2013年05月22日(水)]

日本美術史担当の植松勇介です。

小生、静岡県浜松市に住んでいます。昭和女子大学には関東在住の学生が多いため、静岡県や浜松市は縁遠い土地でしょう。折にふれ、静岡県西部地域の歴史・文化を紹介していきたいと思います。

中島銃砲火薬店拙宅の近くに「中島銃砲火薬店」という狩猟用や競技用の銃器を扱う店があります。創業者は中島登(なかじま・のぼり)。新撰組の隊士だった人物です。

中島登は天保9年(1838)に武蔵国八王子で生まれ、元治2年(1865)に新撰組入隊。戊辰戦争を最後まで戦い抜き、箱館で降伏、静岡藩預かりとなります。放免後、浜松宿で旧友と再会し、そのまま浜松に居を構えました。浜松では意外にも葉蘭の栽培を手がけ、「金玉簾」という品種を世に出して一財産を築いたとか。明治17年(1884)に中島銃砲火薬店を開業し、その三年後、50歳で亡くなりました。

新撰組はなぜか若い女性に人気があります。新撰組を研究したくて歴文を志望した学生もいるはず。しかし、新撰組に関しては真偽不明の逸話が独り歩きし、また、フィクションにおける脚色も著しく、研究対象にするのは難しいと聞きます。特に、近藤勇や土方歳三、沖田総司のような幹部ではその傾向が強いようです。それでも新撰組を研究したいという学生は維新後まで生き残った一介の隊士に注目してみてはいかがでしょうか。地方の史料を丹念に調べていけば、思わぬ発見があるかもしれません。

オリエント史勉強するなら語学の学習を [2013年05月08日(水)]

古代エジプト史を専攻している吉成です。少し思い出話など。

高校時代から大学で古代エジプトの勉強をしたいと考えていたのですが、具体的なことが全くわからなかったために、思い余って古代オリエント史研究の第一人者だった明治大学の杉勇(すぎ・いさむ)先生にお電話を差し上げたのです。我ながら思い切ったことをしたもんだと思います。電話口で緊張し切っている私に先生は「英語出来るでしょうね。」と仰ったのでした。今もそうですが、本格的に古代オリエントの勉強をしようとすると、日本語の文献ではなく外国語の文献に頼るしかなく、横文字が読めなくては何も出来ないことになります。

大学を終えて大学院は杉先生が古代オリエント研究の基礎を作られた東京教育大学を受験したのですが、古代オリエント研究を目ざす受験生は英語、ドイツ語、フランス語(イタリア語とロシア語も入っていたと思いますが)の三ヶ国語を受験せよという条件がつけられていて杉先生のご意向がはっきり示されていました。私の大学時代は学園紛争華やかなりし頃で、大学の封鎖や授業ボイコットで一般教養の語学が充分に受講できない状況でしたので、ドイツ語は参考書を買って来て自分で基礎から勉強し、フランス語はお茶の水のアテネ・フランセに通って初歩から学びました。英語はE.H.カーのwhat is Historyのペリカンブックを買って、岩波新書の清水幾太郎訳とつき合わせながらカードを作って翻訳の勘どころを身につけようと勉強しました。

最近は年を取って余り勉強しなくなっていますが、ドイツ語とフランス語に関しては、NHKラジオの入門講座を毎朝聞いて刺激を継続させる様にしています。講座は4月から始まりますので、今は初歩の初歩の話が次から次へと出て来ますが、数詞についてちょっと気になったことがありました。昔、石原都知事だったか、フランス語の数詞はめちゃくちゃで非科学的で、数がまともに数えられないフランス人は駄目だという様な発言をしていたと思いますが、そういうことではなくて、11から20までの数の表し方についてです。ドイツ語とフランス語の11から20までを英語と対比させて書き出すと次の様になります。

11 elf―eleven―onze
12 zwoelf-twelve―douze
13 dreizehn―thirteen―treize
14 vierzehn―fourteen―quatorze
15 fuenfzehn―fifteen―quinze
16 sechzehn―sixteen―seize
17 siebzehn―seventeen―dix-sept
18 achtzehn―eighteen―dix-huit
19 neunzehn―nineteen―dix-neuf
20 zwanzig―twenty―vingt

これを見ると、10を表わす要素(zehn、teen、dix)が現われるのはドイツ語と英語では13から19まで、フランス語では17から19だとわかります。それが何なのだと言われても何とも言えないのですが、数詞の様な基本的語彙のレベルでは同じゲルマン語系のドイツ語と英語が同じでラテン語系のフランス語とは異なるということなのでしょう。 複雑で高等な語彙に関しては英語にはたくさんのフランス語と共通のものがあることは良く知られています。ちなみに辞書によると英語のelevenとtwelveは「10に残り1つ」「10に残り2つ」の意味だそうですが、ドイツ語やフランス語の場合はどうなんでしょう。調べてみて下さい。

昭和女子大学と佐賀藩主・侯爵鍋島家 [2013年05月01日(水)]

はじめまして。4月に着任した野口です。

よろしくお願いします。

私は歴史学・日本近世史を専攻して、これまで、佐賀藩をフィールドとした研究を行ってきました。

ところで、佐賀藩は昭和女子大学と深い結びつきがあるのをご存じでしょうか。

それは、大学の前身である日本女子高等学院の院長松平俊子先生が、佐賀藩主・侯爵鍋島家の出身なのです。

松平先生のお父さんは、最後の佐賀藩主鍋島直大(なおひろ)で、お母さんは、公家の広橋家から嫁いできた榮子(ながこ)でした。

直大のお父さん(松平先生の祖父)は、幕末佐賀藩に西洋技術を導入した名君鍋島直正(閑叟)です。

またお姉さんには、華族のなかでもその美貌が特に有名で、後に梨本宮家に嫁いだ伊都子(いつこ)がおりました。

皇太子嘉仁(後の大正天皇)は、鍋島家の別荘に遊びに行くことが多く、そこにいた同家の姉妹達のなかでも伊都子と

お互いに惹かれあっていたというエピソードもあります。

松平先生は、旧高松藩主・伯爵松平頼壽(よりなが)の弟胖(ゆたか)と結婚して、昭和8年に二代目の院長に就任しました。

結婚されてからも鍋島家とは行き来があり、昭和10年の創立15周年にあたっては、

母榮子から和歌を送られており、今でも大学の正門を進んでいくと、この和歌を刻んだ秩父石があります。

私は、華族の出身である一方で、教育に対して真摯に取り組まれた松平先生について、大変興味を持っています。

松平先生のことが書かれた史料など、ご存じの方がおられましたら、ご一報いただけるとありがたいです。

カモのみなさま、昭和之泉に到来♪ [2013年05月01日(水)]

この時期にはカモの動向を見守る歴文ブログでありますが、今年も昭和之泉にカモたちがやってきました。

少し前から目撃してはいたのですが、昭和之泉でみかけたのは今年初めてだったので早速パシャリcameraimpact

去年と同じく謎の三羽組のようですね。どの組み合わせがツガイなんでしょうか??そして、どこからやってくるのでしょう?

また子ガモが見られるといいなぁ~!楽しみですね♪

以上、松田忍がお伝えしました。