2016年5月

世田谷歴史散歩第2弾~多摩川沿いの古墳群を歩く~ [2016年05月29日(日)]

こんにちは、日本近現代史担当の松田です。

5月28日に第2回世田谷歴史散歩をおこないました。昨年度も大変好評だった「多摩川沿いの古墳群を歩く」コースです。少し曇り気味でしたが、その分涼しく気持ちのいい散歩日和でした。全行程約3時間半を学生8名、助手1名、小泉先生と松田の計11名でのんびり散歩しました。

出発は東急東横線の多摩川駅から。

まずは浅間神社古墳の断面をみたあと、多摩川台公園にはいり、全長100m以上ある亀甲山古墳の解説を小泉先生から受けます。

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そして大田区の施設「古墳展示室」に向かいます。小さな資料館なのですが、学生たちから小泉先生への質問が次々とでて、30分ほどかけてじっくり見学しました。

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古墳群は大田区から世田谷区にかけての住宅地のなかに点在しています。こんな感じで散歩しました。

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住宅地に溶け込み消滅した古墳の話をうかがったり、八幡塚古墳を見学したり……。

そして狐塚古墳の墳丘上で記念撮影をパシャリ!このあたりの古墳群の発掘調査には昭和女子大学の学生も随分参加しているとのこと。すごい!

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散歩コースも終盤に向かいます。等々力不動はちょうど茅の輪の時期でした。崖の上にある古墳を訪れるのにはかなり激しいアップダウンがあり、バテてきたので、ここで糖分補給!

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等々力不動から等々力渓谷に入ります。いつ来ても気持ちいいですね!世田谷区にこんなところあったんだ~と驚きの声。等々力渓谷にも横穴古墳とよばれる自然の地形を生かしたお墓があるんですよ。

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そして散歩の最終目的地である野毛大塚古墳へ。

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野毛大塚古墳とのご対面。20160528-DSC04286_R

墳丘を登ります。結構急です!

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発掘当時の石室が陶板に焼き付けられて、学べるようになっています。小泉先生から出土物に関する詳細な解説を受けます。

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東京の多くの古墳が都市に取り込まれて消滅したり原型が分からなくなるなかで、野毛大塚古墳周辺はゴルフ場になっていたが故に、そのまま残ったとのことです。ホタテ貝型の前方部(?)は、ゴルフ場時代にはティーグラウンドになっていたそうでして、確かにティーショット打つには最適の形をしているなとたいへん面白く思いました。

その後、世田谷区が多額の費用を掛けて、公園として整備されました。この日も、たくさんの子供たちが遊んでいまして、生活の中に溶け込んでいるなぁという印象です。

ゴルフのティーグラウンドとして使用されたという前方部

ゴルフのティーグラウンドとして使用されたという前方部(墳丘上から撮影)

さて、これにて散歩は終了。大井町線の等々力駅にいきまして、参加者全員で打ち上げ&懇親の夕食会。お好み焼きです。

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「円墳型のお好み焼きを作ろう!」から発展して、前方後円墳型の古墳焼き。前方部が海鮮玉、後円部が牛すじ玉で構成されています笑

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――小泉先生!この古墳焼は何世紀の古墳ですか?

小泉先生「6世紀ですね。前方部がかなり広がっていることから、古墳時代のあとのほうになって作られた古墳であると推測できます」

一同「おおー!」

小泉先生「大阪府高槻市にある今城塚古墳に似てますね。」

一同「おおー!」

のちほど今城塚古墳と照合。確かに前方部の広がる角度がそっくりです!

今城塚古墳(「よみがえる大王墓・今城塚古墳」森田克行著、2011年、新泉社)

今城塚古墳(「よみがえる大王墓・今城塚古墳」森田克行著、2011年、新泉社)

その後は、古墳型をしたスイーツの話題などで盛りあがりました。そのあたりは女子大っぽい!?埴輪にしても古墳にしてもこの時代の造形はどことなく可愛いですよね。みなさんも「古墳 お菓子」で検索してみてください。

なお、ひっくり返すときに古墳は大崩壊しました笑 もちろん全部おいしく頂きました!

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クリックで動きます

最後に【参加学生の声】を載せておきます。

今日は本当にありがとうございました!東京にこんな所があるなんて今まで知らなかったので、冒険気分で楽しめました◎ あと、歴文ならではのトークをできたのが個人的にすごく良かったです。

今日はありがとうございました!都内にある古墳、今はもう無くなっているのも多かったのですが一つ一つ丁寧な解説分かりやすかったです。とても貴重な経験になりました。次の機会があったらまた是非参加したいです。ソフトクリーム、お好み焼きご馳走様でした!

今日の古墳散歩とっても楽しかったです!実際にその場に行くことで新たな発見もできましたし、先生の説明もあってとても勉強になりました( •̀ω•́ )✧ アイスとお好み焼きご馳走様でした♪古墳焼破壊犯は私です←(`・ω・)ゞ ペーイっていきましたもんね…精進します笑

今日はとても楽しかったです。今日はお好み焼きとソフトクリームごちそうさまでした!ありがとうございました。

とても楽しく歴史を学び、交流を深める散歩となりました。6月は休みもなく、そろそろレポートや期末試験の準備などで忙しくなってくる時期かとは思いますが、適度にリフレッシュしながら、頑張っていきましょう!

世田谷歴史散歩第1弾~世田谷線沿線を歩く~ [2016年05月22日(日)]

こんにちは、松田忍(日本近現代史担当)です。

今年も1年生を引率して世田谷歴史散歩をおこないました。その第1回は「世田谷線沿線を歩く」です。当日は快晴。汗ばむほどの天気でした。参加者は歴文1年生12名、助手1名に松田であわせて14名です。

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散歩のはじめはこのブログでもお馴染み。彦根藩井伊家の菩提寺である豪徳寺です。井伊直孝以来の歴代彦根藩主の墓があります。もちろん有名な井伊直弼の墓や桜田門外の変に殉じた彦根藩士家臣の墓もあります。

一般的にはいわゆる「招き猫のお寺」ですね。好奇心旺盛な1年生からは、お寺に関する様々な知識の質問攻めにあいました笑 いや、さすがに分からないから!関口先生や早田先生、阿部美香先生に聞いてみてください!!

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今回は学生のみなさんが撮った写真も募集してみました。どうぞ~♪ 楽しそうです!

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そして世田谷城跡を経て、世田谷区役所へ。

もう何度も訪れている世田谷沿線の散歩コースではありますが、今回はじめて訪れ、学生たちに一番見せたかったのは、1950年代に前川國男が設計した世田谷区役所と区民会館でした。1959年のモダニズム建築であります。前川國男は、学生や研究者が何度もお世話になる国会図書館の本館を設計した建築家でありますね。

昨年夏におこなわれた昭和女子大学近代文化研究所所員勉強会にて、鰺坂徹先生(鹿児島大学)の「“世田谷区役所・区民会館”の歴史的意義と再生の可能性」のご講演を伺って以来、庁舎立て替え問題がおこっている世田谷区役所のことはずっと気になっておりました。

耐震・耐震機能、冷暖房、駐車場の広さといった利便性、あるいは建築費用を考えれば、保存は難しいのかも分かりません。しかし、戦後における市民のあり方を形にして残した区庁舎、区民会館のモノとしての迫力を実際に目にすると、この建築が失われる重さをヒシヒシと感じました。

先日も、とある先生から、小学校に残されている明治期以降の日誌がどんどん廃棄されているとの話を伺いました。歴史的な史料やモノを保存するためのコストを払うか否かは、もちろん最終的にはそれに関わる人びとの判断によります。しかし歴史に関わる我々としては、一度失われると二度と元には戻らない実物の価値を伝え続けていかねばならないとの思いを新たにしました。

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さらに松陰神社に。

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松陰先生と記念撮影。今回の世田谷歴史散歩は、「幕末コース」と「古墳コース」の2回おこなうことにしたのですが、さすが「幕末コース」に参加したみなさま。松陰先生との対面には盛りあがっていました!

終始こんな感じでお散歩。結構日焼けしてしまいました……522世田谷歴史散歩A_2019_R

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お休みにもかかわらず参加して下さった助手のOさん(左)と学生。とても暑かったので、途中でみんなでソフトクリーム食べました。

散歩の締めとして、近世に彦根藩世田谷領を治めた大場家の代官屋敷と同所にある世田谷郷土資料館を見学します。学生たちには言いわすれましたが、世田谷郷土資料館の建物も前川國男の作品ですね!522世田谷歴史散歩A_8838_R

17時からは大学近くのお好み焼き屋さんで夕食会。トークがとても盛りあがり、楽しかったです。 522世田谷歴史散歩A_9718_RDSC04220_RDSC04217_R522世田谷歴史散歩A_4543_R

参加した学生からは「自分たちの大学がある世田谷のことを知ることが出来て良かった」「身近なところにも歴史は残っていることを知れて良かった」「今回の散歩で新しい友達ができました」などの嬉しい感想をいただきました。私自身も、これまで名前と顔が一致していなかった学生を何人か認識することが出来て、とても良かったです。

来週は多摩川沿いの古墳群を、古墳時代の研究者である小泉先生の解説つきで散歩します。きっと楽しくなるよ!まだ参加は受け付けておりますので、希望者は松田まで!

それでは!

先週は「OG週」でした! [2016年05月15日(日)]

こんにちは、松田です。GWもあけた先週はなにかとゼミOGとご縁がある週でした。

月曜日にはゼミOG 1期生から嬉しい嬉しいご結婚のご報告が届きました。本当におめでとう!

金曜日にはゼミOG 2期生から三軒茶屋にいくのでお昼食べませんかとのお誘い。社会人なのでちょっとオシャレな店でもと思いきや、学食「ソフィア」で食べたいとのこと笑 (あ、学食もドラマの撮影で使われるようなオシャレなところですが笑) 今後のキャリアのことなどいろいろとお話いたしました。そして当時のゼミ生を集めての同窓会を開くことを約して別れました。

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さらに土曜日はゼミOG 3期生5人と一緒に新宿でお食事会。それぞれ悩みはあれど、メンバーが集まれば、「あの時」のノリになるのがいいね。まぁ、たいがい下らないわけなんだけども笑 どのOGも必ずいうことですが、思う存分歴史トークしたり、歴史旅行したりする仲間がいた歴文生時代はほんとうに貴重だったということ。

卒業して2~3年経つと、そろそろそれぞれの職場でのステップアップの道も見えてきて、それに乗っかるのか否かのようなとても大事な悩みも出てくる頃なんだなぁと思いました。就職活動をしているときにはステップアップすること前提で考えているわけですが、いざその道が目の前にくると、自分はどんな風に働いていきたいのかをもう一度しっかり考えなければならない。それぞれの道を歩みだしたみなさんにあまり言えることもないのですが、いろいろな道を選ぶことのできる立ち位置にいることを重荷ではなく幸福と捉えて、勇気を持って人生を選び取っていって欲しいなと思います。いつもいうことですが、幸あれ!幸あれ!

 

JĀTAKA(Myanmar) 調査旅行 [2016年05月13日(金)]

 JĀTAKAジャータカをご存じでしょうか。JĀTAKAジャータカはパーリ語で書かれた南方上座部の経藏に含まれるテキストで、二十二編547話から成り、漢訳などの翻訳も多くいろいろな国々に伝搬し影響を与えました。仏教は紀元前後ころ、大乗仏教の興起によって大きく発展するのですが、その大乗仏教興起の条件として仏伝文学、仏塔崇拝、部派仏教の教理が考えられます。ここでは仏伝文学について考えてみます。大乗仏教の興隆には仏伝文学が大きく関わっていたのですが、これには各地に残る部族の説話と釈尊の前生譚の説話を繋げて大乗仏教が民衆に近づいていったと考えられます。

大乗仏教は利他の考え方に重きを置く思想ですが、その為に菩薩思想が発生し自己を犠牲にして他を利すると言う考え方が基本に置かれています。その発展過程の中で盛んにJĀTAKAジャータカが用いられました。JĀTAKAジャータカというのは釈迦の前世の善行を記した説話で現在物語、前世物語、連結の3部から成る話で、前世物語が中心です。釈迦の成仏が偉大であるほど、前世における修行も偉大であったに相違ないとするものです。成仏の為の修行を組織的に完成させ、土地の説話と絡ませて広めた、これがJĀTAKAジャータカです。その修行は六波羅蜜と呼ばれ、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧の六つの修行があり、その中でも特に布施と忍辱が重んじられました。このJĀTAKAジャータカの話はインドは勿論、ミャンマー、インドネシア、中央アジア、中国、日本など広く分布しています。

今回は、2016年3月にミャンマーで行ったJĀTAKAジャータカの調査旅行について述べます。ミャンマーは上座仏教の国で、国民は仏教に対して大変熱心な信仰を持っており老若男女、寺院はいつも信者で一杯です。また寺院に対して喜捨をする人も多く、それによって在家信者は功徳を積んでいます。仏教への信仰により社会全体はある種の安定を保っているように見えます。折しも軍政から民主政への移行期ということもあり、国全体は明るい希望を持っているように感じられました。

3月末のミャンマーの気候は、暑期に当たりだんだんと暑くなりかける頃です。事実、日本を出発するときの気温は6度、ヤンゴンは36度、帰国してまた6度、と気温差30度はかなり過酷でした。

ミャンマーにスリランカから仏教が伝わったのは12世紀ですが、その前から土着神としてナッ神を信仰していました。バガンから南東に50㎞行ったポッパ山はその精霊が棲む聖なる山として知られています。筆者も石段を何百段も登り、ポッパ山に登ったことがあります。

ヤンゴンからすぐバガンやマンダレーへ飛びました。バガンはビルマ族によって1044年に最初の統一王朝が成立した土地で、エーヤワディー河の両岸に大小幾千もの仏塔や寺院が林立しているところです。そのバガンにはJĀTAKAジャータカを残す多くの寺院があります。ミャンマーのJĀTAKAジャータカはテラコッタやその上から釉薬をかけたもの、或いは木彫りのものもあります。

林立する寺院群

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西ペッレイ仏塔

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シャーマJĀTAKA(西ペッレイ仏塔)

 

シャーマJĀTAKAはこのような話です。

シャーマの父母は毒蛇に咬まれて失明します。シャーマは山で多くの種果を採って父母に孝養を尽くします。両親が喉が渇いたというので、彼は鹿革の衣を被って水汲みに出かけますが、鹿狩りに来ていた迦夷国の王が射た矢に当たり死にます。事の真相を知った両親は嘆き悲しみます。そこで天帝釈は彼の父母に対する孝養に感じ入り、シャーマは蘇生し父母も開眼するという話です。

 

アーナンダ寺院は、Baganバガンを代表する寺院ですから写真を載せておきます。

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アーナンダ寺院

マンダレーの南方のザガイという街のティロカグル寺院にはこのように美しい彩色の仏教絵画が残されています。

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仏足石(トゥロカグル寺)

 

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 JĀTAKA(トゥロカグル寺)

マンダレーのShwenandawシュエナンドー寺院には、19世紀建立の珍しい木彫りのジャータカJĀTAKAもあります。

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Shwenandawシュエナンドー寺院外観

 

早田先生

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ヴェッサンタラ王子は大変布施が好きでしたが、バラモンに請われるままに奥さんやかわいい子供まで与えるという話です。

JĀTAKAジャータカには、このように大乗仏教に支えられた菩薩思想が表現されています。

<早田記>

『れきマガ‐Rekibun Magazine-』編集部始動! [2016年05月13日(金)]

歴文と歴文生の「いま」をみなさまにお届けする情報マガジン『れきマガ‐Rekibun Magazine-』。

歴文生スタッフの力で1年に1冊のペースで刊行してきました。すでに7冊が既刊となっています。

今年度は1年生スタッフ2名と上級生の新規スタッフも加えて、昨年よりもさらににぎやかに8号の企画がスタートしています!今日は今年の「特集ページ」のテーマについて話し合い、そしてバックナンバーを検討して、 今までの企画の中で面白かったものをもう一度掘り返す検討をおこないました。

歴文生のみなさまには、今後、原稿執筆などをお願いすることもあると思います。みなさまに楽しく読んでいただける誌面を目指しますので、どうぞご協力をお願いします。

新規スタッフもまだまだ募集中です(特に1年生)。ご興味のある方は助手さんか顧問の松田忍までお問い合わせ下さいませ。編集長の歴文3年生との連絡を取り持ちます。

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