現代教養学科ブログリレー フフバートル:多民族・多宗教・多言語国家インドの言語問題

「ことばと社会(現代)」という授業に外部講師としてインド出身の言語学者プラシャント・パルデシ国立国語研究所教授をお招きしました。インド社会の民族や言語の多様な状況について本国ご出身の専門家に日本語で講義をしていただくのはたいへん貴重な機会です。講義のテーマは「多民族・多宗教・多言語国家インド―多様性の中の統一性―」でした。プラシャント先生はまず導入として、インドという国の特色を次のスライドのようにまとめ、インドの歴史、文化、宗教、社会についてたいへんわかりやすく説明してくださいました。

その中でも私にとってもっとも印象的だったなのは、インドは「世界でもっとも人口の多い民主主義の国家である」ということでした。それは先生の本国に対する誇りでもあるように思われました。実際、インドでは5年に一回総選挙が実施されるが、クーデターなど大きな動乱が起こるようなことはないそうです。インド共和国は、アメリカ合衆国と同様、連邦制をとっているため、州政府は相当の権力をもちます。のちほど詳しく見るように、インドの州は言語と文化によって境界線が決められ、2020年6月現在、インド共和国は、28の州、9つの連邦直轄領、およびデリー首都圏から構成されています。「2020年6月現在」と言ったのは、インドでは州は境界線の変動が多く、最近数年の情勢を見る限り、州の合併よりも分離が多いようです。

また、インドの歴史でおもしろいのは、イギリスがインドを約400年間植民地にした当初は、565の国の王様と戦って統一したが、1945年にインドから撤退する2ヶ月前に、この国を565の王様に返すから、これからどうするのか565の王様と交渉して決めなさいと言ったそうで、選択肢は①インドという国を作る、②イスラム教に基づくパキスタンという国を作る、③それぞれが独立した565の国を作るでしたが、インド独立の父ガンディーはインドとパキスタンに分離することを最後まで反対しました。しかし、マジョリティであるヒンズー教による迫害を恐れたイスラム教徒がパキスタンという国を作ったため、インドとパキスタンのどちらにつくか迷い、動揺した王様たちの国は二日間だけパキスタン側にあったなど、インドのあっちこっちにパキスタンがあった時期もあったそうです。このような歴史は今ではインドでも若者たちが知らなくなっているようです。

そして、いよいよインドの言語の話です。インドには100以上の言語があることは知られています。そして、一般的に言語の数が多ければ多いほど母語話者が少ない言語が多いことも知られています。ところが、驚くのは、世界で大言語を20選べばその半分以上をインドの諸言語が占めるということです。母語話者が5億2000万人のヒンディー語はおいでおき、話者人口9700万人のベンガル語ですらヨーロッパでは類をみない大言語です。そして、ヒンディー語の母語話者は世界一と考えることも可能でしょう。というのは、いわゆる13億の話し手がいる「中国語」とは相互理解がほとんどできない七つの大方言(言語)からなり、その中でも「共通語」の基礎方言となる北方方言の母語話者の割合は低いです。インドでは約8割の人は映画を見るなどでヒンディー語が理解できるようですが、中国では約10年前の統計で、漢民族の中でも共通語にあたる「普通話」(プートゥンホァー)が理解できる人は人口の半分に及ばないということでした。

さきほど、インド共和国は行政区域の構成がアメリカ合衆国によく似ているという話がありましたが、アメリカの州の境は言語や文化と何の関係もありません。しかし、インドは場合は、州の境界線が言語や文化の境界線で、州名が言語名からなっているということなので、「県境」が方言の境であったことはほかの国にも昔はあったでしょうが、州名が言語名からなるというのは世界的に見てたいへん珍しいようです。

ところが、われわれの「ことばと社会(現代)」という科目では、「国語」をめぐって、日本の「国語」「標準語」をはじめ、「中国語圏」「朝鮮語圏」「モンゴル語圏」のような国境を跨った言語圏について、国家、民族、言語の視点から言語政策や言語法などを引き合いに、公用語や共通語の問題を考えてきたので、インドについても国語や公用語、共通語の問題が関心の的となるのです。

では、100以上の言語をかかえる多民族・多宗教・多言語国家インドには「国語」はあるのでしょうか、「公用語」はどうなっているのでしょうか。また、「共通語」は設けているのでしょうか。ちなみに、多民族、多言語国家として知られるロシア連邦には「国家語」(国語)が、そして、中華人民共和国では「共通語」と「公用語」が言語法によって定められています。

インドでは、憲法の第343条に「インドにおける連邦政府レベルでの唯一の公用語はデーヴァナーガリー表記のヒンディー語である」と定めれているということで、英語は「準公用語」と指定されているそうです。ヒンディー語は北インドを中心に話され、話者がインド総人口の約40%を占めるている大言語で、母語話者が約5億2000万人であるため、連邦政府はヒンディー語を推し進め、また、ヒンディー語の映画の人気により、現時点ではヒンディー語圏以外でもヒンディー語が通じ、日常的に使われています。そして、ヒンディー語圏以外では、各州の州政府がそれぞれの裁量で、州の行政と教育用言語として1つ以上の州公用語を決めることが認められているため、インド国内では、各州の州政府によって多数の言語が州公用語として制定されています。

一方、インド憲法の第8付則に22の言語が列挙され、Scheduled languages「指定言語」と呼ばれています。これにはヒンディー語も含まれ、これらの言語は決して「インドの公用語」ではないですが、政府から予算が出る言語で、予算はそれらの言語による国会でのヒンディー語や英語との通訳、メディア、出版物、教育などに使われます。

共通語に関しては、インドは中国の場合とは違って、一貫して言語の多様性を重んじ、あえて共通語を作らない方針であるが、それは言語の選択はあくまでも個人の自由であると考えているからです。メディアや映画などの娯楽も各州の言語に加え、ヒンディー語と英語で行われています。

最後になりますが、インドで教育は、3言語(母語・州の言語、ヒンディー語、英語)で行われるのが必須で、もし、ヒンディー語が母語の場合は別の言語を学びます。最近はグローバル化が進み、学校に行っていれば、英語に力を入れ、逆に州の言語が教育の現場から消える現象が見られ、高等教育になるとだいたい英語に切り替えられることが多く、特に自然科学の分野はほぼ英語で教育が行われています。そのため、残念ながら、英語の地位がほかの言語よりますます高くなっていますが、ほかの外国語を選択して学ぶこともできます。しかし、全国的に活躍したいなら英語を上手に話せなければならず、今や6-7割の親が子供に幼稚園の段階から英語を学ばせています。

(ここで使われたインドに関するデータや情報は基本的にプラシャント・パルデシ先生の講義の資料によるものです)